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僕の読書法

 月曜日のみが休日となっているため、日曜日の夜になると、昔の土曜日の夜のように、すっかり脱力モードになる。 そして、月曜日はそれこそ、日もねす、と言う感じで読書三昧だ。鴻巣市の図書館は夜の8時まで営業しているので、日曜日の仕事帰りに月曜日に読む本を借りて来る。最長2週間で一人10冊までとなっているが、一日で読める量は限られている。 多くても3冊だ。

 高校時代は、電車通学の車内やホームでの待ち時間を利用して、岩波文庫や新潮文庫を読んだものだ。往復で1時間少々だったが、月曜日から土曜日まで6日間で6時間。一年間で約313時間になる。 大抵、1週間で2から3冊の文庫を読んだ。 

 大学時代は、高野悦子ばりに、1週間に岩波文庫3冊、岩波新書2冊を読んでいけば、卒業までに全巻読破できるのだ!と勢い込んでは見たが、彼女の頃とは違い、当然、文庫も新書も数が増えていたので、土台無理な話だった。

 今日は、三浦展の「下流社会」(光文社新書)と白石一文の「一瞬の光」(角川書店)、赤川次郎の「わが愛しのファウスト」(講談社)を読んだ。もっとも、下流社会は、昨日、本屋で買ったもので借り物ではない。 「一瞬の光」は昨年の夏に一度読み出したのだが、挫折して、再チャレンジしたものだ。

 大学時代に備わってしまった読書法がしっかり身についてしまっているせいか、本を読むときは、書き込みや、線を引くための鉛筆がないとだめだ。(あと、最近ではポストイット)今もあるかわからないが、中央大学の生協書籍部には経済学部教授だった林達先生の書いた「学修作法」(中大出版部?あるいは中大生協だったか?)という本が売っていて、新入生は必読みたいな感じで、例年入学式から1ヶ月くらいは山のように積まれていた。確か、600円くらいで販売していたと思う。 梅棹忠雄先生の「知的生産の技術」(岩波新書)や渡部昇一先生の「知的生活の方法」(講談社現代新書)といった類の本の一種だが、学修作法は対象を大学生に限定している点で、非常に参考になった。

 辞書の引き方については、辞書を机の左手において、必ず、左手でめくること、そして、ページをめくるときの指の位置はかならずページの上部を使うこと(おかげで、どんなに新品の辞書でも六法全書でも僕のものは、1年もするとページの上端部分が手垢で真っ黒になる)、引いた語には必ずマーカーで印をすること。など、それこそ、ノートの取り方から大学生の予習・復習のやりかた、カードの利用方法、図書館の利用の方法、はては定規を使った線の引き方、カッターナイフの使い方に至るまで事細かに解説してあるのだ。 僕はまさに目からウロコで、この本を小学生・中学生に読ませればいいと思うのだが、どうだろう?、

 読書の作法の場合、まず、肝心なのは、可能な限り、図書館で借りずに、古書でもいいから、コピーしてもいいから自分のもちものにすること。そして、目次を最初に丹念に読むこと。さらに、最初から最後のページまで一気に斜め読みをして概略をつかんでから、鉛筆を片手にじっくりと読むこと。こうすることで、どの辺が重要なところであるかわかるので、あまり関心のないところは飛ばして読むことができる。 ポイントと思ったところは、線を引くのだが、一般に線を引く場合は、縦書きの文章なら右側に、横書きの文章ならアンダーラインということになるかもしれないが、林先生の方法は、縦書きの文章なら、各行頭の上を横に、横書きの文章なら、各行頭の左側を縦に線を引く、というものだった。なるほど、これならば、人目で線のありかがわかるので、読み返すときに重要なセンテンスを発見するのが早い。そして、鉛筆の芯の節約にもなる。 ただし、重要なのは、この時点では、かなり大雑把に線をひくことだ。 重要かどうかを一々判断するのではなく、少しでも気に留めたら線を引く。 最近では、齋藤孝の「三色ボールペンで読む日本語」(角川書店)が評判をとっているが、さすがにボールペンで本に書き込むのは勇気がいる。

 この読み方を終えたら、さらに3回目の読書になる。これは、その日のうちでなくてもいい、何故なら、3回目の読書のときは、2回目に線を引いた部分だけを読むからだ。そして、今回はじっくりと読む、わからない言葉は辞書をあたり、自分の感想なども余白などに鉛筆で書いておく。 そして、いよいよ重要だと思った部分は、さらに線を引く。この場合、2回目の読書のときの線と区別するため、線のスタートをクルっと丸めてからスタートする。 当然、線分の長さは前回よりも短くなるし、ポイントが絞られることになる。 2本の線が引かれているところは、その本、著者のいわんとしている核心部分ということだ。

 さらにである、4回目の読書が待っている。今度も2本の線が引かれている部分だけになるので、読むだけならば、本当に1冊が10分程度で読了してしまうが、そうはいかない。今度は、後に論文やレポートなどに引用できそうだったり、自分にとって感銘を受けた部分に傍線を引いていく。 つまり、先ほどまでの線と対角に引いていく。 この際、縦書きの文章ならば、一般的には右側に引く場合が多いのだが、林先生は、あえて左側に引け、という。なるほど、右側では、たとえば漢字のルビなどが邪魔になり、線で消されてしまうことになるからだ。

 最後に、林先生は、線をひいたところを「カードに書いて整理しろ」という。中大生協には、京大式カードに対抗して、中大式カードというのが販売していた。 大きさは変らないものの京大式との違いは、薄くて、京大式が横罫線だけだったのに対して、原稿用紙のように正方形のマス目が入っていたことだ。 一案件について、必ず一枚のカードに転記する。ここまでやって初めて大学生の1冊の本を読書する、という作業は完了するのだ、という。

 さすがに、昔はカード取りまで、やっていたが、最近は、図書館から借りてきた本はカードではなく、パソコンのDBに取り込んでいるし、自分で買ったものについては、一番小さくて細いポストイットを見出し代わりに貼り付けている。 これだと内容による色分けや書き込みもできるので、非常に便利だ。 図書館から借りてくる本にさすがに書き込みはできないので、こちらにもポストイットは大変重宝だ。 ポストイットの数によって、自分にとって、いい本とどうでもいい本が一目瞭然となり、ブックオフに持ち込む本はかなり客観的に簡単に選び出すことができるのだ。

 ただし、この方法には欠点があって、まわし読みができない、ということだ。読み終わった時点で、まさにマイブックというか完全なプライベートな本になってしまうので、他の人に貸し出すことができない。 自分自身の分身みたいなものなのだ。 自分のことを知っていただくには、一番ポストイットが張ってある本を貸してあげればいい、くらいなものだ。

 ときどき、電車の中で、本に鉛筆で線を書いている人を見かけるが、スタート地点にクルリと丸印を書いている人は、多分、同窓生なんだろうな、と思ってとても親近感を覚えることがある。 事実、それでまったく見知らぬ人と親しくおしゃべりをして上野駅から帰ってきたともある。 同じ本を読んでいる人と感想を共有しあうことはあっても、読書法が同じ人、というのは意外と少ないのかもしれない。 

 

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ジャニス~17歳の頃

 「ジャニス」といえば、ジャニス・イアンだったり、ジャニス・ジョプリンだったり、人それぞれで思いは違うことだろう。
 いずれも1960年代の後半から70年代を生きた人間にとっては忘れ得ないシンガーではないだろうか? 生まれたのはジョプリンが1943年、イアンのほうが1951年と違うもののデビューは同じ1967年だ。(ジョプリンはその3年後の1970年に亡くなった。)

 同じ”Janis”という名前をもちながら、ジョプリンはシャウトすることによって自分を表現し、イアンは母親が我が子に語りかけるような歌い口で、文字通り、我々に慰安を与えてくれた。 キャロル・キングほどのメッセージ性はなかったかもしれないが、それは、やはり彼女が16歳(1967年)でデビューした後、17歳で結婚、子供をもうけ、離婚、また結婚という波乱万丈の人生を歩んだからこそ、生まれた名曲”At Seventeen”「17歳の頃」(1974年)だったのだと思うのだ。 
 この曲がラジオのスイッチをひねればAMだろうがFMだろうがNHKだろうが民放だろうが流れなかった日はない、といった頃、僕は高校1年生だった。

 「ジェシー」「恋は盲目(”Love is Blind”)」「Shall We Dance?」と彼女のヒット曲は続くが、嬉しかったのは、彼女の英語が僕に十分に聞き取れるほど、ゆっくり、鮮明だったことだった。だから、タモリ倶楽部の空耳アワーに、ジャニスの歌は出てこない(?)(少なくとも僕が見たときは・・・)

 CDクラブで南沙織の懐かしい名前を見たのは昨年の12月だった。南沙織のCDの発売ではない。ジャニス・イアンのベスト盤の紹介のための文章をクラブ会報に寄稿したのだった。山口百恵は僕と同世代だが彼女の復活は望まない。南沙織~シンシアの復活というか、彼女が70歳になった頃に歌う「17歳」を聴いてみたいものだ。そして、ジャニスが70歳になったときに歌う「17歳の頃」も・・・。 でもオバサンを通り越してオバアサンになった森高千里のミニスカート姿で歌う「17歳」は多分、見たくないだろうな。

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天才の誕生日

 今日1月27日はモーツァルトの誕生日。今年は生誕250周年で、さまざまな記念行事が各地で行われる。 没後200周年のイベントが目白押しだったことが、まだ記憶に新しいところなのに、と思ってみれば、確かにモーツァルトは35年しか生きていなかったのだ。

 若い頃、そう、高校から大学にかけて、いや、多分、就職して4、5年は、モーツァルトは全然好きになれなかった。あまりにも明るい、浮かれすぎの音楽のような気が、まして、幼少の砌より「天才」「神童」とよばれた人間など、平々凡々の履歴書しかかけない人間が好きになれる筈もない。 「短調のモーツァルト」という言葉があるが、例外的にレクイエムや、40番のシンフォニーみたいな短調の音楽は聴いていた。 

 大学時代の親友だったT君は、「モーツァルトの音楽を嫌いだなんていえる人間がいること自体、信じられない」と目を白黒させ、大学入学時は、クラシック音楽なんて大嫌い、演歌の道一筋だったSも卒業後、クリスチャンである恋人と付き合って、賛美歌なんぞを歌う出したかと思ったら、いつのまにやらモーツァルトにどっぷりとつかってしまい「人生60年として、そのうちの20数年をモーツァルトを知らずに生きてきたことが悔しい」と、単身赴任のニューヨークから年賀状を書いてよこした。

 私が彼と彼の音楽をこよなく愛し始めたのは、実は、結婚して長男が生まれてから。ようやく、自分ながらに心の平静を取り戻した辺りからだろうか。 ああ、普段から、こういう気持ちになっていないとモーツァルトの音楽から拒絶されてしまうのだな。 と気づいたものだった。 一年も経たないうちに、「一日一回アマデウス」「モーツァルトさえ、流れていれば、あとの作曲家はいらない」なんてことを言いだしたくらいである。

 

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吹雪の中の宙ぶらりん

 朝、9時前から雪、といっても半端な雪ではない。最初は風花かな?と思っていたら、あというまに吹雪みたいになってしまった。天気予報は「晴れ」なのに・・・。それも、雪が風にあおられて地面から跳ね返って斜め上に舞い上がってくるのだ。

 雪がまるで生命あるもののように左に右に舞い上がっている。 サッシのガラス越しに雪と自分の魂がシンクロしている不思議な時間だ。 ここにこうして降っている雪はいったいどこを飛んでいる雪雲から舞い降りてきたものなのだろうか?

 わざわざ、青森県金木町まで出かけなくても地吹雪体験ができるとは、もうビックリである。東の空には雲の向こうに太陽の輪郭がくっきりと見えるというのに、あっという間にあたり一面真っ白になった。こんな体験はスキー場以外ではなかったことだ。

 随分と昔のこと(多分、22,3年くらい前かな?)になる。 福島県のあだたら高原に日帰りスキーに行ったときのことだ。ちょうど低気圧がきていて、今日のように猛烈な風と雪に見舞われた。 リフトに乗ったまま、30分以上も宙ぶらりんで過ごした経験がある。

 強風が吹きつけるたびにリフトがユラユラ横揺れして、実にスリリングな気分を味わったものだ。 基本的に遊園地でも回転系のアトラクションに弱いこともあって、かなり動揺してしまったものだが、ペアリフトの傍らには当時つき合っていた彼女がいる。
 「無様な格好は見せられない。」
 こういうときにスキーの場合、ゴーグルやフェイスマスクで恐怖に引き攣った表情を隠すことなど容易なこととはいっても、あきらかにソワソワ落ち着かなくなっている。 このまま落下したら、彼女の下敷きになって彼女を救おうか、いや、それよりも、じかに雪面に落ちたほうが彼女の怪我は軽いかもしれない、彼女の上に落ちることだけは避けなければ、などということまで心配しているのに、彼女のほうは、「そのうち、動くわよ」と、遊園地気分で鼻歌など歌っていて動じる気配はない。 

 ざっと数えたところ、40数人が同じように不安げな面持ちで宙ぶらりん状態である。スキー場の係員の人が「オジサンたちも早く復旧するように頑張るから、元気を出してしっかり掴まっていてくださ~い。」と下のほうから拡声器でどなっている。我々を勇気づけるためかどうか知れないが、それまで場内にかかっていた音楽がユーミンから、急に鶴田浩二の歌う軍歌になっている。まるで右翼の街宣車だ。きっと、リフト小屋のオジサンがいつもカセットで聞いているのだろう。
「♪あ~ あ~ あの顔で~ あ~の~声で~・・・」 いかにも東北の温泉地のスキー場という感じだ。
「おいおい、俺らは特攻隊かよ。(冗談じゃない!)」

 動き出したかと思うと、10秒くらいでまた停止、そんなことを何回も繰り返し、30数分後、やっとのことで助かったのだが、結局、その後、雨が降ってきて、風もやむ気配がなく、雪崩の危険も出てきたため、スキー場の営業はそこで打ち切り。 彼女の遅刻で到着したのが遅い上に、ゆっくりとランチをとっていたためにゲレンデにいた時間は1時間少々。
 車の中では、無言の彼女のふくれっ面。 
  「3月にスキーなんか来るもんじゃないわね。」
  「ご、ごめん・・・」
 でも、「今度スキーに行かない?」っていったのはアンタだろ! 寝坊して1時間も遅刻してくるなよなあ・・・。 フラストレーションだけが縦横無尽に脳内ゲレンデをすべりまくったスキー日帰りツアーとなったのであった。 

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ああ手帳様

 あたり一面の田畑が雪化粧して真っ白に輝いていました。近所の子どもたちでしょう。その中で、雪合戦をしていました。 外で遊ぶ子ども達の歓声を久しぶりに聞いたような気がします。 子どもは風の子、という言葉も随分久しく聞いたことがありません。 使われなくなった日本語の一つなのかもしれません。 「ゆき」という童謡に歌われている「犬は喜び庭駆け回り 猫はコタツで丸くなる」というような光景も、最近の犬はコタツで顔だけ出して昼寝していたり、外に居たとしてもご主人様のものよりも高価そうなフード付のレインコートなんぞ着せられて駆け回るどころの騒ぎではない。

 昨日作られたものでしょうが、形の崩れた雪だるまが、太陽を浴びて、必死になって姿勢を保とうと頑張っている光景。 そういえば、日向ぼっこという行為は寒がりな雪だるまにとっては自殺行為と同じなんだな、なんて普段は考えそうもないことを考えてしまう。 めったに雪を見ることのない土地に生まれたものにとっては、こんな非日常の光景がニワカ詩人の詩情をかきたてるものなんですね。

 それにしても、その雪野原の上を渡ってくる季節風(この辺りでは赤城おろし、と呼んでいます)の何と強く冷たいこと。 手袋をしない手ではカメラのシャッターを押す気力もおきませんでした。 両方の腕が筋肉痛で、「ありゃ、なんでこんなに腕が痛いんだろう。昨日何かしたっけか?」 数式を愛した博士じゃないけれども、80分前の記憶がおぼつかない、というか昨日の朝何を食べて、どんな仕事をしたっけかな? いちいちメモしなければ覚えていないような感じです。 パソコンのせいで最近、漢字はやたら度忘れするし、昨年受験した昇進試験の論文でも頭の中になかなか出てこない漢字たちに随分と気をもまされたものです。

 背広一杯にメモをぶら下げるようなことはないものの、実は職場に手帳を置いてきてしまったようで、朝から妙にソワソワ落ち着かない。 以前の職場で一緒になった女の子が携帯電話を家に忘れてしまい、「不安で不安で気が狂いそうだ」と漏らしていたのを鼻で笑っていたのだが、今の若者たちは携帯電話が友人との交流する唯一の手段みたいになっているので、周囲にたくさんの人間が働いていて、話しかけてきても、携帯電話がないと、無人島に取り残されたように感じるのだそうですね。 

 私は携帯電話はかなり初期の頃(かれこれ10年目を迎えている)から使っていますが、特段、携帯していなくてもさほど不便も感じないし、不安な気持ちに苛まされることもありません。 しかし手帳だけは手元にないと不安になってしまいます。 手帳でなくてもいいのですが、なにかメモをする筆記用具と紙がないと正直、どこに居ても落ち着かない。 備忘録としてのメモではなく(結論としてはそうなるのだが)、思いついたことを書き留めておくためなのだが、だからといって、そう次々とアイデアが浮かんでくるほどリソースフルな頭の回転はしていない。 本当に極たまに、そういう状況になる時に、手帳がないと、大変なのだ。 「紙、紙はどこかにありませんか? それと鉛筆も」 慌てまくって探しているうちに忘れてしまう、ああ、なんともったいない。 そして、手帳を携帯していなかったことを後悔して、その後「もう何もすることない」モードに陥り、今日みたいな「どこにも行きたくない」暗い一日になってしまうのである。

 ちなみに、前述の崩れかけた雪だるまを見ての印象については、携帯電話のメモフォルダーに慣れぬ手つきで入れておきました。

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冬のソナタ~雪の日のピアノコンサート

 大学入試センターの日は本当によく雪が降るものだ。今年は特に息子が受験するので、昨日から「雪に関する情報」には気をもんだし、雪かきをやらなければ、という問題もあって、気が気ではなかった。かなり雪が舞ったものの、新潟県のような大事にいたるほどの積り方ではなくてホッとした。これくらいの雪で何だかんだ言っては、本当に日本海側の皆さんに申し訳ないことだ。

 田間宮生涯学習センターで、地元の作曲家・室谷章(むろやあきら)さんのピアノリサイタルがあった。本当は、クレアこうのすという市の文化センターで、落合恵子(「あなたのレモン落合恵子」も還暦を過ぎたようだが・・・)の講演会もあったのだが、雪だったし、副館長さんに折角整理券を確保してもらったので、コンサートに行くことにしたのだ。

 雪が小止みなく振る中ではあったが、かなりの聴衆が集まり、盛況であった。 残念ながら会場がコンサートに向く、とは決していえないところ(特に防音とか照明とか)であったが、奏者と聴衆が同じフロアで、ピアノをグルッと取り囲むような配置で、座席がゆったりと設けられていたので、あれはあれで、アットホームな雰囲気でよかったかも知れない。

 室谷さんは地元出身で芸大の作曲科を卒業した新進気鋭(34歳)のピアニストで、昨年はニューヨークのカーネギーホールでも自作のピアノ曲を披露してきたそうだ。CDも2枚リリースし、よくこのセンターのロビーなどのBGMとして使われているらしい。

 プログラムは、バッハのプレリュード(平均律クラヴィーア曲集)で始まって、前半はモーツァルトのトルコ行進曲とK189番のピアノソナタ(第二楽章)、ベートーヴェンの悲愴、後半は室谷さん自身の作曲したオリジナル曲と編曲したミュージカル、それに即興演奏などだった。途中で、室谷さん自身による曲の解説や副館長さんとのミニトークなどもあり、非常にバラエティに富んだ内容で飽きなかった。

 前半のクラシックステージは、緊張のせいか、ミスタッチが目立ったものの演奏解釈自体は大変新鮮な感動を覚えた。かなりテンポを意図的に揺らしていたような感じで、これまで聴き慣れたフレーズなのに新しい魅力が溢れていた様に思う。作曲家の意図したものを忠実に再現するテキストのような演奏というよりも、やはり、本来が作曲家であるだけに、「自分だったらこうするな」みたいな解釈が随所に見られ、これはこれで大変面白かった。これだから、クラシック音楽鑑賞はやめられない、というものだ。

 後半は、お得意の即興演奏から入ったせいか、前半と比較して「これが同じピアニストか」と思われるほど、どっしりとした自信に満ちた演奏だった。もちろん、自作自演なのだから「俺がレフェリーだ。文句あるか?」みたいな感じ(デビュー当時の吉田拓郎や泉谷しげるみたいなもんだね。)で、こちらも安心して演奏に身を委ねることができた。ああ、これは文字通り、彼の言葉、心が乗り移って旋律になっている、という気を強くした。 こう結論付けてしまうのは尚早かもしれないが、やはり彼はピアニストではなくてコンポーザーなのだ。「楽譜は僕の頭の中にある、実際の紙には書いていない。」というのも、彼が言っているように「面倒なことになる」というよりも、どうなのだろう? 彼が楽譜にしたものを他のピアニストがどう解釈して演奏するのかが怖い、ということもあるのではないだろうか? 作曲家というのは、そこのところを理解してふんぎならければならない宿命を負っているのだ。

 アンコールに「冬のソナタ」をモチーフにした即興演奏を行ったが、雪の降る情景を写す窓ガラスをバックに(実際はカーテンが引かれてあったが)聴く「冬ソナ」のテーマはまさに心憎い演出であった。 こんな楽しい気分にさせてくれるコンサートが、ご近所で、しかもタダで聴けるなんてありがたいことだ。 ここのところ、生の演奏に飢えていたからな・・・。

 

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霜柱

 今年は雨が少なくて乾燥しているせいだろうか? 朝、新聞をとりに門のところに出かけていって、ちょうど新聞受けの真下あたりに、いつもの冬なら霜柱ができるのだが、寒い寒いと言う割には全然見かけない。どんなに寝ぼけていてもザクザクっと霜柱を踏みしめる音を聞くと、目が覚めるものだ。

 正月に富士山に冠雪が見られなかったのが、マグマが山頂付近まで上昇して富士山自体の温度が上がったからではないか? 噴火が近いのではないか? と噂されていたが、本当のところは、雪自体が全然降っていないからだ、ということだそうだ。 ということで、霜柱ができないのも、雨が降らないからなのだろう。 決して、我が家の地面の温度が上昇しているわけではない。

 「少ない」といえば、スギ花粉も去年の一割程度だとか? それをテレビのニュースで聞いたとたんに、2,3日前から花がむずむずしていたのが、ケロリと直ってしまった。 現金なものだ。

 明日は雪が降るそうな。 職場の駐車場の雪かきが待っているのだろうか? 2,3日もすれば、職場の駐車場から職員用の通用口までの細長い土の道の部分に、霜柱ができそうである。

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博士の愛した数式

 今年、最初に読んだ小説は小川洋子の「博士の愛した数式」(新潮社)だった。年末年始に読む本を図書館で借りてきた中の一冊だ。他には小澤征良の「終わらない夏」(集英社)と前川麻子の「明日を抱きしめて」(新潮社)を読んだ。 

 実は、三冊とも初めて読むのではない。去年、読んだ本の中で連休を利用してもう一度じっくりと読んでみたいと思ったものだ。「博士の愛した数式」は映画になるというのもあったが、昨年読んだ本の中では一番印象に残ったのだ。実は小川洋子の小説はデビュー作というか芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」から読んでいる。読みたいと思った動機は極単純。新聞に載った彼女の写真が大学時代にちょっと淡い恋心を抱いた2つ年上の同級生の女の子に似ていたから・・・(*^_^*)。 

 その彼女も実は小説を書いていて、同い年で「海を感じるとき」で群像新人賞を受賞したばかりだった中沢けい(当時、確か明治大学の夜間部に在学していたの)にライバル心を燃やしていた。

 彼女とは同じゼミだったし、たまたま夏休みの課題で同じテーマについて共同研究をしていた関係で、彼女の郷里の浜松のバイト先である松菱デパートまで押しかけて、レポートの仕上げをやったりしたが、4年生になったあたりから、いつも図書館にこもっては、卒論そっちのけで、「私も新人賞をとるんだ」と小説の執筆にいそしんでいたものだ。

 卒業後、どうしているのか?と思っていたところに、平成2年の芥川賞を受賞した小川洋子の写真をみて、「あ、彼女だ」と思ったのだが、プロフィールを見ると、早稲田の一文卒ということだったので、まったくの別人であった。

 前置きが長くなったが、以来、そういう縁あって小川洋子の作品はほとんど読んでいるのだ。ぼくは彼女の作品には、おどろおどろしい人物が登場するものの、極悪非道の悪人というのがまったく出てこない、最後はみんなが幸せな雰囲気で終わる、そういう点で、モーツアルトのオペラみたいな感じだ、と思う。モーツアルトのオペラの中では、人が殺されない。 いろんな事件はおこるものの、フィナーレではみんなが幸せになる。 そういう意味で、今回の「博士の愛した数式」もほんわりとした幸福感に浸って終わる点で、いかにも小川作品らしいといえるのではないか? なによりも、彼女が取り上げるテーマがなんと多岐にわたっていることか。 どれも、あまりこれまで他の作家がテーマとしてこなかったもの、小説の世界になかったものを小説とコラボレーションさせるような手法は見事だ。 いったい、誰が、文章と数式を同列に小説の中で扱っただろう?

 映画の博士役は寺尾聡がやるみたいだが、去年ぼくが読んだあと、もしこれを映画化するなら、柄本明にやってほしいなあ、家政婦・杏子の役は、宮崎美子がいいかも、なんて考えていたのだが、確かに、宮崎美子では、残念ながら年齢があわないかも。

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カメラは口ほどにものを言う

 昨夜のことになるが、ライブドアの問題と、構造計算書偽造問題での国会の承認喚問の問題で、各TV局のニュースでの対応が興味深かった。特に際立ったのが、例によってNHKとテレビ朝日。ニュース10(NHK)がライブドアの問題を、それほど独自調査したような内容の記事はなかったにも関わらず、かなり時間を割いて取り上げていたのに対して、報道ステーション(テレビ朝日)は、かなりつっこんだ内容で、国会証人喚問を掘り下げていた。 

 NHKがなるべく、政府与党、とりわけ小泉首相の出身派閥である森派の国会議員の問題となってきたのを意図的に避けているような感じだったのに対して、テレ朝は徹底的にこの問題を取り上げていくぞ!みたいな姿勢が前面に押し出されていて、思わず引き込まれた。というより、テレビ朝日が、ライブドアの問題を過小に評価しているような気もしたのは、今日になって、これだけ大きなニュースになってきたのを考えると疑問。さては、すでにテレビ朝日の株式をホリエモンに買い占められていたのだろうか?とさえ、危惧される。

 NHKで印象的だったのが、証人の小嶋進ヒューザー社長が右手にしていた数珠をアップで2度ほど写していたことだ。 北側一雄国土交通大臣(公明党)はもちろん創価大学卒業だから創価学会員。国交省とヒューザーの仲介役を務めた山口那津雄議員(公明党)も姉歯元建築士も学会員だから、あるいは小島さんもそうなんでしょうね。と思っていたのだが、このNHKの映像で「ああ、やっぱりね」とうなづいてしまった訳だね。

 アナウンサーは、特に一言もこの件については、触れていない(触れられない?)のに、カメラワークだけで暗示させてしまう。 ある意味、このNHKのカメラマンとディレクター、かなりやるじゃない! NHKの民営化? やる必要ないって! 立派 立派!

 

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鬼鬼ライスの正体

 もうすぐ節分である。節分といえば「鬼」である、というのはいくらなんでもかなり気が早いけれども。

 学生時代に一人暮らしをしていた調布市の隣に府中市というのがある。かつて、在籍していた合唱団の練習が府中市内の文化センター(公民館、府中市では文化センターとか地域センターとか呼んでいた)を利用していた関係で、よく、府中市内の飲み屋で仲間たちと管を巻いたものだ。

 今でもあるかどうか、わからないが「樽平(たるへい)」という居酒屋が府中市内に何軒かあって、確か、山形県の地酒に「樽平」というのがあるので、その関係する店だと思うのだが、とにかく、安くて、学生の身分には大変、ありがたかった。 非常に健全な店で、夜の10時には店じまいをしてしまうのだが、9時30分を過ぎるあたりから、その日に仕入れたり、作り置きしておいたつまみを「これ、サービスですから」と、適当にカウンターに座っているお客にちょこちょこと出してくれるし、その日に蓋を開けてしまった、一升瓶やウイスキーも「どうぞ、飲んでください」とドーンと出してくれる。だからといって、9時半ごろに店に入っても、カウンター席は空くべくもない。7時くらいから我慢強く座っていないと、その恩恵にはありつけないのだった。

 確か、3年生の冬、卒業生を追い出すフェアウェルパーティーで歌う曲を練習した後だったので、多分、節分の頃だと思う。 同じパートの連中7,8人を引き連れて、件の店に8時過ぎに入店した。当然、この人数ではカウンター席は座りようもない。とりあえず、私の入れたボトルがあった。 確か、ニッカのノースランドという安いやつだった。
(後輩たちを連れて行く店はノースランドで、クラスの仲間や女の子と行く店は吉祥寺のニッカウヰスキーの直営店で、そこには「黒の50」と「G&G」が入れてあった。) あの頃は、焼酎ブームのかなり前だったので、水割り、といえばウイスキーだったし、レモンを浮かべたお湯割りなんかも流行っていた。

 で、1年生が全員の分、水割りを作ってくれて、乾杯をしたあとに、おつまみを頼む段になって、福岡県出身のK君(1年生)が、「先輩、あそこのホワイトボードに書いてある、本日のお勧めメニューの『オニオニライス』って食べたことありますか?」と尋ねるのだ。
 「そんなもの聞いたこともないなあ、節分シーズンだし、季節限定メニューかもしれないなあ」
 「そうすね、もしかしたら、『オニオニ』だから、単におにぎりが2つ並んでいるだけかもしれないすでね」
 ものは試し、ということで、早速、「オニオニライス」を注文することした。

 アルバイトと思しきお兄さんに「すんません。焼き鳥の盛り合わせと、野菜スティックとそこに書いてあるオニオニライスを3人前ずつ、お願いします」
 「は~い、毎度ありがとうございま~す」
と言って、彼はカウンターの奥のほうへ注文を繰り返す。
 「おあと、盛り合わせとスティック、オニオニライス各3丁で~す」
 「あ~りがとございま~す。」
 カウンターの中から威勢のいい声がかえってきたので、私たちは、まだ見ぬ食べ物オニオニライスについて、ますます真剣にあれこれとイメージを膨らますことになったのである。

 未知との遭遇を待ちわびるワクワクドキドキの時間が過ぎ(初めて東京ディズニーランドのスペースマウンテンに乗る前みたいだったなあ・・・)て、焼き鳥と野菜スティックが運ばれてきたものの、なかなか肝心のオニオニライスが姿を見せない。いやがおうにもその期待は高まるのだが・・・。

 やがて、例のお兄さんが、カウンターの中に呼ばれて、なにやらヒソヒソ話をしている。やがて、彼が運んできたものは、お皿に玉ねぎの刻んだものがこんもりと盛られた上に、鰹節がパラパラとかかったものだった。

 (これのどの辺が『オニオニ』なのだろう? 第一、ご飯が見当たらないぞ・・・)

 お兄さん、好奇心あふれる私たちの視線を一身に浴びて、やおら、ホワイトボードに向かって、オニオニライスを消した上から何かを書きなぐり始めた。

 「オニオンスライス」

 「?」 確かに、目の前にあるのは「オニオンスライス」だった。

きっと、慌てて、書き間違えたのだろうが、いやはや、なんてこったい。

 実はこの店では、えらく達筆な店員さんがいると見えて、その後も 「オメコボシ」 ⇒ 「ナメコオロシ」 事件が起きるのだが。 この時も一緒にいた1年生のKは、必死になって笑いをこらえて注文をしようかどうか、皆に相談をした。 私は当時、なぜそんなに面白いのか理由がわからず、ひとり、ポカンとしていたが、同じく九州男児(大分県出身)のA君に、耳打ちされて、ようやく笑いの渦に加わったものだった。 

 いくらなんでも、ねえ・・・。

 

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1月10日に生まれて・・・

今日は誕生日休暇で(?)、仕事はお休みでした。(偶然、勤務先の休日が重なっただけです。)

47歳・・・ あと1年生き延びると 死んだお袋と同じ年齢になってしまう

亡くなった母が雪が降る度に言っていました。
「お前が産まれたときは、朝の5時過ぎ、それは寒い日で雪がちらついていたんだよ」
 もちろん、出産の当事者である母親はそれどころではなく、お産婆さん(助産婦)に後で聞いた話だったそうですが。 昭和30年代は、みんな自宅、あるいは母親の実家で、お産婆さんが子どもを取り上げたものです。今は、ほとんどの赤ちゃんが産婦人科の分娩室で出生するのでしょうから、正確に言うと、出生地はみんな病院の住所ですね。 ですから、私みたいに、出産に間に合わない不埒な(笑)父親が出てくるんです。もっともウチの場合は、病院から連絡が来てから、いずれも、すぐにかけつけたのですが、先生が驚くほどのスピード出産で、3人が3人とも結局、間に合いませんでした。(一度、産室の前の廊下で、行ったり来たりうろたえる父親を演じてみたかったのですが・・・)

 さて、「1年の計は誕生日にあり」ということで、床屋に行ってから初詣に出かけてまいりました。(全然関係ないってば・・・)
 いきなり、床屋のマスターに「最近、太りましたね」とカウンターパンチを食らってしまったが、確かに、年末の休みを挟んで4キロ太ってしまった。今年の正月はそんなに暴飲暴食をしたわけではない。つまり、運動不足なのである。風邪気味なうえに、例年にない寒さも手伝ってか、持病の腰痛も感じているため、暇があれば寝ていたせいもあるのだろう。

 初詣は、例年通り、大宮の氷川神社に行ってきたが、この時期で、かつ平日なのに結構御参りに来ている人が多くて驚いた。息子が受験ということもあって、いつもより余計にお賽銭を奮発した。思えば、息子のAO入試のときに合格祈願にお参りしたのは、江南町にある文殊さまというところだったが、考えてみると、神道系の國學院大學の合格祈願を、いくら智慧を司る菩薩として信仰を集めている文殊さまといっても曹洞宗の寺院であるから、頼むほうが知恵がなかったものだ。合格するはずがない、日頃は偉そうにああだ、こうだと講釈をぶっている割には肝心なところで駄目親父、と自ら反省しきりである。

 今日も、氷川神社の奉納処にかけられている絵馬を見ると、ヒドイものでは、いわゆるJALとよばれている上智大学・立教大学・青山学院大学の合格祈願や、渋谷近辺の大学狙い撃ちみたいな青山・國學院・駒澤合格みたいな三宗教一体型受験生まで見られたりして、かなり宗教にはいい加減な国民性が表れているなあ、という感じだった。考えてみると、JALにしても上智はカトリックのイエズス会、青山はプロテスタントのメソジスト派、立教はアメリカ聖公会と別々の宗派なのだから、これを3つ一遍に受験しようといういう人は私にしてみれば「かなりいい加減」である。(とはいっても、うちの息子も國學院以外に駒澤も受験しようとしているから、あんまり偉そうなことは言えないが・・・)
 そういえば、合格祈願に霊験鮮かなキリスト教会なんて聞いたことがないし、そんなもの探すのも阿保かいな、てな具合なのだろう。

 思い起こせばキリがないが、私が大学時代に住んでいた東京都の調布市では、アパートの近所のお寺が経営している幼稚園でクリスマス会をやっていてビックリしたものだが、そのうえ、サンタクロース役が、そこのお寺でよく見かける若いお坊さん(多分、住職の跡取り息子)だったのに二重に驚いたものだ。 内緒でクリスマスパーティーを毎年やっている創価学会の若手有志たちの話も友人から聞いたりしたことがあったし、そんなものなのかなあ、という感じだった。 まあ、クリスマスに宗教色を感じている人は本当にわずかだし、ほとんどの人が感じているのは宗教色より商業色だろうからしようがねえなああ、ということだろう。

 ちなみに、1月10日が誕生日の有名人といえば、

高山樗牛 (1871年 評論家,思想家)、島村抱月 (1871年 評論家,劇作家,英文学者,翻訳家)、 山村暮鳥 (1884年 詩人) 、伴淳三郎 (1908年 喜劇俳優)、 森毅 (1928年 数学者,評論家) 、3代目三遊亭圓歌 (1929年 落語家) 、三善晃 (1933年 作曲家)、長門裕之 (1934年 俳優)、浜村淳 (1935年 司会者,映画評論家)、 小松政夫 (1942年 タレント,俳優) 、嵐山光三郎 (1942年 小説家)、 ロッド・スチュワート (1945年 ロック歌手)、 佐良直美 (1945年 歌手)、 あおい輝彦 (1948年 俳優,歌手)、 藤沢周 (1959年 直木賞作家)、 西山浩司 (1961年 俳優、イモ欽トリオ)、河野太郎 (1963年 衆議院議員)、林あまり (1963年 歌人)、 田中裕二 (1965年、爆笑問題)、 財前直見 (1966年 俳優)、 山口達也 (1972年 TOKIO,俳優)

とある。 
 

 藤沢周さんは1959年生まれですから、私とまったく同じ生年月日です。 まだ作品は読んだことがありませんが、なんと今日、河出書房から「さだめ」という文庫本が出るらしいので今度、是非読んでみたいと思います。 どれほど感性が違っているものか確かめてみたいものです。(それにしても、「平」がつく藤沢さんとはえらく書く内容が違うものですね。) 
 官能派(?)女性歌人である林あまりさんの作品は、あまり大声ではいえませんが、実は結構好きだったりします(あ、言っちゃった~)。 彼女の凄いところはクリスチャンでありながら、ああいう(どういうのかは、是非読んでみてください)歌を作って発表しちゃうところです。つまり、こういう

 絶対の 避妊なきゆえ 花いちりん 心離れし 日は交わらず

 一日を ともにすごせば これ以上なく ゆるやかに 欲情きざす

 みたいな、でも、これでもかなり大人しい(笑)部類です。彼女に比べると俵万智なんてまるでブリッ子(笑)。 言ってみれば、林あまりの激しさは現代版の与謝野晶子ですかねえ。初めて与謝野晶子を読んだときは、ただただ、驚くばかりでした。でも、その自由奔放な恋の歌のルーツは万葉集なんでしょうね。やっぱり・・・

 

 

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誕生日と日記帳

 正月と誕生日が近いせいだろうか? 個人的には誕生日をもって新年の始まり、みたいな雰囲気になっている。だから、日記なども1月1日からではなく、今日から1ページ目を書き出すのが常なのだ。市販の日記ではどうにも納まりがつかないので、私は中学3年生のときから普通の大学ノートに日記らしきものを書き綴ってきた。市販の日記帳だと、書き込むスペースが毎日同じ上に、日付があらかじめ印刷してあったりすると、書かない日が、白紙のまま残ってしまい、もったいないのでノートにしてみた。

 本来、毎日書くから日記だろう、ということになるのだろうが、自分としては日記というより、雑記帳程度にしか思っていない、毎日書こうとすると、オチオチ落ち着いて飲んでもいられないしね。 その日起こったこと、感じたことはもとより、その日読んだ本の感想やら、感銘を受けた言葉、ハッと閃いたアイデア、はては、気に入った新聞や雑誌の記事のスクラップ、美味しかったお店の割り箸の袋とか、店名の印刷された紙ナプキン、旅先で貰ってきたパンフレットなど、かなり雑多なものが所狭しと貼ってあったりするので、普通の大学ノートがシステム手帳のようにパンパンに膨れ上がってしまっていたりする。 いっそのこと、と考えて大学3年生のときに大学ノートからシステム手帳に切り替えようとしたのだが、あのバイブルサイズのシステム手帳という奴と親しくすることができなかった。(システム手帳はいいにしても、バイブルサイズというのが自分にはものを書き込むには小さすぎるのだ。 実際には仕事では今でも使っている。)

 このブログも日記ではなく、私にとっては電子的な雑記帳である。それも、かなり他人に見られることを前提としたものであるから、そういう意味では文芸的・創作的な要素もおおいにあるだろう。つまり、不特定多数の人が見ることを意識しながら、ということは、これはこれで相当に気を使うものだ。 知人の中にも交友関係の部分の記述などではかなり神経を使ってノイローゼになりかかったり、上司にばれて処分をくらったりした人間もいる。

 人間にはどうしても、自分の内面に秘めた部分を、ある一瞬、白日の下に赤裸々にさらけ出したい、という欲求があるのではないか? 一時期、自殺者の書いた日記が出版されて若者に共感をよんでベストセラーになる、というのが流行った。
 私が読んだものだけでも、奥浩平の「青春の墓標」と筆頭に高野悦子の「二十歳の原点」などがあるが、もちろん、自分自身はそんな大それたことを考えて書き出したわけではない。昔、深夜放送のセイヤングという番組のDJだった早稲田大学の加藤諦三先生の「高校生日記」みたいに結構気軽に考えて書いてみよう!というのが正直なところだ。だから、中学3年生のときからスタートしたわけだ。(偉く単純な発想でしょ!)

 さてさて、今日買ってきた新しいノートの一ページにはどんなことを書いてみようか?

 年末にある人からプレゼントされた正月用の松竹梅の寄せ植えの梅の花が、今朝、ようやくつぼみを開いた。夕方には二輪の花びらが開いている。 この歳になって、まさか毎日のように盆栽の世話をする(といっても表面の土が乾いたら霧吹きで水をやるだけなのだが・・・) ことになろうとは思わなかったが、これも新しい環境でのさまざまな人との出会いがもたらした一面であろう。

 今までの雑記帳であったら、こんな写真はなかなか貼れないが、さすがにブログの威力はスゴイモンです。はい・・・。P1100024

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年をとる、ということ

今日、また一つ年をとってしまった。朝食のときにそういう話をすると、
「お父さんの誕生日は明日でしょ」
高校生の息子が私の方を見るでもなく焼き海苔を醤油の皿にびちゃっとひたしながらつぶやく。
「おまえ、去年も同じこと言ったぞ。あのな、年齢というのはナ、誕生日の前の日に一つ繰り上がるんだ。年齢の計算に関する法律というのに・・・」
「ああ、そういえば、そんなこと聞いた覚えがあるよ。ゴメン、ゴメン・・・」
「それにだな、そうやって焼き海苔は食うんじゃなくて、ご飯を巻いて食べる寸前にちょっと醤油をたらして食うもんだ」
「ああ、それも前に聞いたっけ・・・」

万事が万事こうとはいわないが、息子との断絶、孤立するお父さんは辛いものだ。
もちろん、自分の高校生の頃だって、同じようなもんだったから文句の言いようもない。

今日は成人の日。どうも依然として15日にならないと成人の日という感覚が沸かない。
来年からは4月29日が「昭和の日」になって5月4日が「みどりの日」になるそうだが、またこんがらがりそうである。

私の大学時代の知り合いで、お隣同士に住んでいて、小さい頃からとても仲のよい友達だったのに、彼は4月1日生まれ、お隣さんは4月2日生まれだったので、違う学年になってしまい、挙句の果てに(というか、当然の帰結として)成人式も別々だった、という人がいた。

「同じ4月生まれなのに何故なんだろう?」 
疑問に思った彼が父親に訊いてみたら「さあ、多分法律で決まってんじゃネエカ?」
ということだったそうな。
彼が大学に入って、民法の先生に恐る恐る尋ねてみたところ、先生は「ハハ」と笑って
「要はね、昔の文部省の役人が法律の解釈を間違ったために起きた、ハプニングなんだよ」
ということだった。すなわち、「年齢の計算に関する法律」というものがありながら、学校教育法の第22条で、「子女の保護者は子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから当該子女を小学校に就学させる義務を負う」ということになっており、第44条では「小学校の学年は、四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終わる」となっているためにこういう問題が生じたのだという。
つまり、4月1日生まれの5歳児は3月31日に6歳になるので、すぐに小学1年生になれるが、4月2日生まれの5歳児は4月1日に6歳になっても、その翌日以降の最初の学年の初めが翌年の4月1日であるため、1年遅れる、ということになる。

学校教育法で、「満六歳に達した日の翌日以降における」というのが「満六歳に達した日以降における」となっていれば、この問題は発生しなかった筈であるが、これは当時の文部省の役人が、「年齢の計算に関する法律」をよく知らないまま、法律案を策定した、というのが本当のようだが、世間の一般的な常識からみて、明らかに間違いを犯しているのに、これをそのまま「これでいいんですよ」と開き直って50年以上もやってきたことは驚きに値する。

まあ、ウチの細君などは、かつて二十年近く公務員をやっていたのに、「誕生日の前の日に年齢は繰り上がる」ということすら知らなかったくらいだから呆れたものだ。(私も大学時代に彼と出会っていなかったらどうなっていたことか、だが・・・。)

よって、閏年の2月29日生まれの人は4年に1回しか歳をとらない、とからかわれたり、当人は偉く若ぶったりしたものだが、この議論は明らかに間違いということになる。

確かに、「誕生日が来て歳をとる」と考えるほうが極めて自然だと思うのだが、だからといって明日が私の47歳の誕生日であることはヤッパリ間違いない。

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帰巣本能

 いつも驚くことがある。人間の野生、というか帰巣能力というか?

 昨晩、新年会だった。細君が倒れてからというもの、外で飲む機会がなかったので、本当に久しぶりの宴会だった。今日が休み、ということも手伝ってか、かなり羽目を外して飲みまくってしまったようだ。はじめの店では西洋料理店ということでワインを飲んでいたのだが、二次会はビール、最後に残った三人で入った店では焼き鳥とお新香だけで焼酎(ジンロ?)を2本半開けてしまい、かなり不確かな千鳥足でご帰還となったのだが、どこをどう歩いたのか?まったく記憶がない。ただ、いつもの癖なのだが、飲むと必ず、アイスクリームが食べたくなる。コンビニで買ったアイスをなめながらどこかの神社にお賽銭をあげた記憶だけが断片的に残っているのだが・・・・

 ひとりの祭りには 赤いぶどう酒飲み
 まったく目出度い 目出度いとつぶやき
 アスファルトの道行く人たちに
 おめでとう おめでとう と
 ちどり足 ちどり足で

 ぶどう酒の苦さ 甘さに ちょっぴり顔をしかめ
 僕の帰るところは いったい何処?なのと
 夜明けの白けきった町に
 叫び 叫びかけながら
 ちどり足 ちどり足で

 (詩:加奈崎芳太郎)

 古井戸の歌った「ちどり足」は、まだ中学生で酒の味を知らなかった自分にとって、フラフラしている酔っ払いのオジサンたちがどんな気持ちで歩き、騒いでいるのか考えさせられたものだ。決して楽しいから、嬉しいからばかりで酒を飲むのではないこと。
 「さなえちゃん」のイメージしかなかった私は、そのイメージが本当の古井戸とはまったくかけ離れていたことを知る。 「ちどり足」と「ポスターカラー」は今でもギターを持ったときの十八番である。 ただし、やっぱり少しアルコールが入らないと、うまく歌えないような気がする。

 朝、目覚めてみると、背広やコートは部屋に散乱しているのだが、しっかりとコンタクトレンズは外れているし、パジャマにも着替えている。

 おかげで、今日一日、二日酔いで起きられなかった次第。面目ない!

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仕事始め

 今日は仕事始めである。さすがに6日間もほおっておくと、オフィスの中は極寒の世界である。今年はエントランスホールの飲料自動販売機も電源を抜いておいたので、朝一番で「ココアが冷たい」と苦情を貰ってしまった。

 本社に出向き年始のあいさつ。前にも書いたのだが、昨年の合併により、未知の顔が多くて、本当に営業活動の一環として他社の年始回りをしているような感じだ。

 昨年の源泉徴収票を見て、「ああ、やっぱり残業代がないとこんなものか?」というのが正直な感想。とりあえず、雀の涙ほどの管理職手当を貰ってはいるが、今よりも5,6年前だったらウハウハだったのになあ。

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箱根駅弁? Part2

 いやはや、本当に箱根駅弁はあったらしい。ビックリしたなあ。もう。

★箱根の駅伝弁当・★箱根味めぐり駅伝弁当

 どなたか味わった方がいらっしゃいましたら、是非、感想を聞かせて下さい。 

 駅伝の方は、駒大の5連覇成らず、あっと驚く亜細亜大学の初優勝となりました。いやはやエースや大砲と呼ばれる選手不在でも全員駅伝での勝利ということでしょうか。お見事でした。順天堂大学が往路優勝(7回目)。法政大学が復路優勝(初)。総合優勝が亜細亜大学(初)と3校が優勝するなんて。区間賞もいろいろな大学の選手がとって、まさに群雄割拠・下克上の戦国駅伝です。 箱根駅伝のデータベースを見ると、母校中大の記録が燦然と輝いていますが、往路優勝は5年間。復路優勝・総合優勝は10年間遠ざかっています。80回の出場で14回優勝しているということは、5.7年に1回優勝してるってことですから、そろそろ来年こそは、馬鹿騒ぎして気分のよいお正月を迎えたいものです。

箱根駅伝での中央大学の記録

◎出場回数 80回(第1位)  2位 日大(77回)  3位 早大(75回)
◎連続出場 77回(第1位)  2位 日体大(58回)  3位 順大(49回)
◎総合優勝 14回(第1位)  2位 日大・早大(12回) 4位 順大(10回)
◎往路優勝 15回(第1位)  2位 日大(13回)  3位 早大(12回)
◎復路優勝 14回(第2位)  1位 早大(15回)  3位 日大(12回)
◎連続優勝  6回(第1位)  2位 日体大(5回)  3位 日大・順大・駒大(4回)
◎往路・復路完全優勝 9回(第1位) 1位 日大(9回) 3位 早大・日体大(5回)
◎全区間1位完全優勝 6回(第1位) 2位 日大(2回) 3位 日体大・明大・早大(1回)
◎優勝勝率 17.5%(第2位)  1位 順大(20.4%) 3位 早大(16.0%) 

 ちなみに、第40回大会(昭和39年)の往路・復路完全優勝のとき(中大6連覇の最後の年)は、なんと、5区と10区、往路・復路のアンカー区間になって逆転して初めてトップに立ち、そのまま逃げ切って優勝、という極めて効率的・経済的・省エネ優勝だったそうです。     

 箱根駅伝を走ったことがあるという立教大学OBに2年ほど前、ある宴席でヒョンなことからお話をきく機会があった。
「中大さんの立派なのは優勝回数よりも連続出場回数だな。70年以上前の先輩から後輩に脈々と受け継がれてきた赤い襷の重さと長さ。これは凄いことだよ。そしてシード権争いではなく、毎年、優勝争いに絡んでくるんだから大したものだ。日大さんが途切れてしまって、もう、この記録だけは後にも先にも中大さんしか作れないだろうな。是非とも80回、100回と連続出場して欲しいな。俺はもうその頃は生きてないだろうけど、100回連続出場したら、連盟表彰でもして、永久シード権を与えてもいいくらい、わが国のスポーツ界の宝物みたいな記録だよ、ホント。」

 それにしても、めまぐるしくトップが入れ替わる展開にハラハラドキドキの実にスリリングな2日間でした。母校が今日の復路は14位と沈んでしまい、シード権を落とすのではないか?とヒヤヒヤでしたが、なんとか、78回連続81回目の出場が決まりました。
  実は今朝、いやな予感がしたのです。 スタートと襷リレーの度に1本づつ開けていくはずのエビスビールが5本しかない? あれ? 昨日の往路終了時には復路優勝と総合優勝時の乾杯用のも加えて7本有った筈なのに~。 
 と、思ったら、そういえば、昨日の夕方、仲人の家に年始まわりに出かけて、熱燗ばっかり飲まされて、家に帰ってきてから、冷たいものが飲みたくなって1本、風呂あがりに1本飲んでしまったらしいのです。ここのところを覚えていないというのが一生の不覚です。
 こうして、6日間の運動不足+肥育期間を経て、襷を身体に回すことが不可能なくらいなスーパー肥満腹に膨れ上がり、明日は仕事始めのスタートラインに立つのです。

位置について 用意 グ エップ (;O;)~~~!

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箱根駅弁?

 在学中はそれほどでもなかったのだけれども、日本テレビで中継が始まったのが、卒業後だったということもあるのかしらん。正月2日と3日はいつも、いくら前の晩にヘベレケに酔っぱらっていても、きっちりと箱根駅伝スタート午前8時キッカリに一本目のエビスビールが開けられ、気の長い話なのだけれども、各中継点ごと母校が襷をつなぐごとに次々とビンの王冠が抜かれていくのが、このところの我が家(正確には私の、であるが)の正月風景である。つまり、この2日間できっかり10本のエビスビールが空になっていくのである。11本目は総合優勝したときに、あるいは、往路優勝と復路優勝もセットになれば計13本のエビスビールが空になる計算なのだが、残念ながらその記録は達成されていない。

日テレで中継が始まった頃考えた駄洒落がある。 
「箱根駅で売っている駅弁を『箱根駅弁』と呼ぶらしいね・・・」
なあんてことを新年会の席で交わして、お愛想笑いを買っていたのは20年前のこと・・・

 なにしろ、在学中は箱根駅伝の順位よりも、司法試験の合格者数が早稲田にも抜かれて3位になっちゃったね~(私の入学前は東大よりも多かったなあ)。公認会計士試験の合格者数も慶応に抜かれて3位になっちゃったね~(入学前は一橋大よりも多かったなあ)、みたいな話題のほうが盛り上がっていた感じがあったので、陸上競技部の皆さん、御免なさいでした。

 元総理大臣だった海部俊樹さんは早稲田大卒ということになっているけれども、中央大OBでもあった。 文部大臣就任当時に「中大在学中、陸上部が強かったのに、授業優先ということで応援はまかりならん、みたいな校風に愛想をつかして早稲田に移った。早稲田は早慶戦のときは授業は休校になったから・・・」という感想を漏らしておられましたが、まあ、その硬派なところが中大カラー、そこに惹かれて中大に入った部分もかなりあるからねえ。

 で、今日の駅伝ですが往路3位。私が年番で神社に行くまでは1位だったのに。まあ、仕方ないでしょうね。1位と1分19秒差は確か、10年前の優勝のときよりも少ないですから明日はどうなりますかね。 あの時は、往路ゴール時点で中大は山梨学院、神奈川大学がキケンして前にいるのが早稲田だけだったので、総合優勝を確信したのですが、今年はどうなるでしょうかねえ。 私の予想では、往路は東海大学・日本大学に次いで3位というものでしたが、順位はともかく、ちょっと予想外の展開になってしまいました。まあ、この両校が前にいないということは十分に優勝の可能性は残されている、と思っていますけど・・・

 ああ、明日も熱く長い一日になりそうですウ~。 明日は6本目、7本目のエビスを飲んでみたい。ワクワク!

 それにしても、駅伝中継が終わると、あちこちでジョギングをしている人をたくさん見る(笑)んだけど、その気持ち、わかりますねえ。 映画「燃えよ、ドラゴン」を観終えた人たちが映画館から出てきた瞬間、目配りや立ち振る舞いがみんなブルース・リーみたいになるのと一緒ですよね。 ア、チョー!!!!

 こうして、将来の箱根ランナーが育っていくのですね。

 そういえば、箱根駅伝の創設に、鴻巣が一枚かんでいるらしい、という話題を田間宮生涯学習センターの副館長さんから聞いたことがあります。詳しい話は、以下のHPを参照してください。

http://www.ntv.co.jp/hakone82/11_s_01.html

 なお、当初、駅伝の折り返し点を箱根にするか、日光にするか、あるいは水戸にするかでもめたときに、箱根を主張したのが早大OB、神奈川県選出の河野一郎元衆議院議長、日光を主張したのが明大OB、埼玉県選出の山口六郎四元自民党副幹事長、いずれも駅伝ランナーとして走って故郷に錦を飾りたい、という思いだったそうですが、彼らの息子である河野洋平と山口敏夫が一緒に自民党を飛び出して、新自由クラブを結成した、なんていうエピソードも、今となっては、とっても面白いですねえ。

 ちなみに、山口六郎四の銅像が東松山の箭弓稲荷神社の牡丹園のところに立っているそうですが、箱根駅伝のエピソードについては書かれていない、ということも副館長さんが言っていました。以前、広報担当だったときに郷土史についていろいろ調べたんだそうです。

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明けましておめでとうございます!

 曇り空の新年のスタート。初日の出が拝めなかったものの、寒いことを除けば穏やかな元日だった。父の代わりに氏神である神社の年番。要するに神社の境内を掃き清めたり、初詣に来た人たちにミカンを配ったりする1年交代の当番をしに出かける。
 競馬界でも中央競馬の隆盛極まれリ、みたいな裏で地方競馬があちこちで廃止に追い込まれているように、私の地元の極めてローカル色の濃い神社などに参拝する人など微々たるものだ。退屈な半日を神社の社務所で過ごし、お昼からようやく家族全員で過ごすことができた。ビールを飲みながらほとんどテレビを観て過ごす。お笑いブームという割にはどのお笑い芸人さんも今ひとつ面白くない。というよりも、テンポが速すぎて笑いについていけない。それに、残念ながらTPOをわきまえた若手タレント皆無の状態で、正月というハレの日のテレビ出演という非日常性の高いパフォーマンスが見られなかった。
 やっぱり、正月のテレビは海老一染之助・染太郎の「オネデトウゴザイマス~!」「いつもよりたくさん回しています」がないとドッチラケではないか?
 まあ、いいや。明日から箱根駅伝モードに突入いたします!
母校の10年ぶりの優勝に期待! 
前人未到の77回連続80回目の出場を15回目の総合優勝で飾りましょう! 
テレビ観戦のお供ビールはやっぱりヱビスビールだね!
もし、明日、往路優勝でもしたら、明後日、大手町に行ってしまいそうな気がします。

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