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野球がベースボールに勝った日

 春の彼岸の中日に冷たい北風。墓参りの線香に火をつけるのに四苦八苦した。
 盆と正月、春秋の彼岸と言えば、朝から親戚がやってきて、酒を酌み交わすなんて風景が何処の家でも見られたものだが、最近は、皆が車に乗ってくるせいか、「ま、ビールでも」という光景がなくなった。そういうと我が家はかなり優等生みたいだが、なにしろ、ドライバーに酒を勧めたほうにも責任が及ぶとなると、確かにまずいと思う。
 で、今日は、WBCの決勝戦をテレビ観戦しながら、親戚の皆さんにはお茶を啜らせておいて、ひとりでグラスを傾けていたのだが、いやはや、いろいろな意味で大変な大会だった。日本が一応、世界一になったせいで、またぞろ、今年のシーズンオフにはメジャーに行きたい選手が続出するのか? それとも逆に日本でプレーしたいという選手が多くなるのか? 確かに、昔ほどメジャーと日本のプロ野球の実力差を感じなくなっている。昔、ヤクルトに助っ人にやってきてデビュー戦でいきなり三打席連続本塁打をかっとばしたボブ・ホーナーを見たときは、本当にたまげたものだ。「今まで、日本に来ていた元大リーガーの助っ人はヨレヨレの使い捨てだったんだ」と思ったものだ。
 ゴジラ松井や井口、城島抜きでもこの成績。惜しむらくは、アメリカが決勝に進めるように配慮された組み合わせ(といわれているが)のせいで、日本と対戦する機会がなかった優勝候補筆頭のドミニカやプエルトリコとの試合も見たかったですね。
 今日は「野球がベースボールを制した」記念すべき一日でありました。王監督の胴上げのときの姿勢がとても綺麗で印象に残りましたね。

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奇蹟の方程式?

 3月に入ってからずっと、我が家は重苦しい雰囲気に包まれていた。そう、長男の進学先が未定状態だったためだ。 3勝6敗。よくもまあ、こんなに受験しまくってくれたものだが、入試検定料だけで、かなりの出費だった。 おまけに、合格したのは高校から半ば強制的(サンデー毎日の合格者数の上位、すなわち太ゴシックで表記される部分に高校の名前が出るように)に受験させられたよう大学で、本人はまったく行く気無しなのだ。志望する大学に関して言えば、全敗中。 そしてこのうちの3回の不合格は同じ大学の同じ学部に三タテをくらっていた(AO入試を含めれば4タテである)、つまり本命中の本命~第一志望校なのである。 最近の入試はセンター試験やAO入試などで、志望校を何回も受験するチャンスがあるが、さすがにこれだけ撥ね返されると、本人の落ち込みようは尋常ではなかった。 中学時代からの憧れの女の子にも、これくらい果敢にアタックしていれば、ヴァレンタインデーにチョコくらい貰えたろうに、そっちのほうはまるでオクテである。

 今シーズン最後の受験、それも3連敗中の本命校(当然、偏差値も一番高い)となった試験から帰ってきた息子は、連戦連敗のため、かなり自信を喪失していて、「今日が一番難しかった」と一言力なくつぶやいたものだ。 さすがに先週10日に、本人としては滑り止めで受けたはずの大学にハネラレて、残すところは正真正銘の最後の最後の一つになってからは、親のほうとしても気が気でなく、町を歩いて、神社と見れば、所構わず賽銭をあげて合格祈願などしてしまい、「やれやれ、この賽銭代も馬鹿にならんわ」とブツブツ。  

  彼は彼なりに、チョー苦手の英語を猛烈に勉強してきたため、模試などでは結果は残せなかったものの、自分なりにかなりの感触を得ていたようだったのだが、センター試験の英語では大方の予想に違わずズッコケテしまい、それが他の試験にも影響してしまったようだ。 英語以外の平均では偏差値は65を超えていたのに、英語が40にも届かないようでは、どこの大学も合格はさせてくれない。 昨夜も最後の合格発表を前にして、昨日、ポツリと「浪人かあ・・・」とため息混じりに弱音を吐いたものだった。

 「まあ、縁がなかったものと諦めて、あと一年、英語漬けの日々を送ることだな。 おまえ、予備校なんて、お父さんも通ったことがないんだから、貴重な経験だと思って頑張りな」と明るく冗談っぽく励ましてやりたかったが、こちらも、かなり精神的にイライラしていたので、口調がキツクなってしまったようだ。 息子は私の顔を睨みつけて、力なくドアを閉めて、自分の部屋に閉じ籠ってしまったものだった。

 だが、しかし・・・ 今日、奇蹟はおきた。 9回裏ツーアウトからの逆転満塁ホームランである。 11時5分、職場で携帯がなった。 
「お父さん、浪人しなくてもいいかも知れない」
「大丈夫か? この前みたいに他の大学の受験番号だった、なんてことじゃないだろうな?」
「う、う~ん。 心配だから、お父さんも確認してみてよ」
自分でインターネットで確認したらしいのだが、まだ自信がなさそうな口調である。

 職場のパソコンを使うのは気がひけたが、アクセスしてみた。 受験番号は昨日、聞いてメモしてあった。 間違いない。 365人分の24人の中に入っていた。

「よかったな。 おめでとう。 第一志望校に入るなんて、お父さんでもできなかったんだからスゴイもんだな。」
「ありがとう。」
やっと、明るいいつもの声になった。
「お母さんと、お祖父ちゃんにすぐに知らせてあげなさい。あと、高校の先生にも」
「うん」

 「なんで私が東大に?」「偏差値30からの大学受験」等々、予備校のキャッチコピーが次々と思い起こされた。 実際の話、この大学に関しては、進研、河合塾、代ゼミなど、どの模試でも、一度も合格判定でE評価(合格可能性20%未満)から抜け出ることができなかったのだから、奇蹟とよんでもいいだろう。 「どうしても合格したい」のではなく、「この大学で勉強したい」という彼の執念が、最後の最後にドラマを演出してくれた。 曇天が一気に晴れ上がったようだった。 あるいは、神様が、そんなに、この大学に入りたいのなら、ひとつ入れちゃろか!と気を利かせてくれたのかもしれない。 賽銭も無駄ではなかったか。合格率20%でも、都合5回も受験すればなんとかなる(20×5=100?)、ということだろうか。 まあ、結果オーライ、今の受験制度は、トテモいい受験制度だということにしておこう。 
 

 話は変わるが、WBCで、再び日本は韓国に敗れた。 実力云々よりも韓国チームの「優勝よりも、日本に勝ちたい」という気持ちが、日本のそれを上回った結果だろう、と思う。 気持ち、精神力、息子は確かに、追い詰められて、最後に、初めてそこに集中することができたのかもしれない。 奇蹟を呼ぶ方程式というところかな・・・。 CIMG0021

 午後からの半日が非常に早く過ぎ、帰宅すると2月末から体調を崩していた細君が、テキパキとはいえないが、さすがに今日は、台所に立って夕食の支度をしていた。 これが特効薬となって、気分を持ち直してくれるといいのだが。 すべていい方向に・・・。 仏壇に飾ってあった達磨を持ってきて、息子が片目を入れた。 高校入試のときに買ってきたものだったが、思い適わず「大学受験のときに志望校に入って目を入れるね」と、そのままにしておいたものだった。 息子の笑顔を久しぶりに見た。 また、ちょっぴり大人になったような気がした。

 

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母よ、あなたは強かった

埼玉県は高校入試の合格発表があったようだ。
3年前のこの日は、忘れもしない。息子が友達数人と合格発表を見に行って、ひとりだけ不合格になってしまった。まったく予期せぬ結果に、慌てて仕事を休んで、預金を降ろして、私立H高校の入学手続きに出かけた。息子の母校となることが数時間前に決まった高校の事務室前には、同じように公立校に刎ねられた、と思われる親子連れが、無言のまま長い行列を作っていた。親のほうは怒ったような表情で毅然と唇を固く結んで前を直視し、子どものほうはいずれも下を向いて、首をかしげたり、他人と目を合せないようにしていた。

自分の高校入試のときのちょっとしたエピソードである。
当時、埼玉県の県立高校の合格者の氏名が地元の埼玉新聞の特別号にすべて掲載された。
だから、直接高校に行くまでもなく、キオスクで埼玉新聞を購入すれば、自分の合否などは簡単に知ることができた。現在では、このような特別号は発行されていない。埼玉新聞が一年で一番売れる日だったのだ。
しかし、その日、その新聞に僕の名前がなかったのである。僕の受験したO高校は自分の中学から一人きりの受験だったため、先生が「保護者同伴で合格発表に行くべし」とのお達しをしていたため、母親とふたりで列車に乗り込んだ。(電車でなくて「列車」というのが、自分の住んでいた町がいかに田舎だったかわかるでしょう。)
車内で自分の氏名がない、ことに気づいた僕は、がっくりと肩を落として、うつろな視線を周囲に投げかけていたのではないか? と思う。 滑り止めの私立J高校には合格していたものの、第一志望だった都内の私立K高校にはまったく歯が立たなかった。
「次の駅で降りて帰ろうか」
蚊の鳴くような声で僕は母親に言った。
「万が一、っていうこともあるから、取りあえず、行ってみようよ。ダメでもいいじゃない。お母さん、たまに都会に出て行くんだから、なにか美味しいものでも食べてからJ高校の入学手続きに行かなくちゃね。お母さん、まだ学校見たことないから」
母親としては精一杯の元気づけだったのだろう。表情は、こわばっていたように思う。
駅の改札を出て、O高校までの道のりがなんと長く感じられたことだろう。
前からやってくる受験生のグループや親子連れのあるものは嬉々とした笑みを浮かべ、あるものは涙ぐみながら母親に背中を抱えられ・・・。
ダメなんだ、とわかっていても、校門をくぐり、学生服姿でごったがえす掲示板が見えると、自然と小走りになっていた。
「514番」今でも覚えている受験番号だ。「来いよ」と高校が誘ってくれている。いい番号だと思った。 はたして、掲示板にその受験番号はあったのだ。 僕は半信半疑のまま、母親に抱きついていた。 母親の身体は思ったよりも、とても小さく、軽かったので、かなり驚いたものだ。 地獄から天国だった。 何度も掲示板と受験票を見比べた。
事務室に行って入学に必要な書類を受け取った。封筒に確かに僕の名前が記入してあった。間違いない。公衆電話で家に電話を入れた。祖母の「よかった、よかった」の声の後ろで、その半年後に他界する祖父が「うぉ~」と奇声をあげたのがわかった。
 駅前商店街の蕎麦屋で天ぷらそばを食べた。店主が母親の持っていた封筒を見て「○○高校に入ったのかい? これから、ひいきにしてくれよ」とニコニコを声をかけてくれた。店内にいた他のお客さんも「おめでとう」と声をかけてくれた。「ちゃんと勉強して、いい大学に入ってね。決して、こういう蕎麦屋さんみたいになっちゃだめよ」と店のおばちゃんが店主を指差して言った。野球部で甲子園に出場したこともあるというOBなのだという。
 2時過ぎに中学に行き、職員室のドアを開けると、担任のK先生(なんと、既出の野球部顧問兼監督である)が飛んできて、「がっかりするなよ。J高校だっていい学校だよ」と慰めてくれる。
埼玉新聞に僕の名前がなかったし、全然連絡がなかったので、茫然自失となって、どこかを彷徨っているんじゃないか?と心配していたのだという。
そうか、しまった。学校に連絡するのを忘れていた。と、いうよりも、中学には、誰が合格したとか不合格だったという情報が高校や県の教育委員会から入っているものだとばかり思っていたので、こちらとしては、慌ててしまった。
「先生、僕、合格してました。新聞には名前はなかったんですけど・・・」
「そうか。よかった、よかった。いや、お前と一字違いの名前の奴がいたんで、もしかしたら、と思っていたんだが、新聞の誤植だな。埼玉新聞に抗議しなけりゃな」
自分と一字違いの氏名が掲載されていたことは知らなかった。もっとも、どういう情報源から埼玉新聞は合格者の氏名を把握できるのか知らないが、ある高校はカタカナだし、ある高校は漢字で公表されていたように思う。
とにかく、母親の一言がなかったら、僕の母校は変わっていたし、もしかすると、多分当然だが、進学した大学も、就職先も今とは違っていたかもしれない。
う、う~ん。母よ、あなたは強かった。と20年前に他界した母親に感謝!

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ど根性!枯葉

 兵庫県の相生市の名を一躍有名にした「ど根性大根」であるが、その後、全kyoko_YD国各地から 「ど根性○○」が名乗りをあげている。 CMでも昔懐かしい「ど根性ガエル」が流れていたのだが、 ヒロシのガールフレンド役の名前を失念してしまい、職場で相応の年配の人に尋ねるのだが、みんな、「?????」なのである。知らないのではなく、顔は思い出せるのに名前が出てこないのだ。 そのくせ、山口ヨシコ先生は直ぐに思い出したりするのだが・・・。ネットで調べれば簡単なのだろうが、こういうときは「意地でも」思い出したい! と苦悩すること三日間。

kyoko_Y   結局、「吉沢京子」であることが判明したのだが、そうきくと、「ああ、確かにそうだった」と思うと同時に「柔道一直線」で一条直也(桜木健一)のガールフレンド役である「ミキッペ」を演じていたデビュー当時の吉沢京子の純情可憐な笑顔が鮮烈に思い出されるのだ。 確か、その後、映画で森田健作と競演した際、キスシーンで、どうしても唇を合せることができずに、森田健作がかなり落ち込んだ、という逸話を当時、芸能ニュースでやっていたのを覚えている。 彼女のデビュー曲である「幸せってなに?」(正直、売れなかったなあ・・・私は好きでしたけど)を小学校の修学旅行のバスの中で歌っていた私の2つ前の窓際の座席に座っていた女の子こそ、私の初恋の人でございましたねえ。(シミジミ・・・)P3100074

 で、話を「ど根性」に戻すと、今日、職場の駐車場で、ふと見ると、アスファルト舗装の上にヒラヒラ揺れるものがあったので、近寄ってみると、なんと、風に吹かれて舞い降りてきて、そのまま突き刺さってしまったのでしょうか。 一枚の枯葉が、そぼ降る雨の中、アスファルトの小さなくぼみの中に、山田の中の一本足の案山子のように歯を食いしばって独り立ちをしているではありませんか。 そのけな気ないでたちに感動を覚え、しばし立ちすくんだものです。 

 その後、雨も風も結構強くなってしまったので、まさかなんでも、と思いながら、帰りに立ち寄ってみると、なんと、まだ倒れずに頑張っていました。 アスファルトを掻き分けて芽を出す大根もスゴイけど、雨にも負けず、風にも負けず、の精神で頑張る枯葉君。 正直、いたく感動と興奮を覚え、勇気をもらいましたね。 

  

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菱餅の色

 今日はひな祭り。 クリスマスやヴァレンタインデーみたいに商売っ気に毒されていない、女の子だけの静かなお祭りといった風情だろうか。 近所の神社に母親や祖父母と思しき老夫婦に手を引かれてお参りする女の子の姿を何組か見かけた。 

 ひな壇に飾られる菱餅について電車の中で面白い話をきいた。
「次男のうちのひな壇の菱餅は上下が逆さまだ。まったく最近の若い母親は世間知らずで困る」と憤っているお婆さんがいたのだ。
 菱餅の色は通常は上から赤・白・緑の三色なのだが、この色の組み合わせは、時期的に白い雪の下には草の緑が芽吹いており、上には桃の花が咲いている様を表している、という。 次男坊の家の菱餅は「白い色が上になっていた」というのだ。

 職場で、この話をしたところ、中には緑が真ん中(上から赤・緑・白)だったりするのもあるという。 雪をかきわけて草の緑が芽吹いてきた早春の風景なのだ、という。 あるいは、白が一番上(上から白・赤・緑)のものもある。 上の白は春霞の白だという。

「人形屋さんによって違うんじゃないですか?」
「うちの旦那の実家のほうでは、黄色と白がもうひとつ混じって5色の菱餅ですよ」

 など、たかが菱餅ごときで、かなり盛り上がってしまった。

 要は3月(旧暦では今の4月)頃に雪が残っているか、どうか?という地域性がこの菱餅の色の組み合わせに反映されているらしい。という結論に達したのだが 「本当に日本の文化は奥深いものがあるものだ。」と感心していたら、

「せっかく、ここまで盛り上がったんだから人形屋さんに確かめてみましょう」

ということになった。
恐る恐る某人形屋さんに電話をかけてみると、結論としては、どういう色の組み合わせでもいいらしい。
元々は、ひな壇に草もちと紅白のもちを一緒にお供えしたなごりであり、たまたま、京都の和菓子屋さんの老舗で最初に作られた菱餅が、上から赤・白・緑だったので、それが広まったのではないか? という。 最近は本物の菱餅をあげる家庭が少なくなったのが、残念です。 とのことだった。

 それにしても、なぜ、餅ををあんな風に菱形に成型しているのだろうか? そのいわれについては、誰も「?」だった。

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好みのBOOK・OFF探し

 ”BOOK OFF”のCMに清水国明がなぜ出演しているのか?については先日のTVで「仕事のない弟のために会社の役員である実の姉がCMの仕事を回した」ということが判明したばかりだが、先日、ユニクロ鴻巣店が移転した跡の空き店舗に鴻巣市内2店目となる”BOOK OFF17号鴻巣天神店”がオープンしたのだが、実は面白いことに気がついた。というよりも以前から薄々感じていたのだが、チェーン店といっても”BOOK OFF”はどこの店に行っても同じではない、かなり個性的だ!ということだ。 ただし、ここでの話は本のことではなくて、CDのことである。

 例えば、昨日、息子の卒業式の帰りに、北鴻巣の”BOOK OFF”17号鴻巣店に寄りこんだところ、麗美の「夢はおいてませんか?」(ファンハウス FHCF-1106)が250円だった。いや、数は少ないものの麗美のほとんどのCDが250円である。これが新しくできた”BOOK OFF”17号鴻巣天神店では同じCDが750円と3倍になっているのだ。また逆にGeroge Winstonの”Forest”などは天神店では1000円だが、鴻巣店では1350円と350円高くなっている。P3020070

  まあ、品番が同じでも発売日が違うのかもしれないけれども、安いに越したことはない。以前、麗美のほとんどのCDが桶川店で250円だったのに東松山店ではすべて750円だった記憶があるし、ということは麗美のCDを売りに行くなら鴻巣店か東松山店に持って行って、買うのは桶川店か鴻巣天神店に、という法則が成り立ちそうだが、本当のところはどうなっているんだろう? ある程度、店長の裁量にも任されているのだろうか?
 CDの並んでいる棚のアーティストのジャンル毎の分類なども店によってマチマチなので、結構戸惑うことも多い。阿川泰子がジャズになっていたり、邦楽ポップスに分類されていたり、これは論外だがクラシックの棚にあったこともあってビックリした。

 地域性というか、店の客層(周辺に住んでいる住民)による違いなのだと思うのだが、実は17号鴻巣店は、僕の好みにあったCDが比較的というよりもかなり多い。特にクラシック系では中世・ルネサンス期のもの(それも輸入版が多い)それも2枚組・3枚組のセットものが充実しているし、フォークソング系のCDも多いと思う。店舗面積や扱っているCDの量は圧倒的に天神店のほうが勝っているのだが、僕の好みのCDは圧倒的に鴻巣店に多い。ということは、僕と趣味の一致する人が北鴻巣地区に多い、ということなのだろう。

 同じ”BOOK OFF”、されど違うお店! チェーン店の中での、お好みのお店探しも、これはこれで、また楽しいものです。

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赤城おろし

 この辺りでは冬の季節風を「赤城おろし」と呼んでいる。
この呼び名がどのくらいの範囲のエリアで通称名となっているのか不明だし、「比叡おろし」ほどポピュラーな名詞にはなっていないと思うのだが、北海道や東北生まれで鴻巣に移り住んだ近所の住人の皆さんが口々に「鴻巣の冬は寒くてねえ・・・」とこぼしているくらいだから余程冷たい北風なのだろう。自分も「ゴオ~」っという風の音で目を覚ましたことが何回もある。
 海音寺潮五郎の「天と地と」の中に関東管領となるべく、三国峠を越えてやってきた長尾景虎が満月の夜に赤城から関東平野の夜景を見下ろして「俺が治めるべき関東平野!」と一人感慨に耽る場面があった。シベリアから日本海を渡り三国峠あるいは谷川岳を越えてきた寒気が一気に関東平野に押し寄せてくる様は、百戦錬磨のまさに冬将軍と呼ぶべきものかも知れない。
 夜、唸りをあげて吹き荒ぶ赤城おろしに正面から対峙していると、はるかかなたの街路灯の青白い光が北風に乗って流星のごとく一直線に飛んできて、自分の身体を貫いていきそうな感じさえさせる、それほどの強い風だ。冬だけに関して言えば風力発電にもってこいではないだろうか。
 そういえば、かつて小林啓子が歌った「比叡おろし」という名曲があった。「うちは比叡おろしですねん。あんさんの胸を雪にしてしまいますえ~」というサビの部分が泣かせる歌で、ギター一本で結構様になる曲だった。 久しぶりに聴きたくなったのだが、中学生のときにパックインミュージックだったかセイヤングだったか忘れてしまったが、ゲスト出演した小林啓子が弾き語りで歌ってくれたのを録音したカセットが行方不明になってしまい(仮にあったとしても聴けるかどうかは不明だが・・・)、CDの復刻版はないものかしらん、とネットで検索したのだが、どうやらないらしい。替わりにこの曲の作詞・作曲が松岡正剛だったことを知ってビックリ。 最近では由紀さおりと安田祥子姉妹も歌っているらしい。 まあ、これはこれで良しとしよう。

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息子の卒業式

 早3月である。 枯れた庭の芝生にもあちこちに緑の葉が見えてきた。だが、今日のこの雨の冷たさはどうだろう? 衣類を通してストレートに肌に達する冷たさは、むしろ雪よりも冷酷に身に染むものだ。 そんな冷たい雨の中を、未だに進学する大学が決まらずにもがき苦しんでいる息子の卒業式に行ってきた。 自分の高校の卒業式には、自分の親はもちろん来ていなかったし、そもそも保護者席なんてなかった、と記憶しているのだが、最近は大学の入学式や卒業式まで親が押しかけて、ビデオカメラを回すらしい。もちろん、僕はビデオもカメラも持参しなかった。 学校自体には、年に2回の保護者懇談会で来たくらいで、特になんの思い出も思い入れもない。 PTAの役員として出席予定だった細君が、例によってウツ状態で気分がすぐれぬ為に、指名代打としてのお出ましとなったわけだ。

 息子の進学先が決定していれば、もう少し、晴れやかな気分で臨めたのだろうが、すでに3つの大学には合格しているものの、その実情は「80%を超える高い現役合格率」を標榜する所謂進学校としての実績作りという学校側の勝手な都合で「とりあえず、ここも受けておいてくれよ」みたいな形で受験して合格した大学が2校(なるほど確かに「高い現役合格率」であって「高い現役進学率」とは言ってないなあ・・・)。 あとは親友とお互いの志望校を相互に受けっこする約束で受験した大学1校。 なんて馬鹿な約束をしてくれるのかね。「そんなことをして、行きたい本人ではなくてどうでもいい方が合格したらどうするんだ、まったく!」と後で息子から聴いて怒ったものだが、当の本人の行きたい志望校は破竹(?)の5連敗中という状況に家族も含めて、今日のお天気のように陰鬱な毎日が続いている。こちらまでうつ病になってしまいそうだ。 

 自分の頃とはえらく様変わりした大学入試制度に、親としては最初はかなり戸惑ったものだ。 なにしろ、同じ大学の同じ学部をAO入試から始まって、センター試験だ、A方式だ、B方式だ、2月入試だ、3月入試だ、と何回も受験できるチャンスがあるのだから、羨ましい限りだ。 でも、ことごとく、それに跳ね返されてしまう息子。 なのに、まだ、あと2回もある受験のチャンス。 最初は「これだけ受験のチャンスがあるのに浪人する人間がいるなんて信じられないな」と冗談まじりに言っていたのだが、だんだん冗談では済まされなくなってしまった。 最終的には「縁がなかった、と思って諦めるしかねえな」と慰めてあげる覚悟はできているのだが・・・。 まあ、かくいう私も高校も大学も第一志望ではなかったので、決して偉そうなことはいえないし・・・。 

 とりあえず、息子よ。 卒業おめでとう! 3年間、無遅刻での皆勤賞はスゴイもんだな。 部活で足を怪我したときも松葉杖をつきながら通っただけのことはあるな。 君の卒業文集を読んで、第一志望ではなかった高校での、最初の頃の戸惑いや不安。 部活を通して得た友人たち、良き師と仰げる先生との出会い、そして、自分では受験勉強としてではなく、自らの好奇心を満たすために勉強に取り組んだこと等を知った。 知らないうちに、こんなに成長していたのだろう。 そして最後の最後に書いてあった「言いたいことは山ほどあったろうに静かに見守ってくれた父親に感謝する」の一言に思わずジ~ン。ホロリときた。僕の子育てはもしかしたら成功したのかもしれないな。 

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