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ジャパッシュ小泉

 「ジャパッシュ」とは、売れないプロレスラーのリングネームではない。ましてや、新しい梅酒の商標でもない。(梅っ酒~)

  望月三起也の漫画に「ジャパッシュ」というのがあった。中学生の頃のこととて、あまりストーリーを詳しくは覚えていないのだが、確か「少年ジャンプ」に連載されたものの、あっというまに終了してしまったことだけが印象に残っている。当時のジャンプでは、「あらし!三匹」(池沢さとし)、「ど根性ガエル」(吉沢やすみ)、「男一匹ガキ大将」(本宮ひろし)などが目白押しであったためだと思うが、ストーリーの内容があまり子供向きではない、というのもあったかもしれない。

 日本にヒットラーの生まれ変わりのような独裁者、日向光(ひゅうがひかる・・・う~ん、名前がスゴイヨネ)が現れ、これもナチスドイツのような組織であるジャパッシュを立ち上げて、日本を支配し、やがて世界征服を目論む、というようなものだった。

 これって、なにか小泉純一郎とカブルものがあるよね。ナチスドイツは自民党で、親衛隊が、小泉チルドレン。実は、オウム真理教の一連の事件のときに、やはりこの漫画がクローズアップされていたっけ。望月三起也といえば、個人的には「ワイルドセブン」くらいしか印象にないのだが。

 

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二枚目俳優なら中大でしょう

 さて、明治学院OBがいわゆるフォーク系ミュージシャンに多い、ということが偶然判明してしまったわけだが、私の母校中央大学にはこれといってミュージシャンのOBはいそうもないな。ああ、そうだった、谷啓先輩、高木ブー先輩。自分の出身サークルの偉大なOBを忘れるところだった。もっとも、一般的にはお二人ともタレントというイメージでミュージシャンではないようだが、れっきとしたミュージシャンですよね。なにせ、ビートルズ来日の武道館公演では、彼らの前座を勤めた偉大なかたたちですからね、ハイ。

 ちなみに、ミュージシャンは多くはありませんが、二枚目俳優が多いのがうちの特徴かもしれませんね。(二枚目ってもしかして死語?今はイケメンって言わなきゃいけないのかな。)

 阿部 寛、上川隆也、滝田 栄、丹波哲郎、仲谷 昇、古谷一行、山下真司、結構そうそうたる顔ぶれだ。まあ、きたろう、っていうのもあるんだけど。

ということで、うちの大学のOB勢力図では法曹界や官庁界も有名だけど、二枚目俳優というのも侮れないかもしれない。 

 私は、どちらかというと、きたろう(ゲゲゲではない)タイプの方ですけどね・・・。やっぱり!

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明治学院 恐るべし

 最近、職場で人減らしのため(4月に比べ5人から3人)、本来、パイロットがやらなくてもいい仕事までやるようになってしまい、当然、帰りも遅くなっているので、帰りの車での中で、必ずNACK5(FM埼玉)の「Kトラ」を聴くようになったのだが、今日のゲストはブレッド&バターの二人(岩沢幸矢、岩沢二弓)だった。

 1969年のデビューから実に37年も解散もせずに、現役で活動する兄弟フォークデュオである。僕が初めて彼らの歌に接したのは小学校の6年生だったろうか? 「野生の馬」という歌が南沙織の「17歳」小柳ルミ子の「私の城下町」と一緒に同じカセットテープに録ってあったりする。
 個人的には、「マリエ」と「あの頃のまま」が好きなのだが、あ、あと「奇蹟のビーナス」なんかもいいよねえ。

 で、「なんだ、先週もエンケン(遠藤賢治)だったし、やたら明治学院が多いな」と思ったら、なるほど、DJの坂崎師匠も明学だった。いや、Theアルフィーの3人は明学だったし、かぐや姫の南こうせつと伊勢正三も明学だわな。そういえば、南佳孝も、奥田民雄もそうだって?

恐るべし、明治学院!

人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
たあいない夢なんか とっくに切り捨てた君


For myself For myself
幸せの形に こだわらずに 人は自分を 生きてゆくのだから

 

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雨の日と月曜日は

 また雨の月曜日である。というより、台風の影響もあるのだろうが、ここのところ、ぐずついたお天気が続いています。

 「雨の日と月曜日は”Rainy Days And Mondays”」というカーペンターズ初期の頃のヒット曲がある、といってもリチャードの作曲ではなく、ポール・ウイリアムスの手による佳曲です。

Hangin' around   Nothing to do but frown
Rainy Days and Mondays always get me down
(時間をもてあまして しかめ面をするだけで
雨の日と月曜日は いつも心が滅入ってしまう)

仕事や学校、一週間の始まる月曜日に雨なんて・・・ああ、参ったなあ・・・

というブルーな気分を歌ったものですが、勤務体系が変則で月曜日がお休みになることが多い自分の場合は歌詞のように心がブルーとばかりはいえません。

 そぼ降る雨の中、学校や職場へ傘をさして急ぐ人たちを横目に、今日はどんな風に一日を過ごそうかなあ、と考えるのは、なにか他の人より一日得した気分になれるものです。別に邪魔にしているわけではありませんが、こどもたちも学校に行っていますし、どこかに遊びに連れて行くとか、一緒にキャッチボールをするとかということもなく、一日を自分ひとりのために使えるって、本当にありがたいものです。本当の意味での休日です。惜しむらくは、どこの図書館も公共施設も多くは休館日ですし、ちょっとドライブに、と思っても、ガイドブックに載っているスポットなどもお休みの場合が多い、というのが玉に瑕です。 

 午後からは、野暮用が入っているので、それまで久しぶりにカーペンターズのアルバムでも聴いてみようかな。carpenters_nowandthen

 カーペンターズは録音に限る、というのが私の持論です。

 と、いっても実際にコンサートで生演奏を聴いたことはありませんし、カレン亡き後、事実上カーペンターズは活動を停止していますので生演奏を聴く術もありませんが、私の高校時代、東京12チャンネル(現在のTV東京)で「ラブサウンズ スペシャル」という深夜番組がありました。海外人気アーティストの来日公演を一時間に編集して放映したものでしたが、ミッシェル・ポルナレフやビージーズ、レターメン、ポール・モーリア、ホセ・フェリシアーノなど(当時の)今をときめく一流ミュージシャンのステージはとても魅力的なものでした。

 当時は、今みたいにビデオクリップなんてなかったせいか、海外のミュージシャンの演奏はそれこそ、ラジオかレコードで聴くのがせいぜいで演奏シーンを目にするなんて稀有なことでした。そんな中にカーペンターズの放送があったのです。会場はどこだったか覚えていませんが、多分1974年の来日公演ではなかったかと思いますので、あるいは武道館でのライブだったでしょうか。リチャードがキーボード、カレンがドラムを叩いて、「スーパースター」「涙の乗車券」「遙かなる影」「愛のプレリュード」などお馴染みの曲の数々を演奏した(と思う・・・うろ覚えで申し訳ない)のですが、非常にとまどった、という印象が強く残っています。

 何故なら、普段レコードで聴きなれた音楽とはまったく別の演奏に聴こえたからです。というのも、カーペンターズというくらいですから、彼らのサウンドは兄のリチャードのアレンジャーとしての才能が如何なく発揮されて、非常に精緻に設計された図面どおりに建設された建造物です。イントロから始まって、メロディーライン、ハーモニー(特にカーペンターズの特徴ともいえる多重録音+ミキシングで分厚く緊密度の高いもの)からエンディングのフェイドアウトに至るまで、リスナーが本当に気持ちよく音楽の流れに身を任すことができるようにほぼ完璧な状態で提供されるよう録音されたもので、その完成度の高さは比類なきものといってもいいでしょう。

 しかし、そこに問題がありました。理想と現実、といいますか、限りなく理想に近い形で完成されたレコードのカーペンターズと、現実にはそれに程遠いステージの上の彼ら二人でした。録音とまったく同じ演奏をしようと思えば、多分、バックバンドだけでフルオーケストラ並みの編成になるでしょうし、ハーモニーもカレンとリチャードと同じ声質の人間を少なくとも各5名ずつはそろえなければならないでしょうし、リチャードのキーボードはまだしも、致命的なのはカレンの未熟なドラムを叩きながらリードボーカルをとることでした。

 あれほどレコードと実際の演奏が異なって聴こえるとは本当にショックでした。もちろん、フォークソングのようにギター一本で歌、というのとは違いますから、100%同じ演奏を求めることは不可能ですが、あまりにも・・・でした。たとえ、会場が武道館という演奏会場としては全く向かない(武道館だもの当たり前の話ですが)場所であることを引いても、ということです。

 おまけに曲を紹介するリチャードの甲高い早口言葉と、あんまり笑顔を見せず、低い声で時々ボソボソっとしか話さないカレン、こちらもレコードジャケットから感じる印象とは違ったものでした。

 クラッシックの世界でも、かつて、エルネスト・アンセルメが指揮するスイス・ロマンド管弦楽団のレコードがわが国で人気を博したことがありました。来日公演のチケットも飛ぶように売れたそうですが、実際の公演に出かけた人々は、スイスやレコード会社であるロンドンの録音技術がとても優秀であることを認識して帰途についたそうです。

 カレンが逝って20年以上の時が流れました。思えば拒食症という病気もそのとき初めて知ったものです。 彼女の歌声は永遠の遺産として皆に愛されたベストの状態のままで残されています。私はレコード、文字通り記録として残されたカーペンターズの作品の数々を今でも愛聴しております。

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はじめての女子ラグビー観戦

 今年初めてのラグビー観戦に行ってきた。場所は県営熊谷ラグビー場、カードは母校中央大学VS日本大学。ここのところ、低迷が続いて二部校との入替戦の常連となりつつある母校であるが、今年は、ラグビーワールドカップで唯一勝利をあげた時の日本代表フォワードコーチである中大OBの村田義弘監督を迎え、巻き返しをはかっている。緒戦の法政、第二戦の関東学院と前半健闘するものの後半に息切れ、という、もはや伝統化してしまった感のある病気をどのように立て直してくれるか注目だった。

 IMG_2272 残念ながら悪しき伝統は生きていたようで、10対44(後半は0点)で完敗。でも、ひとこと言わしてもらえば、最近の日大さん、ラグビーも駅伝も留学生をバンバンいれて勝ちに来てるけど、校歌にある「国の名負いて~」が恥ずかしくなると思わんのかね。あ、言ってまった~。

 昨週、前年優勝の法政が大東に敗れ、今日、関東学院が東海大に敗れるなど、優勝争いが混沌としてきている中、3連敗で早くも蚊帳の外状態となってしまった。

 けが人が多いとはいえ、小型軽量フォワードが走りまくり、伝統のフォワード第三列を中心にしたしつこいディフェンスが影を潜め、相変わらず不安定なスクラムとラインアウト、フィニッシャー不在で決定的な勝利の方程式IMG_2282が見出せないままである。今年も入替戦の応援に気合ば入れなあかんのかな。

 ふと、スタンドに目を向けると、5列ほど前方で、以前の職場のS山さんが ご夫婦で観戦していた。相変わらず仲睦まじいことだ。 S山さんの母校早稲田大学の試合は組まれていないのに、こうしてご夫婦で観戦に来られるのだからよほどラグビーが好きなのだろう。 完敗した中大フィフティーンにも「ナイスゲーム!」と盛んに拍手を贈ってくださった。

 「ねえ、始まってすぐにさ、スクラムから押し込んでトライしたの、すごかったよね。 見てなかった?」 奥様も興奮した様子で声をかけてくださった。 「ラグビーってさ、アメフトみたいに防具つけてないのに、骨と骨のぶつかるパコ~ンって音がするんだよね、スタンドの前のほうで見てると、スッゴイよね~」 15年ほど前になるが、奥様とも同じ職場で働かせてもらったことがあるのだが、その時に、初めて旦那さんにラグビー観戦に連れて行ってもらったときの感想をこうもらしておられたので、ご夫婦で観戦される事を知ったのだが、実際にラグビー場のスタンドでお会いするのは初めてだ。

 母校の試合で、勝つか、負けるかで一喜一憂して熱くなるより、こうして純粋にラグビーをゲームとして楽しむというのも肩がこらずにいいだろうな。 

 メインスタンドの出口では、私の息子がラグビースクール時代のコーチだったAさんにバッタリ出くわした。「日大の重田さんも中大の村田さんも両監督が会社(リコー)のOBだからね」とのことだったが、私は逆にAさんの息子さんがラグビースクールの5,6年生のときにコーチをしていた、という関係にある。 
 厳しい練習で知られるリコーOBのお父さんの薫陶を受けて、ちょっと線が細く小柄だった息子さんも俊足、俊敏でとてもクレバーな選手だった。 スクールのOBたちも、最近は花園に出場するメンバーが出てくるようになってきたし、来年あたりからは関東大学対抗戦やリーグ戦グループにも行く連中が出るかもしれない。 その前にA君は、高校入試が待っているが、花園目指して頑張って欲しいものだ。

 帰りがIMG_2300けに駐車場横のBグラウンドからなにやら、甲高い歓声がしていると思ったら、関東女子ラグビー大会とあった。 ラグビースクールでも原則的には男女の区別なくチームを編成するので、私も何人か女の子を指導した経験がある。 「私もラグビーやってます。」という女の方とは子ども達の交流会でよくお会いするのだが、実際に女性同士の試合を見るのは初めてだったが、なかなかどうして、男性顔負けのプレーが随所に見られた立派な試合であった、と思う。IMG_2328

 でも、ノーサイドのホイッスルが鳴り、ヘッドキャップを外すと、髪型を気にしたり、スタンドで応援していたお子さんを抱き上げたりと、とてもなごやかな 雰囲気の大会であった。

 IMG_2303試合後の笑顔もほんとに清清しくて、同じスポーツ、ラグビーをやってくれていてありがとう! ゲームをしてくれてありがとう!みたいな雰囲気でお互いの健闘を讃える握手をしている光景は、まさにノーサイドの精神そのものでしたね。 

 やっぱり、スポーツは、やるときも見るときも、カッカッするよりも楽しまなくてはね。

 

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ブラームスはお好き?

 今日は久しぶり(多分8月の20日以来)の土曜休みであった。朝からどんよりとした空模様で、天気予報もよくない。

 洗濯物を外に干そうか、どうしようか迷っているうちに雨がポツポツ降ってきた。 コーヒーを入れて本でも読もうかと思って本棚を眺めているうちに、ずっと前に買ってパッケージを開けていないCDでも聴いてみるか、と思い直してラックの中をゴソゴソとひっくり返してみた。 

 その中の一枚が、アルフレッド・ブレンデルのピアノ独奏、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル演奏のブラームスのピアノコンチェルトの2番だった。今から15年ほど前のベルリンでの録音だ。BraPiaCon2

 気がついたらフランソワーズ・サガンが亡くなって一年以上経ってしまっていた。(昨年の9月に他界したと記憶している。)と、いって彼女の熱烈なファンだったわけではない。中学生の頃、文化放送アナウンサーのレモンちゃんこと、落合恵子の番組を聴いているうちに、彼女が影響を受けたというサガンを読んでみたくなって、「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「ブラームスはお好き?」と立て続けに何冊か読んでみたけど、イマイチだった、という思い出くらいしかないのだが、いかにもフランス女流作家らしい思わせぶりな本の題名はずっと記憶の片隅に残っている。

 ブラームスが好きになれるかどうか、まず聴いてみなければ始まらないわけだが、音楽家、特に作曲家の場合、作品はともかく、作曲家自身の人間性が好きになれるか、どうかが僕の場合、重要なポイントになってくる。

 完成までに実に21年もの月日を費やした交響曲第一番ハ短調は、彼が石橋を叩いても渡れない自信のなさ、すべてに完璧を求める性格だったことによるものだ、とされているし、新しい手法や技法に走ることなく、古典的、伝統的なものを究極まで追求していこうとする情熱も併せ持っていた。

 それにもまして、師シューマン亡き後、ブラームスより14歳年上の未亡人クララを援助するうちに恋心を抱くようになり、その思いを彼女に告げることなく、途中でクララの面影を宿すシューマンの三女ユーリエに失恋したり、クララと一時的に仲違いする時期はあったものの、彼女が死ぬまで、実に42年も献身的に支えることになる、など、いかにも北ドイツ人らしい渋い人柄なのがブラームスなのである。僕にとっては、とても憎めない、愛すべき性格なのだ。

 僕は高校時代に、カール・ベームの指揮するウィーンフィルハーモニー管弦楽団がNHKホールで行った、彼の第一番のシンフォニーの演奏を聴いて初めて音楽を聴いて武者震い、演奏が終わった途端に涙が溢れてとまらない、という体験をしたのだが、あれはただ単にチケットが僕のこづかいの2か月分だったのを、取り返そうと必死に音楽に集中していたからだけではない、と思う。

 本当にいい演奏というのは、作曲家がいいのか、作品がいいのか、それとも演奏家がいいのか、お仕舞のほうは混沌としてわけがわからなくなるものだ。 再現芸術の定めとして、一瞬一瞬のうちに消えていく一音一音が、そこはかとなく自らの琴線に連続的に触れ合い、次第に精神をかき乱し、心臓の鼓動を高鳴らしていくのだ。

 後日、NHK-TVで放送された演奏(多分、再放送)の際にも、パブロフの条件反射ではないが、第4楽章の中ほどから僕の涙腺はユルユルになってしまい、一緒に観ていた家族から「どうしたのか」といぶかられたものだ。

 僕がブラームスを聴きたくなるのは、本来ならば、11月から2月にかけて、もっと肌寒く、今にも霙が降り出しそうな鬱々たる低い雲が朝から垂れ込めているような日が多い。そんな日にピアノ四重奏曲や弦楽五重奏曲などの室内楽曲を少しボリュームを絞って、然しながら、部屋の隅々にまで一音一音がしっかりと聴こえるくらいの音量で流し、ひもすがら昔のアルバムや日記帳などをめくりながら熱いコーヒーを飲んでいると、しっとりと落ち着いた気持ちになれるものだ。 

 さてさて、皆さんは、こんなブラームスの愉しみ方はお好きでしょうか?

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江川と巨人

 江川事件がきっかけで、愛する巨人との決別の道を選んだわけであるから、当然、江川卓という怪物も嫌悪すべき対象としてその後も、ずっと引きずっている。坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、ではないが、あるいは彼が巨人に入らなければ、ナベツネさんがオーナーになる位までは、熱烈なジャイアンツファンでいたかもしれないし、彼の人生の、あるターニングポイントで別の展開となっていたら、たとえ江川事件があっても、巨人も江川も無条件に受け入れていたかも知れない。

 そのターニングポイントとは?

 これは私の母校の世界史の教師からきいた話である。
 彼も、また熱烈な巨人ファンであった。巨人の勝った翌日などは、ほとんど授業にならず、プロ野球ニュースさながら、前日のハイライトシーンの解説に終始してしまうため、教科書を一年間でどこまで終えるかは、すべて巨人の成績に左右されるという類のものであった。
 ちなみに、私が彼に世界史を担当してもらった1975年は長島茂雄が初采配をとり、球団史上初の助っ人大リーガーとしてジョンソン(「ジョン損」と陰口を叩かれたっけ・・)を獲得し、球団史上初のリーグ最下位となった、まさに記録ずくめの1年であったので、確か山川出版の世界史の教科書のかなり後半、世界大恐慌あたりまで進んでしまった、と思う。そのせいか知らないが、私の代の現役合格率は、例年に比べて異様に高かったようだ。

 前置きが長くなってしまったが、その教師のいうことには、江川は少年時代から「甲子園に出場すること、慶応義塾に進学し早慶戦に出場すること、読売巨人軍に入団すること」を3大目標として野球を続けてきたのだという。
 そして、その夢を実現するため、早稲田実業、日大三高(あるいは日大一高だったかも?)、それと私の母校である県立高校を受験したのだそうだが、あえなく全敗。後に江川のドラフト問題の陰で暗躍することになる大物政治家船田中が理事長を務める作新学院に入学することになる。
 志望校すべてにフラレる、という出来事が、その後の江川の波乱万丈の人生(慶応義塾文科系全学部受験不合格で、法政大学短期大学部に進学、ドラフトでも希望する巨人とは違う球団に3度指名されるなど)を予感させるプロローグであったろう。

 かの教師は、中学野球界の怪物「江川卓」が自分の高校を受験するらしい、という噂は耳にしていたそうだが、直接、江川の入学試験の採点に立ち会うことはなく、担当した教師から、とても合格できるレベルではなかったときいたそうだが、「今思えば、多少なりとも目をつぶって、合格させてやればよかった。まことに残念であった」としみじみと語ってくれたものだ。
 私の母校は、春夏7回の甲子園出場を数え、当時の東京六大学や東都大学野球でも何人かのOBが活躍していたが、昭和42年夏の甲子園出場、私の入学前の秋の県大会を制したのを最後に今日まで甲子園出場はおろか、県大会ベスト4どまり、最近では県大会の緒戦でコールド負けしても誰も不思議に思わないくらいのテイタラクである。
 おまけに、高校時代は、学生応援は県大会ベスト4以降、すなわち準決勝・決勝まで勝ち残ったときだけ、というわけのわからぬ不文律の校則のおかげで一度もスタンドでの応援にすら行けなかったのだった。
 自分で野球をするのは諦めたものの、この高校に進んでおけば3年間のうちで少なくても1、2回くらいは甲子園に応援にいけるだろう、というかなり甘~い希望的観測もあって高校を選んだ自分としては、まったくの大誤算であった。何せ、私が中学3年のときの秋の県大会優勝校なのだから・・・ネエ。

 そういう意味でいうと、もう少し、江川卓が野球ばかりではなく、お勉強のほうもしていてくれたら、同窓生として江川卓を尊敬し、巨人も愛し続けられたかもしれないのだ。 う~ん、ザンネン!

 後輩諸君! 誰か私を甲子園に連れてって!

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虚人軍は永久に仏滅です!

 「わが巨人軍は永久に不滅です!」
長島茂雄の引退セレモニーでの名台詞は当時、一世を風靡したものだが、つい最近まで、「永遠に不滅です」だと勘違いしていた。本当は「永遠に」といいたかったのだが、口をついて出ちゃったのが「永久に」だったのだと思えるのがミスターらしいところだ。

 今年の闘い方を見る限り、タイトルとおり「わが虚人軍は永久に仏滅です」ということになりそうだ。

 私は自他共に認める あんち巨人 である。

 俗にアンチ巨人とは隠れ巨人ファンである、という説がある。
なぜなら、「巨人が負けると嬉しい、スカッとする」ということは、ジャイアンツの負け試合に異様に興奮して、東京ドームの三塁側に年間指定席券をもっていたり、テレビにかじりついてしまったりして、少なからずも読売巨人軍の興業に手を貸してしまったりしているからだ。(そういえば、読売巨人軍とはチームの名前であって、球団運営会社の名前ではない。正式には読売興業株式会社という筈だ。会社名が球団名となっていないプロ野球のチームはここだけだったのではないだろうか?)

 私も、我々の世代であれば至極当然のように野球少年であった。小学生の頃、手に入る野球帽といえば多分、関東地方では「YG」マークのものしかなかったし、極端な話、ジャイアンツ以外の11球団はセ・リーグだろうがパ・リーグだろうが、「関係ないね」。 プロ野球とは巨人軍のみが正義の味方で、あとは敵役の勧善懲悪の時代劇の世界だったのである。
 地元の少年野球チームのキャプテンでもあった私の背番号13は王の1番と長島の3番を合わせたものだった。(しかしながら、チーム名は他にジャイアンツを名乗るところがあったため、タイガースであったが・・・)
 そして、クラスメートも例外なく巨人ファンばかりだったし、先生も、家族も、お隣さんも、ということで、そういう意味では、とても幸福な時代であった。

 そう、あの日までは・・・。

 あの日、1978年11月21日。ドラフト会議の前日。俗に「空白の一日」と呼ばれた日。その年の目玉は作新学院職員の江川卓投手。過去2度のドラフトでそれぞれ阪急ブレーブス(1973年)とクラウンライターライオンズ(1977年)からの一位指名をけって、相思相愛の巨人入りに執念を燃やしていた彼が、電撃的に巨人軍と契約を交わしたのであった。前年のドラフト会議から1年間は指名球団以外と交渉できない、という規定の一年間(365日)が過ぎた、と自分勝手な解釈をした巨人軍。球界の盟主、紳士と標榜する球団のとった行動は、当時、多くの批判にさらされ、良識ある多くのファンが巨人から離れていった。その中のひとりが私である。

 まさに、球界唯一の正義の味方だと信じていたチームに裏切られたのであるから憎さ百倍である。いってみれば、助けを求めようと笛を3回鳴らして呼び出したマグマ大使に、いきなり背後から後頭部を鈍器のようなもので強打されたようなものである。「巨人なんてもう大キライだ!地獄へ落ちろ!」信じていた者に裏切られる、これほど辛いことがありましょうや。断腸の思いで、私は読売巨人軍に絶縁状を叩きつけたのであります。もちろん、以降、読売新聞とも契約をしておりません。

 その夜であったかは定かではないが、谷村新司のセイヤングで、チンペイとバンバンが怒り心頭に発して、「巨人ファンを辞める」宣言を発したのを覚えている。(でも、なぜ、ふたりとも関西出身なのに巨人ファンだったのか、そっちのほうが不思議だった印象が強い)

 かくして、当時、大学野球の応援で訪れた神宮で、練習風景を間近に見て親近感を抱いていたヤクルトが球団創立29年目で初優勝した勢いに呑み込まれるように、熱血ツバメ応援団に華麗なる変身をしたのであった。

 で、あるから、正確にはアンチ巨人とはいえない、ヤクルトファンなのだが、やはり、裏切り者巨人の敗戦をいつも願っていることに変りはない。もちろん、ヤクルトが勝って、巨人が負けた日の気分のよさといったら、もう最高だし、その逆のパターンは最悪である。

 なんで、青木の200本安打をもっとマスコミは取り上げないのだろう?

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ミョウガニスト

 昨日まで8日続けて仕事だったが、今日はOFF。
昨夜のニュースで那須高原の紅葉が見頃だというので、久しぶりに北温泉の露天風呂にでもつかって紅葉見物と洒落込もうかと思っていたが、朝のどんよりとした曇り空を見上げているうちに、すっかりその気も萎えてしまった。
 ゆっくりと朝食を摂った後、ゴミの集積所まで生ゴミを出しに行った帰りに、ふと見ると裏庭に茗荷の白い花が点々と咲いている。そういえば、ここのところ、雨続きで、しばらく収穫していなかったなあ、と考えているうちに、職場のK女史の顔が浮かんだ。

 彼女は、人の顔を見れば『茗荷、茗荷』と連呼する筋金入りのミョウガニストである。茗荷の過度の摂取は物忘れを誘引する、という俗説を根底から覆すほど頭脳明晰、才色兼備で聡明な彼女であるが、茗荷のことを話題にしているときの本当に幸福げなウットリとした表情は筆舌に尽くしがたいものがある。そういえば2週間ほど前にあったときに、「秋ミョウガ出てますか?」と言われてたっけ。持って行ってあげよう!
 15分ほどで、ステンレスのザルに3杯ほど収穫できた。夏場と違って藪蚊に刺される心配がなくてよかったが、これはチョッと大量すぎる。
PA110041 青ジソと同じように種をまいたわけでもないのに、勝手に庭にポコポコ出てくるので、もちろん、買った経験はないのだが、スーパーなどでは中くらいの3個ほどで150円くらいで売っているから、売れば結構な金額になるかも知れない。

 ものの本によれば、ミョウガもショウガ科の植物であるらしい。確かに緑色の茎だけではどちらかを見分けるのは困難かもしれない。一説には、昔は生姜が雄しべで茗荷が雌しべだと信じられていたもという。
 以前、日本テレビの「所さんの目がテン」で、それならば、ということで豚肉の茗荷焼きやミョウガエールを作ったものの失敗していた。
 白い花は月下美人のごとく一日しか咲かないものの、次から次への新しい花が咲き続けているのだそうな。
 さてさて、K女史の家では、これからどのようなメニューで食卓を飾ることやら・・・
 
 

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ミディアムレアな鮭はらこご飯

 まず写真をご覧いただきたい。PA080037
 天候の影響で着陸が遅れ、次のフライト予定時刻までの時間がなく、ゆっくりランチを取る暇がなくなってしまったので、やむを得ず、○ン・イレ○ンの期間限定のお弁当「鮭はらこ飯」(380円)を購入したのであるが、いつもの癖で、「お弁当温めますか?」というバイトの店員の問いかけに「ええ、お願いします。」と、ついうっかり応えてしまった。
 ルビーのような怪しげな誘惑の輝き、口の中でプチッ、プチッとはじける瞬間にとろけだす甘~いイクラさまの食感をイメージしながら、せっかく、売り場に残った最後の一つを手にしたのに、Oh!My God!である。
 イクラさまのルビーの輝きは、納豆のような鈍い黄土色に変色し、プチとろの食感は妙に硬くて、ちょうど、炭火で串に刺され、塩焼きされた魚を頭からのガブっとやったときに、口の中に残る目玉を噛んだような感じ、といえばいいだろうか。
 もっと腹立たしいのは、その場ではまったく気づかずに、自分のデスクに戻って、蓋を開けた途端に、香ばしい香りとともに、湯気がほんわりと上ってきて初めて事の重大さに気づいたことであろう。
 「まったく何て店員だ!ちょっと可愛いからっていい気になって・・・」などとかなり、やけくそ気味にカッカしてはみたものの、自分でOKを出してしまっているのだから後の祭りである。
 くそっ、すっかりイクラのプチとろモードになってしまっている僕のハートをどうしてくれるのだ!

 と、怒りながら、よくよく、あらためて見てみると、パッケージには「レンジ加熱目安 500W 1分00秒  600W 0分20秒」と書いてあるではないか。

 なんのことはない、陳列された「鮭はらこご飯」のイメージを自分の前頭葉で勝手に「鮭いくら弁当」と思い込んでいたのだ。確かに「はらこ飯」は昔、新潟の瀬波温泉に行ったときに食べたことがあるが、あつあつご飯にのせたイクラがレアの状態からミディアム状態に変わる寸前に口の中にかきこむと、えもいわれぬ美味しさだったのだ。だから、はらこ飯は温めて大正解なのだった。

 しかし、しかしである。 絶対にあれは加熱しすぎているゾ! 絶対に・・・

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有名人のまち

 続いて地元ネタをひとつ。
 女子アナとの結婚が決まったタレントの照英はここ田間宮地区の出身である、ということは聞いていた。
 田間宮小学校⇒鴻巣西中学校⇒県立鴻巣高校という田間宮地区でのエリートコースを歩んだ由。(どれも地区に一つしかないのでいたしかたないところだが・・・)
 散歩していたら「このたびはどうもおめでとうございます」「ありがとうございます」という会話を交わしている人がいたのだが、もしかしたら、あのご夫婦が照英のご両親だったのかも。今思えば、奥さんのほうは以前テレビ東京で照英といっしょに温泉旅行してた人だったような気もしないでもない。
 元チェッカーズ、藤井フミヤの宿敵、高杢も鴻巣に住んでいる、という話を聞いたことがあるし、エアロビクスのインストラクターの知念かおるも住人だという話も引っ越してきたばかりのときに聞いた。
 人口8万くらい(合併して現在は12万だが)の埼玉県としては小規模な田舎町に結構有名人が多いので正直驚いているし、また素直に嬉しいものである。
 

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田間宮にダチョウを見た

 鴻巣市の西隣の吉見町との境、荒川という一級河川にかかる糠田橋という結構大きな橋があるのだが、その近所に、何故か、ダチョウを飼っているヒトがいる。
 田んぼの真ん中に、忽然と高さ2メートルほどの金網柵で仕切られた15メートル四方くらいの野ざらしのダチョウクラブの出現である。
 中にはツガイだろうか、2羽(一応鳥類なので羽でいいのだと思う)が放し飼いにされているが、喧嘩でもしたのだろうか?それとも、蚊に刺され てカイカイ状態を打破するために柵にこすり付けたのだろうか一羽は首のところに怪我をしているようで痛々しかった。
 妙に人懐っこく、カメラを向けると小走りに寄ってくる。餌でもくれると勘違いしたのだろう。事実、なんとも人のよさそうな、いや鳥のよさそうな愛くるしい目つきである。萩本欣一のようなタレ目で、見つめられると、かなり癒される気分で何時間でも立ち尽くしてしまいそうだ。そう、まるでロバの瞳と同じ効果があるみたいです。P9150009
 売店でダチョウ饅頭もダチョウせんべいなどのお土産も売っていないので、観光用のダチョウ農場ではないし、単なるペットなのか?
付近で農作業をしていたオジサンに訊いてみると、ご近所の大工さんのお宅で飼っているとのこと。確かに屋根はなくても、空を飛ぼうなんて恐れはないのだから、こんな飼いかたができるのだろう。
 ダチョウの卵は果たして冷蔵庫に入るんかいな、と余計な心配をしてしまうところだが、食べてみたいとは思わないが、ダチョウの卵の目玉焼きというのを一目見てみたいものだ。(そういえば、象の卵の玉子焼きを食べたくて、軍隊を動員して卵を産んだ象を探しにいかせる御馬鹿な王様の絵本を息子が好きだったっけ・・・)
 生きていることに疲れたときに、癒されたいかたは、お弁当とペットボトルを持って尋ねてみてはいかがでしょう? あと、折りたたみの椅子でもあればいいかも。 駐車場はありませんので、田んぼの脇に路駐となりますが、決して交通の妨げにはならないと思います。
 ボーっと一挙手一頭足を、いや、一挙羽一頭足を眺めているだけでとってもTAMAMYANな気分に浸れること間違いなしですよ。 
 
 そういえば、今でも葛飾にバッタはいるのでしょうかねえ? なぎらさん。

 これ、わかる人は、とても仲のいいお友達になれそうです。ハイ・・・

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音楽のことなど・・・

 高校時代の空手部の猛者M君については、昨日触れたばかりだが、実は彼はラグビーとクラシック音楽という、僕にとって後にかなりのウエイトを占める2つのカテゴリーにおおいに影響を与えた男なのである。

 僕とクラシック音楽の出会いは、中学3年の春(今から31年前ですね)、たまたま、当時入れ込んでいたアリスのリーダー谷村新司の特集記事が出ている、というそれだけの理由で学研から出ていた「ミュージックエコー」(それとサイエンスエコーというのもあったなあ・・・)という月刊誌を定期購読したことに始まる。この本は書店では販売していないため、学校を通じて1年間単位の定期購読が前提であった。この本には毎月、盤の大きさは当時の17センチEP盤(毎分45回転)なのに録音されたソースはLP盤並みの33回転という、非常に音質の悪いレコードが1枚付録でついていた。

 今、思い出すと朝比奈隆が大阪フィルを振ったベートーヴェンの運命や第九の最終楽章だけ、荘村清のギター小曲集、若かりし時の文字通り若杉弘指揮読響のメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルト(ソリストの名前は失念した)、この7月にお隣の北本市でリサイタルを行った前橋汀子さんのチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトなど、錚々たるメンバーの貴重な演奏が収められており、今思えば、ひと月300円(だったと思う・・・)で本当に貴重な音楽体験をさせてもらったものだ。ただ、当時我が家にはステレオがなく、学校の音楽室のステレオで放課後に楽しんだりしたのだが・・・・。

 で、空手部の猛者喧嘩っ早いM君なのだが、彼は、本当にうちの高校には珍しいタイプだった。入学式のとき、出席番号順に並んだ僕の後となりが彼だったのだが、明らかに髪の毛を茶色に染めてパーマをかけて、常に周囲を威圧するような鋭い眼光を光らせていた。45人いた同級生の中で、大宮以南の中学校出身者など大半は髪を七三に分けていたのだが、上尾市以北、または久喜市以北の中学出身の田舎ものである僕たちは五分刈りと呼ばれるヘアスタイル、単刀直入にいうと「田舎の小学6年生憧れの坊主頭、『う~ン、はやく大人になりたい』カットであったが、明らかに彼だけは、どちらとも一線を画す県都浦和育ちのシティーボーイであった。

 そんな彼が、実は休み時間になると、教室の中で、クラシックギターをつまびきアルハンブラ宮殿の思い出など奏でたり、いつもカバンの脇に2、3枚のクラシックレコードを携えて、登下校するほどの音楽ファンだったのであるから、「本当に世の中は広いなあ・・・」てなものである。当時、彼は僕の真後ろの席に座っていたが、「おい、おまえ、ショスタコの5番(ショスタコーヴィッチの5番シンフォニー「革命」)は誰の(指揮したの)がいいと思う?」と、ときどき鉛筆で僕の肩をたたきながら訊いてくるのだから。

 空手部の猛者、喧嘩っ早いMと、ギターを爪弾き、クラシックに涙するM。彼の頭の中では当たり前なのだろうが、僕にとってはまさに東洋の神秘以外のなにものでもなかった。

 ちなみに前の座席のM君(故人、当時化学研究部在籍)には、バド・パウエルやMJQなどのLPレコードを借りまくって、ジャズの魅力に取り付かれ、学生服を脱いでは、夜な夜なジャズ喫茶で、バーボンと煙草の味ともどもジャズの指南されたのだが、後ろ席の空手部のMのほうには、クラシック音楽の手ほどきを受け、まさに現在の自分に通じる音楽面の趣味の基礎が確立した時期であった。

 

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NO SIDE!

 ラグビーシーズンもいよいよ佳境に入ってきた。鴻巣に住んで嬉しいのは県営熊谷ラグビー場までクルマで30分もかからない、ということだろう。特に今年は関東大学リーグ戦で母校の試合が4試合も組まれているのでハラハラドキドキ連続の週末である。

 ひと頃のラグビーフィーバーが一段落し、というよりも三段落もしてしまったかの感が否めない。TVドラマのスクールウォーズ、ユーミンの「ノーサイド」が流行した(※個人的にはユーミン盤よりも麗美の歌った盤のほうが断然好きなのだが・・・)頃は、異常なくらい盛り上がって、まさに猫も杓子も、というくらいに秩父宮や国立競技場に女の子が押しかけたりもしたが、Jリーグの登場で、本当に静かにラグビーを観戦できるようになった。いわば本来の姿に戻ったのだ。

 しんしんと底冷えのするスタンドでじっとゲームを見守り、スタンドオフからのパスがセンターからトップスピードのウィングへとわたる頃には、期待と悲壮感の入り混じった歓声が湧き上がり、スタンド全員が総立ちになる、トライが生まれ、僕はやっと我に返って愛用のスキットルに入った冷たいウイスキーをグビリとやる。のどから食道、胃袋へと熱い液体が移動して体中が燃えるように熱くなる。見るものも静から動へのダイナミックさを体験できるのはラグビーくらいだろう。

 僕がラグビーの話をすると、「観戦が趣味なんですか?」と訊かれる。どうも僕がラグビーを高校から大学にかけて腰を悪くしてやめるまで、4年半ではあったけれども、プレーしていたというと、大体の人は「え?」と意外な顔をする。就職してからも2年ほど、県西部のある私立高校のラグビー部の監督になった元チームメートに誘われて週末だけのコーチなどもしたが、今でこそ健康診断で「やや肥満」と出てはしまうが、就職したばかりの頃は今よりも14キロは肥えていた。内臓をこわして入院、2週間の絶食と退院後3ヶ月に及ぶ野菜とヨーグルトが主食みたいな生活を経て、自分で筋肉だと思っていたものが固めの脂肪だったことに気づいたのは12年前だった。

 僕とラグビーとの出会いは高校時代。2年生の冬の体育はラグビーと決まっていた。僕はド近眼で小学5年生からメガネをしていたのだが、ラグビーのときは当然、はずしていた。あまりボールが見えないこともあり、大体、人の流れを追いかけて、ほとんどボールに触ることはなかったが、あるとき、僕のほうにボールを抱えて走りこんでくるヤツがいる。僕よりかなり身体は小さそうだったので、何のためらいもなく、2,3歩横に動いてタックルにいった。「バシっ!」という小気味よい音をたてて、あっけなく彼を倒すことができた。

 「ちっくしょ~!」 という声を聞き、僕はあわてて彼の顔をまじまじと見た。
 「やばい・・・」 背筋がヒヤリとした。僕が倒したのは喧嘩っ早いことで知られる空手部のM君だったのだ。それも直前の授業時間、彼の落とした消しゴムを踏んだ、踏まないで隣の席の男と授業中に取っ組み合いの喧嘩をして、かなりエキサイトしていた筈だ。
 僕は、彼の身体にまわしていた両腕を素早くひっこめて「大丈夫か?」と恐る恐る尋ねた。周りのみんなも事の成り行きを固唾を呑んで見守っている、という感じでかなり重苦しい空気が流れていたように思う。
 彼は、黙って立ち上がり、持っていたボールを地面にたたきつけ、ジャージの土汚れをはらいながら、じっと僕の顔を下から見上げた。
 僕は彼の視線から目をそむけて「ご、ごめん!」と震えた声を搾り出したものだ。
 彼は、ニヤリと笑い、僕の手を軽く握って、「ナイスタックル! まさか、おまえに倒されるとは思わなかったな~」と言って、辺りを見回して、「おい、何やってんだよ。早くラグビーしようぜ」と、そのまま走って行ってしまった。図体ばかりでかくて、運動神経はゼロ、体育の時間はほとんど目立たない存在の僕に倒されたのが、恥ずかしかっただろうか? 

 でも、この瞬間に、ノーサイドのスピリットとタックルで相手を倒す快感とに僕は覚醒してしまったのであった。

★★★ Reimy(麗美) ★★★

1965年生まれ 沖縄出身。姉はグラビアモデルとして一世を風靡した堀川まゆみ。
1984年 姉と同じモデルをしていたところをユーミンの夫、松任谷正隆に見出され、アルバム”Reimy”、シングル”愛にDESPERATE”でデビュー。引退するまで12年間にベスト盤を含め、25枚のアルバムと23枚のシングルをリリース。姉のMAYUMIの作詞に曲をつけた作品など他のシンガーへの提供も多数。 引退後10年を経過してもベストアルバムがリリースされるなど数は少ないものの熱心なファンが多い。(私も含めてですネ・・・)
 インターネットがわが国で普及を始める前に引退なさったので、ご本人の公式ホームページはないようです。

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のび太うどん

 今日はオフ。昨日のフライトの後の会議がかなり疲れる内容で、それも遅くまでかかったせいか、いつもより一時間寝坊してしまった。

 今日から大学入試センター試験の受付が始まったことをニュースでやっていた。去年までは大学入試センター試験なんて他人事だったが、今年は息子が受験生の立場なので、結構気になっている。

 自分らの頃は、大学入試センターなんてなかったし、共通一次なんてのもなかった。国立大学は一期校・二期校に区分され、とりあえず、国立を二度受験するチャンスが与えられたものの、旧帝大系などが属する一期校に比べ、新設大学が多かった二期校に進んだ連中は、落ちこぼれとまではいえないまでも、微妙なコンプレックスを持っていたものだ。

(そういえば全然関係ないけど、東京都立大学が八王子に移転して、首都大学東京とかに変わったらしいけど、東横線の都立大学駅って、まだあるんだろうか?)

 それで、今日は息子が入試センター試験の受験のための書類を忘れたために県北の本庄市にある学校まで届けるはめになってしまった。高校でまとめて出願するために今日中に受験料を払い込んだものが必要なんだ、といきなり、携帯に電話してのたまうものだから、ヤレヤレの話である。赴任してくる前は会社の建物の中にあったR銀行のATMが利用できたが、田間宮地区には金融機関がないので、コンビニで24時間手数料無料で利用できるS銀行に給与の振込先を替えたのだが、これが至って便利なものであることに気づいた。なにせ他行への振込み手数料も1ヶ月につき5件まで無料なのだ。おまけにインターネットで自宅からいつでも利用できる。なぜ、今まで利用しなかったのか後悔している。

 と、なかなか話が前に進まないが、それで、「今日こそは、あの店に行ってみよう!」と思い立ったのである。
あの店、とは国道17号熊谷バイパスを北上し、上武国道との分岐点にほど近い「のび太」という食堂である。

 写真を見ていただければおわかりと思うが、最初に見たときは、どうしても「のび太うどん」と読んでしまい、どうしても「入ってみたい」という気にはならないだろう。051003_122152あるいはドラちゃんファンのかたは別の意味で入りたい、と思うかもしれないが・・・。

 しかし、である。これが昼時になると駐車場がかなり混んでいるのである。 それも、大型トラックが所狭しと停まっている。もちろん、それだけにかなり広い駐車スペースがあるわけだが、こういう大型車のドライバーが食べに来ている、というのは味はそこそこでボリュームがあるのだろうな。という推測が成り立つのである。う、う~ん、この「のびたうどん」を一度食べてみたいものだ。
 と、息子の入学式の日から思い続けて3年目。保護者懇談会だ、文化祭だ、といつも車を走らせながら横目でチラチラするだけだったあの店に今日は入ってみよう。

 建物の外観もうどん屋にしては、かなり大きいのだが、中はやはり広い、というか、12人が余裕をもって腰掛けられるテーブルが8つ(ということは定員は96人だ)、それもかなり広めの間隔で置かれている。

 入り口の自動ドアを2箇所続けてくぐり、左手に食券の自動販売機がある。
 メニューもうどんだけでなく、カレーライスなどのご飯類もあり、一般的な食堂である。とりあえず、あたりを見渡すと、完全に器からはみ出しているかき揚げののった丼とうどんのセットものを食している人が目に付いたので、これが一番の人気メニューなのだろう、と「かき揚げ丼セット 600円」にした。
 食券をもってカウンターに出すと、中からおばちゃんが「あ、チケットはそのまま持って席にお座りください。できあがったらお呼びしますので・・・」という。どうやら、券を買う段階で厨房のほうにどんなオーダーが入ったか自動的に連絡がいくらしい。かなり合理的、効率的である。と感心して、窓際の席に座ろうとすると、「60番のかき揚げ丼セットのかた、お待たせしました!」と後ろから大声がした。食券を買ってから30秒もたっていないし、このスピードで出てくるなら、「どうぞ、このままお待ちください」と言ってくれればいいのに・・・。同じようにこぼしていた人が他にもいた。どうやら、ここはお客を待たせないらしい。051003_121055

 さて、かの「かき揚げ丼セット」とご対面となった。 確かにかなりクリスピーにあがった冷めたかき揚げが器からはみ出している。かなり甘めの丼つゆもほとんどかかっていない。「あれ、丼つゆはお好みでテーブルにでも置いてあるのかな?」と思うくらいにしか、感じられないほどだ。かき揚げも、これがかき揚げなの?という位油っぽさが皆無であっさりしている。うどんも期待に反してのびていなかった。まあ、600円という金額が妥当かどうか判断に苦しむところだ。これだけ人件費をかけずにコストダウンをはかっているのなら、500円でもいいじゃないか?という感じだろうか。500円ならもう一回くらいは食べに来てもいいかな。

さて、タマミヤンの評価は 店、味ともに☆ひとつでした。ザンネン!

なお、私の評価基準は次のとおりです。
☆☆☆・・・何回でも来て、同じものを食べたい。
☆☆・・・・・話の種に誰か連れてきてもいいかな。
☆・・・・・・・他にお勧めメニューがあれば食べてもいいかな。
★・・・・・・・どうしても腹が減っていれば来るかもしれない。
★★・・・・・二度と来ることはないだろう。多分・・・
★★★・・・明日、火をつけてやるから待ってろよ!

 

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秋は静かに通り過ぎていく

 鴻巣市がお隣の吹上町と川里町と合併していっきに人口が8万から12万になった。「4年前までは村民だったのに、一気に市民に格上げだ、これで胸はって履歴書が書けるなあ。ヨカッタ~」と電車の中で喜んでいた人がいたそうだ。

 でも、別に花火が上がるでもなく、イベントや合併記念セールのチラシが舞い込むでもなく、淡々と秋の一日が通り過ぎていったような感じだ。

 そういえば、愛蔵の谷村新司アマチュア時代のデビューアルバム(なんで、レコードデビューしたのにアマチュアなのか未だに疑問であるが・・・)「ロックキャンディーズ・ファースト・アンド・ラストアルバム『賛美歌』」の中に「春は静かに通り過ぎていく」という名曲がある。静かに通り過ぎていく割には、アリスの初期に通じるタンバのリズムをメインにしたかなり元気な曲想で、コーラスにまわった紅一点のボーカル島津ちず子のハスキーボイスがいまだに耳に残っている。他にも「マリア」や「賛美歌」といった秀逸な曲が多いので、谷村ファン、特にExpressレーベル時代のアリスファンは是非お聴al0000000799_largeきください。CDによる復刻もあるみたいです。

当時、関東地方ではまったく無名だった谷村新司の深夜放送番組、大阪毎日放送「MBSチャチャヤング」に必死にラジオのチューニングをあわせては

「ウルトラマンさん、電話ですよ。」
「ジュワッキ!」

なる他愛もないジョークに布団の中で涙して喜び狂っていた。てっきり、ロックキャンディーズ(石の飴玉)という名前をつけるくらいだから、ソルティーシュガー(しょっぱい砂糖)みたいにコミックソングを歌っているんだろうなあ、くらいにしか当初は思っていなかったものだが、本当にアリスっぽさがそちこちに見え隠れするような感じで、初期の頃のアリス(AliceⅡくらいまで)が好きだった自分にとってはとても貴重なアルバムです。

 昨夜、地元FM局であるNACK5の「K's TRANSMISSION」で投稿したメールがDJの坂崎コーノスケ師匠に読まれたが、危なく、ラジオネームでなく本名を言われそうになって焦ってしまい、妙にドキがムネムネしてしまった、といって何も中身が別にイケナイ内容だったわけではない。 そのせいか、いつもよりいっぱい(一杯ではない・・・)余計に飲んでしまい、そのままソファの上で眠りこけてしまったらしい。

 フッ、我ながら可愛いものだニャン^m^

★★★ちなみに投稿した内容は以下のとおりです。★★★

坂崎さま こんばんは!

仕事帰りに車の中でFMをチューニングしていたら、
とっ突然、電車男の酔っ払い中年役俳優の歌う
「春のからっ風」が耳に入ってきました。
「へえ、懐かしいなあ。やっぱりいい曲だよな」と思って
そのまま車を走らせていたら、
曲が終わり、なにやら聞き覚えのある師匠の声が・・・
最近、あんまりテレビで見かけないなあ、と思っていたら、
こんな地方のローカル局でDJなぞなさっていたのですね。
まったく気がつきませんでした。
そういう私はNACK5のあるさいたま市よりも北に約八里の
ところにある、もっとローカルなFM局のある町に住んでいる
46歳です。
ちなみに私が師匠のご尊顔をテレビで拝し奉りましたのは
昨年の8月末に広島を旅行中に、宮島へ渡るフェリーの中で
ミュージックフェアに出演されていたのが最後です。
(添付写真参照のこと)
シンガーソングライターと呼ばれ一世を風靡したミュージシャンが
DJ、パソナリティーをつとめる70年代スタイルの番組を、
まさか地元さいたまでやっていたとは「灯台もと暗し」でした。
聞けば、次回30日の放送では、東芝EMIから先日発売された
「ベスト・フォーク100」から選曲なされるとか。
60年、70年代のフォークソングがCDとして復刻される度に
地道に購入していますが、まだ聴いたことのない曲も
このCDには入っているので、なにがかかるのか楽しみです。

さて、そこで、フォークソング界の生き字引、博覧強記のギター侍、
アコギ界の巨神兵と異名をとるシーラカンス坂崎教授に質問。
このCDについてですが、

(1)キャッスルアンドゲイツは「おはなし」ではなく
  「鎮魂歌」が個人的にはベストだと思っているのですが、
  やはりレコード会社が違うので入っていないのでしょうか?

(2)キャピタルレコードだったから同じEMI系列だと思うのに
  吉川忠英氏がいたイーストの「ビューティフルモーニング」が
  なぜ、リストアップされていないのでしょうか?
  
わかったら教えてください。


♪♪♪ Radio Name ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

♪  ライオンの背に乗って青い草原を超えたい
♪  ○○の○○○○(46歳)

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

なお、ラジオネーム中の○は個人情報保護のため、あえて匿名とさせていただきました。

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