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ああ手帳様

 あたり一面の田畑が雪化粧して真っ白に輝いていました。近所の子どもたちでしょう。その中で、雪合戦をしていました。 外で遊ぶ子ども達の歓声を久しぶりに聞いたような気がします。 子どもは風の子、という言葉も随分久しく聞いたことがありません。 使われなくなった日本語の一つなのかもしれません。 「ゆき」という童謡に歌われている「犬は喜び庭駆け回り 猫はコタツで丸くなる」というような光景も、最近の犬はコタツで顔だけ出して昼寝していたり、外に居たとしてもご主人様のものよりも高価そうなフード付のレインコートなんぞ着せられて駆け回るどころの騒ぎではない。

 昨日作られたものでしょうが、形の崩れた雪だるまが、太陽を浴びて、必死になって姿勢を保とうと頑張っている光景。 そういえば、日向ぼっこという行為は寒がりな雪だるまにとっては自殺行為と同じなんだな、なんて普段は考えそうもないことを考えてしまう。 めったに雪を見ることのない土地に生まれたものにとっては、こんな非日常の光景がニワカ詩人の詩情をかきたてるものなんですね。

 それにしても、その雪野原の上を渡ってくる季節風(この辺りでは赤城おろし、と呼んでいます)の何と強く冷たいこと。 手袋をしない手ではカメラのシャッターを押す気力もおきませんでした。 両方の腕が筋肉痛で、「ありゃ、なんでこんなに腕が痛いんだろう。昨日何かしたっけか?」 数式を愛した博士じゃないけれども、80分前の記憶がおぼつかない、というか昨日の朝何を食べて、どんな仕事をしたっけかな? いちいちメモしなければ覚えていないような感じです。 パソコンのせいで最近、漢字はやたら度忘れするし、昨年受験した昇進試験の論文でも頭の中になかなか出てこない漢字たちに随分と気をもまされたものです。

 背広一杯にメモをぶら下げるようなことはないものの、実は職場に手帳を置いてきてしまったようで、朝から妙にソワソワ落ち着かない。 以前の職場で一緒になった女の子が携帯電話を家に忘れてしまい、「不安で不安で気が狂いそうだ」と漏らしていたのを鼻で笑っていたのだが、今の若者たちは携帯電話が友人との交流する唯一の手段みたいになっているので、周囲にたくさんの人間が働いていて、話しかけてきても、携帯電話がないと、無人島に取り残されたように感じるのだそうですね。 

 私は携帯電話はかなり初期の頃(かれこれ10年目を迎えている)から使っていますが、特段、携帯していなくてもさほど不便も感じないし、不安な気持ちに苛まされることもありません。 しかし手帳だけは手元にないと不安になってしまいます。 手帳でなくてもいいのですが、なにかメモをする筆記用具と紙がないと正直、どこに居ても落ち着かない。 備忘録としてのメモではなく(結論としてはそうなるのだが)、思いついたことを書き留めておくためなのだが、だからといって、そう次々とアイデアが浮かんでくるほどリソースフルな頭の回転はしていない。 本当に極たまに、そういう状況になる時に、手帳がないと、大変なのだ。 「紙、紙はどこかにありませんか? それと鉛筆も」 慌てまくって探しているうちに忘れてしまう、ああ、なんともったいない。 そして、手帳を携帯していなかったことを後悔して、その後「もう何もすることない」モードに陥り、今日みたいな「どこにも行きたくない」暗い一日になってしまうのである。

 ちなみに、前述の崩れかけた雪だるまを見ての印象については、携帯電話のメモフォルダーに慣れぬ手つきで入れておきました。

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