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誕生日と日記帳

 正月と誕生日が近いせいだろうか? 個人的には誕生日をもって新年の始まり、みたいな雰囲気になっている。だから、日記なども1月1日からではなく、今日から1ページ目を書き出すのが常なのだ。市販の日記ではどうにも納まりがつかないので、私は中学3年生のときから普通の大学ノートに日記らしきものを書き綴ってきた。市販の日記帳だと、書き込むスペースが毎日同じ上に、日付があらかじめ印刷してあったりすると、書かない日が、白紙のまま残ってしまい、もったいないのでノートにしてみた。

 本来、毎日書くから日記だろう、ということになるのだろうが、自分としては日記というより、雑記帳程度にしか思っていない、毎日書こうとすると、オチオチ落ち着いて飲んでもいられないしね。 その日起こったこと、感じたことはもとより、その日読んだ本の感想やら、感銘を受けた言葉、ハッと閃いたアイデア、はては、気に入った新聞や雑誌の記事のスクラップ、美味しかったお店の割り箸の袋とか、店名の印刷された紙ナプキン、旅先で貰ってきたパンフレットなど、かなり雑多なものが所狭しと貼ってあったりするので、普通の大学ノートがシステム手帳のようにパンパンに膨れ上がってしまっていたりする。 いっそのこと、と考えて大学3年生のときに大学ノートからシステム手帳に切り替えようとしたのだが、あのバイブルサイズのシステム手帳という奴と親しくすることができなかった。(システム手帳はいいにしても、バイブルサイズというのが自分にはものを書き込むには小さすぎるのだ。 実際には仕事では今でも使っている。)

 このブログも日記ではなく、私にとっては電子的な雑記帳である。それも、かなり他人に見られることを前提としたものであるから、そういう意味では文芸的・創作的な要素もおおいにあるだろう。つまり、不特定多数の人が見ることを意識しながら、ということは、これはこれで相当に気を使うものだ。 知人の中にも交友関係の部分の記述などではかなり神経を使ってノイローゼになりかかったり、上司にばれて処分をくらったりした人間もいる。

 人間にはどうしても、自分の内面に秘めた部分を、ある一瞬、白日の下に赤裸々にさらけ出したい、という欲求があるのではないか? 一時期、自殺者の書いた日記が出版されて若者に共感をよんでベストセラーになる、というのが流行った。
 私が読んだものだけでも、奥浩平の「青春の墓標」と筆頭に高野悦子の「二十歳の原点」などがあるが、もちろん、自分自身はそんな大それたことを考えて書き出したわけではない。昔、深夜放送のセイヤングという番組のDJだった早稲田大学の加藤諦三先生の「高校生日記」みたいに結構気軽に考えて書いてみよう!というのが正直なところだ。だから、中学3年生のときからスタートしたわけだ。(偉く単純な発想でしょ!)

 さてさて、今日買ってきた新しいノートの一ページにはどんなことを書いてみようか?

 年末にある人からプレゼントされた正月用の松竹梅の寄せ植えの梅の花が、今朝、ようやくつぼみを開いた。夕方には二輪の花びらが開いている。 この歳になって、まさか毎日のように盆栽の世話をする(といっても表面の土が乾いたら霧吹きで水をやるだけなのだが・・・) ことになろうとは思わなかったが、これも新しい環境でのさまざまな人との出会いがもたらした一面であろう。

 今までの雑記帳であったら、こんな写真はなかなか貼れないが、さすがにブログの威力はスゴイモンです。はい・・・。P1100024

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