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年をとる、ということ

今日、また一つ年をとってしまった。朝食のときにそういう話をすると、
「お父さんの誕生日は明日でしょ」
高校生の息子が私の方を見るでもなく焼き海苔を醤油の皿にびちゃっとひたしながらつぶやく。
「おまえ、去年も同じこと言ったぞ。あのな、年齢というのはナ、誕生日の前の日に一つ繰り上がるんだ。年齢の計算に関する法律というのに・・・」
「ああ、そういえば、そんなこと聞いた覚えがあるよ。ゴメン、ゴメン・・・」
「それにだな、そうやって焼き海苔は食うんじゃなくて、ご飯を巻いて食べる寸前にちょっと醤油をたらして食うもんだ」
「ああ、それも前に聞いたっけ・・・」

万事が万事こうとはいわないが、息子との断絶、孤立するお父さんは辛いものだ。
もちろん、自分の高校生の頃だって、同じようなもんだったから文句の言いようもない。

今日は成人の日。どうも依然として15日にならないと成人の日という感覚が沸かない。
来年からは4月29日が「昭和の日」になって5月4日が「みどりの日」になるそうだが、またこんがらがりそうである。

私の大学時代の知り合いで、お隣同士に住んでいて、小さい頃からとても仲のよい友達だったのに、彼は4月1日生まれ、お隣さんは4月2日生まれだったので、違う学年になってしまい、挙句の果てに(というか、当然の帰結として)成人式も別々だった、という人がいた。

「同じ4月生まれなのに何故なんだろう?」 
疑問に思った彼が父親に訊いてみたら「さあ、多分法律で決まってんじゃネエカ?」
ということだったそうな。
彼が大学に入って、民法の先生に恐る恐る尋ねてみたところ、先生は「ハハ」と笑って
「要はね、昔の文部省の役人が法律の解釈を間違ったために起きた、ハプニングなんだよ」
ということだった。すなわち、「年齢の計算に関する法律」というものがありながら、学校教育法の第22条で、「子女の保護者は子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから当該子女を小学校に就学させる義務を負う」ということになっており、第44条では「小学校の学年は、四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終わる」となっているためにこういう問題が生じたのだという。
つまり、4月1日生まれの5歳児は3月31日に6歳になるので、すぐに小学1年生になれるが、4月2日生まれの5歳児は4月1日に6歳になっても、その翌日以降の最初の学年の初めが翌年の4月1日であるため、1年遅れる、ということになる。

学校教育法で、「満六歳に達した日の翌日以降における」というのが「満六歳に達した日以降における」となっていれば、この問題は発生しなかった筈であるが、これは当時の文部省の役人が、「年齢の計算に関する法律」をよく知らないまま、法律案を策定した、というのが本当のようだが、世間の一般的な常識からみて、明らかに間違いを犯しているのに、これをそのまま「これでいいんですよ」と開き直って50年以上もやってきたことは驚きに値する。

まあ、ウチの細君などは、かつて二十年近く公務員をやっていたのに、「誕生日の前の日に年齢は繰り上がる」ということすら知らなかったくらいだから呆れたものだ。(私も大学時代に彼と出会っていなかったらどうなっていたことか、だが・・・。)

よって、閏年の2月29日生まれの人は4年に1回しか歳をとらない、とからかわれたり、当人は偉く若ぶったりしたものだが、この議論は明らかに間違いということになる。

確かに、「誕生日が来て歳をとる」と考えるほうが極めて自然だと思うのだが、だからといって明日が私の47歳の誕生日であることはヤッパリ間違いない。

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