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僕の読書法

 月曜日のみが休日となっているため、日曜日の夜になると、昔の土曜日の夜のように、すっかり脱力モードになる。 そして、月曜日はそれこそ、日もねす、と言う感じで読書三昧だ。鴻巣市の図書館は夜の8時まで営業しているので、日曜日の仕事帰りに月曜日に読む本を借りて来る。最長2週間で一人10冊までとなっているが、一日で読める量は限られている。 多くても3冊だ。

 高校時代は、電車通学の車内やホームでの待ち時間を利用して、岩波文庫や新潮文庫を読んだものだ。往復で1時間少々だったが、月曜日から土曜日まで6日間で6時間。一年間で約313時間になる。 大抵、1週間で2から3冊の文庫を読んだ。 

 大学時代は、高野悦子ばりに、1週間に岩波文庫3冊、岩波新書2冊を読んでいけば、卒業までに全巻読破できるのだ!と勢い込んでは見たが、彼女の頃とは違い、当然、文庫も新書も数が増えていたので、土台無理な話だった。

 今日は、三浦展の「下流社会」(光文社新書)と白石一文の「一瞬の光」(角川書店)、赤川次郎の「わが愛しのファウスト」(講談社)を読んだ。もっとも、下流社会は、昨日、本屋で買ったもので借り物ではない。 「一瞬の光」は昨年の夏に一度読み出したのだが、挫折して、再チャレンジしたものだ。

 大学時代に備わってしまった読書法がしっかり身についてしまっているせいか、本を読むときは、書き込みや、線を引くための鉛筆がないとだめだ。(あと、最近ではポストイット)今もあるかわからないが、中央大学の生協書籍部には経済学部教授だった林達先生の書いた「学修作法」(中大出版部?あるいは中大生協だったか?)という本が売っていて、新入生は必読みたいな感じで、例年入学式から1ヶ月くらいは山のように積まれていた。確か、600円くらいで販売していたと思う。 梅棹忠雄先生の「知的生産の技術」(岩波新書)や渡部昇一先生の「知的生活の方法」(講談社現代新書)といった類の本の一種だが、学修作法は対象を大学生に限定している点で、非常に参考になった。

 辞書の引き方については、辞書を机の左手において、必ず、左手でめくること、そして、ページをめくるときの指の位置はかならずページの上部を使うこと(おかげで、どんなに新品の辞書でも六法全書でも僕のものは、1年もするとページの上端部分が手垢で真っ黒になる)、引いた語には必ずマーカーで印をすること。など、それこそ、ノートの取り方から大学生の予習・復習のやりかた、カードの利用方法、図書館の利用の方法、はては定規を使った線の引き方、カッターナイフの使い方に至るまで事細かに解説してあるのだ。 僕はまさに目からウロコで、この本を小学生・中学生に読ませればいいと思うのだが、どうだろう?、

 読書の作法の場合、まず、肝心なのは、可能な限り、図書館で借りずに、古書でもいいから、コピーしてもいいから自分のもちものにすること。そして、目次を最初に丹念に読むこと。さらに、最初から最後のページまで一気に斜め読みをして概略をつかんでから、鉛筆を片手にじっくりと読むこと。こうすることで、どの辺が重要なところであるかわかるので、あまり関心のないところは飛ばして読むことができる。 ポイントと思ったところは、線を引くのだが、一般に線を引く場合は、縦書きの文章なら右側に、横書きの文章ならアンダーラインということになるかもしれないが、林先生の方法は、縦書きの文章なら、各行頭の上を横に、横書きの文章なら、各行頭の左側を縦に線を引く、というものだった。なるほど、これならば、人目で線のありかがわかるので、読み返すときに重要なセンテンスを発見するのが早い。そして、鉛筆の芯の節約にもなる。 ただし、重要なのは、この時点では、かなり大雑把に線をひくことだ。 重要かどうかを一々判断するのではなく、少しでも気に留めたら線を引く。 最近では、齋藤孝の「三色ボールペンで読む日本語」(角川書店)が評判をとっているが、さすがにボールペンで本に書き込むのは勇気がいる。

 この読み方を終えたら、さらに3回目の読書になる。これは、その日のうちでなくてもいい、何故なら、3回目の読書のときは、2回目に線を引いた部分だけを読むからだ。そして、今回はじっくりと読む、わからない言葉は辞書をあたり、自分の感想なども余白などに鉛筆で書いておく。 そして、いよいよ重要だと思った部分は、さらに線を引く。この場合、2回目の読書のときの線と区別するため、線のスタートをクルっと丸めてからスタートする。 当然、線分の長さは前回よりも短くなるし、ポイントが絞られることになる。 2本の線が引かれているところは、その本、著者のいわんとしている核心部分ということだ。

 さらにである、4回目の読書が待っている。今度も2本の線が引かれている部分だけになるので、読むだけならば、本当に1冊が10分程度で読了してしまうが、そうはいかない。今度は、後に論文やレポートなどに引用できそうだったり、自分にとって感銘を受けた部分に傍線を引いていく。 つまり、先ほどまでの線と対角に引いていく。 この際、縦書きの文章ならば、一般的には右側に引く場合が多いのだが、林先生は、あえて左側に引け、という。なるほど、右側では、たとえば漢字のルビなどが邪魔になり、線で消されてしまうことになるからだ。

 最後に、林先生は、線をひいたところを「カードに書いて整理しろ」という。中大生協には、京大式カードに対抗して、中大式カードというのが販売していた。 大きさは変らないものの京大式との違いは、薄くて、京大式が横罫線だけだったのに対して、原稿用紙のように正方形のマス目が入っていたことだ。 一案件について、必ず一枚のカードに転記する。ここまでやって初めて大学生の1冊の本を読書する、という作業は完了するのだ、という。

 さすがに、昔はカード取りまで、やっていたが、最近は、図書館から借りてきた本はカードではなく、パソコンのDBに取り込んでいるし、自分で買ったものについては、一番小さくて細いポストイットを見出し代わりに貼り付けている。 これだと内容による色分けや書き込みもできるので、非常に便利だ。 図書館から借りてくる本にさすがに書き込みはできないので、こちらにもポストイットは大変重宝だ。 ポストイットの数によって、自分にとって、いい本とどうでもいい本が一目瞭然となり、ブックオフに持ち込む本はかなり客観的に簡単に選び出すことができるのだ。

 ただし、この方法には欠点があって、まわし読みができない、ということだ。読み終わった時点で、まさにマイブックというか完全なプライベートな本になってしまうので、他の人に貸し出すことができない。 自分自身の分身みたいなものなのだ。 自分のことを知っていただくには、一番ポストイットが張ってある本を貸してあげればいい、くらいなものだ。

 ときどき、電車の中で、本に鉛筆で線を書いている人を見かけるが、スタート地点にクルリと丸印を書いている人は、多分、同窓生なんだろうな、と思ってとても親近感を覚えることがある。 事実、それでまったく見知らぬ人と親しくおしゃべりをして上野駅から帰ってきたともある。 同じ本を読んでいる人と感想を共有しあうことはあっても、読書法が同じ人、というのは意外と少ないのかもしれない。 

 

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