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音楽のことなど・・・

 高校時代の空手部の猛者M君については、昨日触れたばかりだが、実は彼はラグビーとクラシック音楽という、僕にとって後にかなりのウエイトを占める2つのカテゴリーにおおいに影響を与えた男なのである。

 僕とクラシック音楽の出会いは、中学3年の春(今から31年前ですね)、たまたま、当時入れ込んでいたアリスのリーダー谷村新司の特集記事が出ている、というそれだけの理由で学研から出ていた「ミュージックエコー」(それとサイエンスエコーというのもあったなあ・・・)という月刊誌を定期購読したことに始まる。この本は書店では販売していないため、学校を通じて1年間単位の定期購読が前提であった。この本には毎月、盤の大きさは当時の17センチEP盤(毎分45回転)なのに録音されたソースはLP盤並みの33回転という、非常に音質の悪いレコードが1枚付録でついていた。

 今、思い出すと朝比奈隆が大阪フィルを振ったベートーヴェンの運命や第九の最終楽章だけ、荘村清のギター小曲集、若かりし時の文字通り若杉弘指揮読響のメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルト(ソリストの名前は失念した)、この7月にお隣の北本市でリサイタルを行った前橋汀子さんのチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトなど、錚々たるメンバーの貴重な演奏が収められており、今思えば、ひと月300円(だったと思う・・・)で本当に貴重な音楽体験をさせてもらったものだ。ただ、当時我が家にはステレオがなく、学校の音楽室のステレオで放課後に楽しんだりしたのだが・・・・。

 で、空手部の猛者喧嘩っ早いM君なのだが、彼は、本当にうちの高校には珍しいタイプだった。入学式のとき、出席番号順に並んだ僕の後となりが彼だったのだが、明らかに髪の毛を茶色に染めてパーマをかけて、常に周囲を威圧するような鋭い眼光を光らせていた。45人いた同級生の中で、大宮以南の中学校出身者など大半は髪を七三に分けていたのだが、上尾市以北、または久喜市以北の中学出身の田舎ものである僕たちは五分刈りと呼ばれるヘアスタイル、単刀直入にいうと「田舎の小学6年生憧れの坊主頭、『う~ン、はやく大人になりたい』カットであったが、明らかに彼だけは、どちらとも一線を画す県都浦和育ちのシティーボーイであった。

 そんな彼が、実は休み時間になると、教室の中で、クラシックギターをつまびきアルハンブラ宮殿の思い出など奏でたり、いつもカバンの脇に2、3枚のクラシックレコードを携えて、登下校するほどの音楽ファンだったのであるから、「本当に世の中は広いなあ・・・」てなものである。当時、彼は僕の真後ろの席に座っていたが、「おい、おまえ、ショスタコの5番(ショスタコーヴィッチの5番シンフォニー「革命」)は誰の(指揮したの)がいいと思う?」と、ときどき鉛筆で僕の肩をたたきながら訊いてくるのだから。

 空手部の猛者、喧嘩っ早いMと、ギターを爪弾き、クラシックに涙するM。彼の頭の中では当たり前なのだろうが、僕にとってはまさに東洋の神秘以外のなにものでもなかった。

 ちなみに前の座席のM君(故人、当時化学研究部在籍)には、バド・パウエルやMJQなどのLPレコードを借りまくって、ジャズの魅力に取り付かれ、学生服を脱いでは、夜な夜なジャズ喫茶で、バーボンと煙草の味ともどもジャズの指南されたのだが、後ろ席の空手部のMのほうには、クラシック音楽の手ほどきを受け、まさに現在の自分に通じる音楽面の趣味の基礎が確立した時期であった。

 

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