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尻のでかい奴は野球部へ but メガネの奴は卓球部へ

 僕が昔、野球少年だったことは、前に記した。もっとも、僕らの小学生の頃は、それ以外考えられなかったのだ。なにせ、「巨人、大鵬、玉子焼き」が日本全国子どもの大好きなものの代名詞だった時代だ。
 もちろん、関西や名古屋では、巨人のところが阪神や中日になっていたのだろうが、子どものやるスポーツといえば野球だったのだ。
 当然、僕らも放課後になると近所の空き地に集まっては野球に興じたものだし、学校帰りに隣の中学の野球部の練習を見ては「いつかは僕も」と憧れたものだ。僕にとって、中学生になるということは、野球部に入ることとイコールだった。
 当時は市内の小学校対抗ソフトボール大会というのが毎年春に行われていた。5、6年生から選手が選抜されて学校代表として毎日放課後練習をするのだが、運良く僕も5年生でメンバーに(補欠だったが・・・)選ばれた。
 同級生の多くが下校していくのを尻目に、多くの6年生たちにまじって練習に明け暮れるのは、ささやかながら自尊心を満足させてくれた。
 僕は大抵センターかライトを守っていたのだが、あるとき、後ろから声をかけてくる人がいる。
「おまえ、6年生か?」
 振り返ると、隣接する中学の野球部の顧問の先生だった。小柄で真っ黒に日焼けした顔にギラギラした目をしていた。
この先生は、高校時代にキャッチャーとして甲子園に出場したことがあるというので、かなり有名な存在だった。
「いえ、5年1組のMです。」
「やあ、いいカバーリングしてるな。打者ごとに的確に守備位置もかえているし、いいセンスだな。」
先生は、かしこまっている僕を上から下までジロジロと見ていたが、いきなり、近寄ってきて、僕の尻を「パン!」と叩いたのだった。
「特に、この尻が気に入った。これくらいデカイ尻で上背があって、足が短くて重心の低いやつが欲しかったんだ。おい、お前、中学になったら野球部に入れ」
「はい、そのつもりですけど」
ちょっとひっかかった言葉があったが、僕はドキドキしながらこたえた。
「お前をエースピッチャーとして鍛えてみたい。頼むぞ!」
先生は、そういうと自転車にまたがって中学のほうに帰っていった。
僕は確かに体型的に、「尻がデカイ」というのが定説になっていた。というより上半身に比べて異様に下半身が発達していたようだ。
腕や胸はむしろ、やせ気味だったのに、尻から太腿にかけては肥満気味といっても結構ご自慢の筋肉質だったのだ。
さすがに、小学1年生から往復7キロの道のりをランドセルを背負って登下校してきた積み重ねである。
僕は、恥ずかしながら、鉄棒の逆上がりが苦手だったのだが、それも、皆に言わせると「お前は、ケツがデカイから重くて持ち上がらんのだろう」ということになっていた。
裏返せば、重い下半身を持ち上げられるだけの上腕の筋肉がついてない、ということなのだが、それでエースになれるのだろうか?
とりあえず「エースピッチャー」の一言に僕は有頂天に舞い上がってしまっていた。その後、どんな練習をやったか上の空だった。
下校時には「巨人の星」の主題歌が頭の中を駆け巡り、家にある自転車の古チューブで「大リーグボール養成ギブス」ができるかしらん?などと妄想にかられた。
結局、5年生のときは正選手になることはできなかったが、チームの監督だったT先生にある日、呼び出されて、
「中学のK先生から、『Mを何故正選手にしないんだ?』といわれたんだが、私は野球の経験がないので、よくわからない、と申し上げた。
君にはまだ来年があるから、勘弁してくれ」とまでいわれたので、ますます愚かな誇大妄想がアドバルーンのように膨らんだのだった。
心はすでに中学を通り越して、僕にとっての青雲高校はどこなのだ? 巨人は果たしてドラフト何位で僕を指名してくれるのだろう?等々
もちろん、なにごともプラス思考に働いているときの悪い癖で、地元の少年野球チームでは6年生を差し置いてキャプテンに名乗りを上げ、
背番号も13番(王の1番と長島の3番を併せ持つ)じゃなきゃいやだ。と、自分勝手なわがまま三昧をやったものだ。
でも、もちろん、しっかりと、巨人の星をつかむためのトレーニングは続けていた。
電柱の陰から見守る明子姉さんの姿はなかったが毎日兎跳びをやったり、素振りをしたり、屋敷林のケヤキの木にホームベース大の的をぶら下げて、ピッチング練習などである。
K先生とくれば、顔をあわせる度に「待ってるぞ!」といいながらポンと尻を叩いていく。
今考えれば、あの先生、ホモだったんかいな?みたいな感じだが、僕は尻を叩かれるたびに一歩一歩エースのマウンドが近づいてくるのを感じていた。
だがしかし、世の中はそう甘くはなかった。
夕方遅くまで、ただでさえ暗い屋敷林の中で的当てピッチングをしたせいか、もともとあまり良くはなかった視力が日増しに落ちていく。
ついに6年生になる頃には、メガネが手放せなくなってしまったのだった。
つまり星飛雄馬からいきなり左門豊作になってしまったとですタイ。
当時、私の住んでいたごたる田舎では、小学生でメガネばかけとっとは珍しかったですタイ。
視力検査や授業時間には、「おい、あれが見えんとだってさ」ていうヒソヒソ声があちこちで聞こえ、メガネばして廊下ば歩けば、そうよが脇によって僕が通り過ぎるのば見守る。
なにやら異邦人になった気分であったが、こと野球やソフトボールに関して言えば、空振りが減って打率が上昇ていう好結果ばもたらしたのであった。
星飛雄馬の針の穴ばとおすコントロールとまではいかんが、狙ったところへの配球も格段に精度があがったとタイ。
いやあ、熊本弁は難しかあ~、ばってん、カレーにタイ米はあうタイね~。
ますます、巨人の星は近づいたか、に思えたのであったが、ばってん・・・

メガネをかけた僕をみたK先生は、いきなり
「目の悪い奴は野球部にはいらん! 卓球部にでも行くことだな」
とつれない一言を残して、以後、僕の尻を叩くことはなかったのであった。
確かに、メガネをかけた野球選手なんて珍しかった。でも、でもさ、
「巨人にも国松とかいたのになあ、打席では柴田だってメガネをかけていたのに・・・。」
僕は、すっかり巨人の星の夢から奈落の底に落とされ、途方にくれたのであった。
そして、K先生の呪縛の一言に操られるかのように、友人・先輩たちの誘いを断って、中学では野球部ではなく、卓球部に入部してしまうのであった。
思えば、この一言が僕の巨人の星物語のエピローグであり、暗い青春時代のプロローグであったのだ。
せめて、あの頃、「稲中卓球部」が流行り、「卓球温泉」「ピンポン」が上映されていたら、愛ちゃんが活躍していてくれたら、あんなに暗い青春時代は送らなくても良かったかも知れないのだ。(事実、僕の中学の卓球部の練習場は、照明が暗くて、ますます視力が落ちていったのだ。)
でも、まあ、そうはいっても、女子卓球部には可愛い子が結構いて、それなりに楽しかったけどね~。

 中学2年の夏、プールの時間だったが、同級生でもある野球部のピッチャーだったNが僕を見て、いみじくも言ったものだ。
「この前のプールのとき、K先生が、Mのほうを見てて、『やっぱり、お前より、あいつが欲しかったな』って言ってたけど、今からでも野球部に来ないか?」
「てやんでえ、誰があんなホモ野郎のところにいくもんかよ~! 俺の青春を返してくれ~、って言っとけ!」
それをきいて、Nは、まじまじと僕の顔を見て言ったのだ。

「キッ、君たちはそういう関係だったのか?」

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