« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

みどりの日の最後

 今日、2006年4月29日は今年のゴールデンウィークの幕開けの日であると同時に、最後の「みどりの日」でもある。というと、正確ではないかもしれない。高校生以下の人たちにとっては未知のことかも知れないが、いまだに自分にとっては4月29日というと「みどりの日」というより、「天皇誕生日」という印象のほうが強かったりする。

 小泉構造改革の一環としてなのかどうかは判らないが、来年から「みどりの日」は5月4日になって、4月29日は「昭和の日」という祝日になることが、昨年5月に「国民の祝日に関する法律」の改正案の可決によって決まっている。 これまで5月4日は同法によって祝日と祝日の間に挟まれた日はまた祝日とする、という条文によって、可哀相なことだが、ほとんど印象のない、名前のない祝日として受け入れられてきたのだが、これで正式に祝日の仲間入りを果たすことになった。 問題なのは、いきなり「昭和の日」がでてきたことだ。それなら、初めから「みどりの日」なんて名前を使わずに「昭和の日」にしておけばよかったのに、すでに10数年定着した感のある「みどりの日」を押しのけてまでつけるような内容なんかいな、と思ってしまう。 

 それじゃ、11月3日を「明治の日」に、8月31日を「大正の日」にしまひょ!というのなら判る。 「文化の日」を11月2日か4日にずらして連休にしてはどうだろうか? 8月31日も祝日になると、子どもの夏休みの宿題の手伝いがゆっくりできていいのに、というのは親バカの自分くらいだろうか?

 不謹慎かもしれませんが、もし、今の皇太子が天皇になると、12月23日は「平成の日」になって、天皇誕生日は2月23日になります。 女系天皇OKであったら、12月1日が「天皇誕生日」になるし、秋篠宮さまが皇位を継承されると11月30日が天皇誕生日になるし、もし、今度、お生まれになる秋篠宮家の第三子が男であるなら秋に天皇誕生日予定日が・・・。 そのうち、一年中、天皇誕生日だらけになってしまうかもしれませんなあ。

 それにしても、先般のエリザベス女王の80歳の誕生日の演出の粋なこと! 同じ年の同じ誕生日のひとを招いてパーティーなんて、なんとも心憎いこと。 日本の宮内庁では考えもつかなかったに違いない。 さすがにモンティー・パイソンの国だけのことはある。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

初めてのパソコン

 月曜日は仕事はオフである。今日は初夏を通り越して暑いくらいの陽気であった。
午前中は読書をしたり、届いたばかりの息子のパソコンの設定をやったりして過ごす。
この息子のパソコン、大学の生協の特別仕様とからしいのだが、エラク安い。
東芝のダイナブックなのだが、一般には個人向けに販売されていないSatelliteというモデル。無線LAN対応で、MicrosoftのOfficeのProfessionalとMcAfeeのVirusScanのAsap版(4年間更新付)と同じく4年間の保守サービスがついて15万円台である。法人向けなので市販PCにありがちな余計なソフトの類がまったくないので、スッキリとしている。なにしろ、東芝のダイナブックといえばノートパソコンの世界標準みたいなものだ、と自分は今でも思っている。
 僕が今、使っているパソコンは、DellのDimension4600Cをメインに、ノート型で同じくDellのInspironを主に仕事用として車に搭載し、東芝のDynabook(98SE)を自分の部屋に、Compacのかなり古いノート(Win95を98SEに上げてある)を寝室にと使い分けているが、キーボードのキーの配列が微妙に違っているので結構、苦労している。
 1982年に初めて自分のパソコンを買った。当時は、今のように家電屋で気軽に買えるような代物ではなく、秋葉原や埼玉県でも大宮あたりまで行かないと店頭にパソコンが並んでいることはなかった。NECのPC-8001mkⅡという8ビットのマシンであった。キーボードとパソコン本体が一体化していて、それに14インチのディスプレイ、カセットテープデコーダーまでをNECの純正品で、プリンタは今はEPSONとなってしまった精工舎のドット型の日本語漢字プリンターという構成だった。就職2年目の冬のボーナスすべてをつぎ込んでも買えずに、ローンを組んだ。パソコンが高かったのか?ボーナスが安かったのか? もちろん両方だった。
 当時は、ディスプレイの表示色は8色だけ。プリンタに出力するのに、CPUが全力投球してしまうため、印字中は画面が真っ黒になって、いかにも頑張っているな、という感じだった。なにしろメモリだって64Kしかなかった。
 アメリカでは、前年にIBMがMS-DOSを組み込んだPCを発売して、アップルのマッキントッシュと激しいシェア争いを行っていたが、日本ではまだまだ、BASICの時代。 NECの80シリーズか富士通のFM7、シャープのクリーンコンピュータMZシリーズが独自色を出していた。
 さて、僕の8001mkⅡだが、せっかく日本漢字プリンタを買ってきたのに、うかつにもPC本体だけでは日本語を扱えないことがわかり、慌てて漢字ROMというのをオプションで買ってきて(確かこのボードが5万円くらいした)、ようやく画面に自分の名前を表示させることができた時の喜びはもう大変なものだった。1年くらい経って「P漢」という文字通り缶詰に緑色のカセットテープに入った日本語ワードプロセッサのソフトを購入して、それまでJISコードをプログラムにタイピングして表示させていた日本語がカナ漢字変換であっというまに画面に表示できるようになったときも驚いたものだ。ただし、単語や文節で変換できずに、漢字一文字ずつ変換していかなくてはならなっかった。
 今のように市販のソフトが充実していればよかったのだが、当時はどんな簡単な計算をするのにもプログラムを自分で作らなければならなかった。
 労働組合のボーリング大会の成績をパソコンで計算しよう、と考えて愛機をボーリング場に持ち込んで、みんなの成績を打ち込んでプリントアウトさせようとEnterキーを押す。画面が真っ暗になってPCが計算を始める。考えてる、考えてる・・・、と、そのとき、電源が落ちた。ボーリング場の掃除のオバサンが、掃除機を使うために、パソコンがつながっていたコンセントからプラグを抜いてしまったのだ。当時のパソコンにはハードディスクなんてものはついてなかったし、補助記憶装置としてフロッピーディスクもなかった。計算結果をカセットテープにセーブする前に電源が落ちてしまったため、せっかく打ち込んだ120人分のデータが一瞬のうちに消えてしまった。なんて失敗も今では懐かしい。
 2台目に買ったパソコンもNECの16ビットPCの98だった。今度は日本語BASICだけではなく、日本語のMS-DOSも2枚のFDも使える。プリンタもカラーになった。 一太郎(確かバージョン3だった)とロータス1-2-3も購入した。その後、98Noteで初めてノート型PCを手に入れ、Windows95の時代になって富士通のデスクパワーとコンパックのノートを購入、Windowsが98SEになった頃、東芝のダイナブックを手にいれ、XPの登場とともにDELLの2台を購入したことになっているので、かれこれ今使っているものが8台めになる。我が家では息子のパソコンが9台目。 車が運転免許歴25年で中古も入れて5台目。パソコンは24年間で8台。車は5年に一台(今の車は8年目になるが)、パソコンは3年に1台購入している計算になる。 
 そんなことを考えながら息子のパソコンを設定し終わった。天気は上々、そうだ、久しぶりに洗車しよう。一時間後、ピカピカになった愛車を駆って銀行と郵便局に出かける。
 銀行で金を下ろして、郵便局に行くと、入り口のところで偶然にも同じ職場の人間にバタリ、おまけに中に入ると、また一人。 同じ月曜休みとはいえ、こうまで行動パターンが似てしまうものなのかねえ、まったく。
 そして無事に寄付金を払い込んで外に出てみると、あやや!雨が・・・、月曜日に洗車するとすぐ雨が降る、というパターンがここ何週間か続いている。 こうなると月曜休みの職場に勤める性(さが)としかいいようがない。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

たかが500円、されど500円

 昨日の仕事帰りに車を走らせていたところ。 見知らぬ女の人が手を振りながら急に前方に飛び出してきて、ビックリしてブレーキを踏んだ。 誰か知り合いの車と勘違いでもしたのだろう、と思ったのだが、どうも様子がおかしいので、サイドウインドウを降ろす。

 30代半ば(に見えた)と思しき、そのご婦人の言うには、昨夜、子どもが急病で病院に入院したのだが、旦那さんの車で病院に運んで、旦那さんはそのまま車で県外に仕事に出かけてしまったのだという。 奥さんは慌てていて、その車の中に財布や家の鍵の入ったバッグを置き忘れたままだったので、自宅に入ることも、何も買うこともできない。 お子さんは今日になって症状が落ち着いてきて、ベッドの上で「プリンが食べたい」というのに、それを買うことすらできないので、400円でいいからお金を貸して欲しい、という。 憔悴しきった様子で目にうっすらと涙を浮かべている。

 行きがかり上とはいえ、何かやっかいな事件にでも巻き込まれたら、と不安に思っていたので、こちらもホットして、小銭入れの中にあった100円硬貨を5枚手渡す。 
 「それは、お困りでしょう、少ないですけどお使いください。 私は通りすがりで、この辺の人間ではありませんのでお返しいただかなくても結構ですから・・・。」

 先方も急に、それまでの不安そうだった表情が一変して、安堵の笑みを浮かべて
「どうもありがとうございます。 本当にありがとうございます。」
と、涙を流さんばかりだった。

 バックミラー越しに、何度もお辞儀したり手を振ったりしている彼女の姿が徐々に小さくなるのを見つめながら、「もしかしたら新手の詐欺に引っかかってしまったのかなあ?」とも不安になった。 1万円と言われれば、「え? 悪いけど。他を当たってくれよ」となるけれども、400円といわれれば、気軽に、もしかしたら本当に1000円くらいは呉れてしまうかもしれない。 そんな自分のようなお人好しが20人も引っ掛かれば10000円である。でも、500円ずつ20人から巻き上げるために、あんな面倒な(それも迫真の)演技をするわけがない、とも思えるので、この線は消えた。

 そのうちに別の考えが頭の中を駆け巡る。 これから缶ビールを買いに寄ろうとしていたコンビニまで車に乗せて行って、プリンを買ってから病院まで送ってあげたほうがよかったかなあ? (どこの病院かも聞いていなかったけれども) 話の筋からすると、母親のほうも昨夜から何も食べていないかもしれないのだから、1000円くらい渡してもよかったんじゃないか? などと、思い始めると、いても立ってもおられず、踏み切りのところでUターンしてみたのだが、すでに彼女の姿はなかった。 ゆうに5分は経過している。 ますます、「もっといろいろと気がついて相談にのってあげればよかったかなあ・・・」と後悔することしきりで、最初は良いことをした、と思っていたのに、5分後には、気配りのできない自分に対して腹立たしいやらで、すっかり落ち込んでしまった。 (最近、こういうアップダウンが激しい気がする。 逆にダウンアップならばノープロブレムなのだが・・・。) 

 それでも、コンビニで缶ビールを買うことは忘れずに、レジでお金を払い、先ほどの母親に渡すために100円玉5枚を出したばかりの小銭入れに、つり銭を戻そうと、ふと見ると足元に500円硬貨が落ちているのを発見した。
 「これ、落ちてました」
 店員に差し出すと、「お客様が落とされたのではないですか?」 確かに1000円札で缶ビール(500ml)を買ったので500円硬貨も、つり銭として渡されたのだが、それはまだ、自分の手の平に残っていたので、首を振った。 たとえ、落とし主のもとに返らずに、あのままセ○○・イレ○○のものになってしまうかも知れないけれども、また一つ良いことをした。 気持ちが少しハイになる。 続いてどんなダウンが待っているのか?と考えると気が滅入るけれども。

 また、車の中で考える。

「もしかすると、神様が、良いことをしたご褒美に500円をすぐに返してくれたのかもしれないなあ。 だとすれば、あのまま貰っちゃってもよかったのかなあ・・・」

 今日、職場でこのことを話題にすると案の定、
「患者さんの家族ですから、病院でお金くらい貸してくれますよ。 それにお子さんの学校や幼稚園のお友達とか、ご近所とか、頼るところはあるでしょうに。 新種の詐欺ですよ、それ」
たまみやんさんは、優しいからなあ。 人が善すぎますよねえ。 端で見ててハラハラするくらい。」
と、ますます、当方の落ち込み方を加速するようなことをワイワイ言ってくれる。 この前のNさんの一件もあって、「お人好しのたまみやん」というのが僕の人間像になってしまったようだ。 ものの本によると理想の上司とするタイプには当てはまらないらしい。

 しかし・・・

 たかが500円、されど500円。 そうだ、あの母親と、会ったこともないベッドの上の子どもにとって、僕の出した500円は、神様が認めてくれる位の価値は間違いなく、あったに違いない。

 そう考えると、少し気持ちが軽くなった。 

  

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分のお葬式

 元上司の家で不幸があり、昨日は通夜、今日は告別式に参列した。
最近は、本葬よりも通夜のほうが参列者が多くて、言葉は悪いが、盛況だったりする。
今日は、通常の職場は土曜日でお休みだったが、想像以上に人の数が少なくて寂しかった。

 他人の告別式に参列して最近、考えるのは自分が死んだとき、告別式をどうするか?についてである。 人間いずれか死ぬ、早いか、遅いかだけの話だ。 自分で見ることのない自分の告別式をどうプランニングするか? 

 BGMはモーツアルトのレクイエムからラクリモサがいいだろう。 またはフォーレのレクイエム(我が家は曹洞宗なので、読経のBGMがミサ曲では格好はつかないかもしれない)。 あと、不世出のカウンターテナー、アルフレッド・デラーの白鳥の歌ともいえる”Music for a while”なんかもいいかもね。
 棺の出棺のときのBGMは多田武彦の「雨」に決まりだな。できれば、8人くらいの小編成の男声アンサンブルで生合唱してもらいたいものだ。 祭壇の上には、故人手書きの「参列者への御礼文」。 棺はかなり大きめに作ってもらって(火葬場の釜に入りきらなかったらどうしようか?) ラグビーボールと、愛用のギターを一緒に入れて欲しいのだが。

 白装束に手甲・脚半・わらじの替わりに、合唱団のステージコートに蝶ネクタイか、ラグビージャージを着せて欲しい。 などなど・・・ 結構、考え出すと楽しいものだ。 他人の家の葬儀に際して極めて不謹慎だけれども。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人を評価するということ

 「成果主義」という怪物が日本中を跋扈し始めて久しい。
最近になって、ようやく、その功罪のうちの「罪」のほうにも目が向けられてきたようだ。中には、「成果主義」そのものが日本人の気質には合わない、という意見も根強い。

 「目標」を設定して、その達成度によって、それに取り組む「ヒト」を評価しようと、というものだが、客観的に数値化できる目標値だけで、アナログ的な要素の多い人間様の価値を決め付けよう、というのだから、評価するほうも大変なのだ。なにしろ、いきなり成果主義だ。人事評価だ、といわれても、そういう言い出しっぺが、評価をかいくぐってきた人間ばかりではないから、掛け声ばかりで、なかなか実効性のあるものになっていない、というのが実情だろう。

 義理と人情というどちらかといえば、高温多湿の環境に育ってきた人間が、こんなに簡単に、ハートまでアメリカナイズされるとは思えないのだ。 まだ、マクドナルドのハンバーガーを日本人が食べ初めて36年なのだ。

 人材派遣会社から来ている派遣社員のNさん。 人柄は温厚で、手先が器用。 細かいことにもよく気がついて、人情の機微も弁えている人なのだが、今回、その人に辞めてもらうことにした。 まさに苦渋の決断である。 その人は、聴覚に障害がある、というよりも耳が遠い。 補聴器を入れているが、あまり結果を伴わない。 電話の聞き違え、クライアントに声をかけられても、うまく一度で応答できない。 我々は、そのことを知っているので、どうしても、Nさんとの会話は30から40%も声を大きく張り上げなくてはならない。 他人から見ると、喧嘩でもしているように受け取られるらしい。

 決して大きなオフィスではなく、働く人間も限られ、最低限度でやりくりしている現状では、一人、コミュニケーション能力に劣る人間がいると、周囲の人間への負荷がかさんでしまう。 事務室の中に、その人を一人残してはおけなくて、現場にも出かけられない、となると、重大な問題となる。

 「管理職の決断としては、至極当然です。 私がたまみやんさんの立場なら、やはりそうするでしょう。 気にしないでください。 私もかつて、同じように何人もの部下に同じようなことをしてきた人間です。 ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ございませんでした。」

 いつも通りに、にこやかに(少し、顔面は紅潮していたようだが)、Nさんは理解してくれた。 もしかしたら、これが管理職としての初めての「らしい」仕事だったかもしれない。

 本人に言い出すまでに決断してから、2週間もかかってしまった。

 「その優しさが、たまみやんさんのお人柄であることは知っておりますが、この判断の遅れはビジネスの世界では命取りになります。 お気をつけください」

 家に帰って、ホッとしたものの、かなり悪酔いしそうである。 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

花よりトラフグ

 花冷えの雨があがると、強い北風。 そんなパターンが繰り返され、いつしか桜の時期も終わりである。 花より団子というわけではないが、季節的にはどうか?とは、思うのだが、フグを食べてきました。
 最近では、東京近辺でも、安くフグが食べられるお店が増えていて、わざわざ浅草まで出かけなくても、一年中、フグ料理が堪能できる。 大宮の南銀座通り(通称「ナンギン」)にある「やぐら」もそんなお店の一つである。 僕はずいぶん前の正月に高校時代の仲間と新年会をやったことがあるがそれ以来、久しぶり(多分4年ぶりくらい)のやぐらのトラフグである。 

 あらかじめ予約しておいた「泳ぎとらふぐちりコース」は、にこごり・刺身・唐揚げ・ちり鍋・雑炊にデザートがついて4,980円。 「泳ぎとらふぐ」とは、もちろん、直前まで水槽で泳いでいたものを調理してくれるためで、ちり鍋の皿の上では、トラフグの切り身が、ピクピクと動いている(欧米では動物虐待ということで問題化しそうだが・・・)。 当然、新鮮・美味である。 フグの味というと淡白。 鍋にしても少しも脂が浮いてこないのだから、本当に魚なのか、いぶかしく思えるのだが、なんといっても、その歯ごたえ+味わいが、調理方法によって、これほどまでに変化するというのも珍しいだろう。 言葉は悪いかもしれないが、豆腐みたいな魚だ。 

 日常的に、激辛だの、まったりだの、脂がのってますねえ、みたいな食事に慣れ親しんでいると、フグの味というのは、ホットする味、というか、とても優しく感じられる。 フグの調理法をあみだした、というより、フグを食べようと思った日本人はエライ!(なにしろ、間違えば命を失うのだから)と感じてしまう。 そして、なによりもフグを美味しい、と感じられる味覚を持っていることもスゴイことだ、と思う。 

 今日は、実は、とてもチャーミングなクライアントとの、以前から延び延びになってしまっていた約束を果たすために、ご一緒にフグを頂戴したのだが、花粉アレルギーによる咳が止まらず、咽喉が気になって、落ち着いてフグの味を噛みしめることも、会話を楽しむこともできなかったのが返す返すも残念であった。 フグの味云々する前に、咽喉の奥のムズムズ感をどうしてくれようか?という思いばかりが駆け巡り、なにか言いかけようとすると、エヘン虫が、待ってましたとばかり騒ぎ出す気配、慌てて口を押さえ、横を向いて、咳き込むことばかりで、何を話そうとしていたか、咳とともに何処かへ飛んでいってしまったようで、今、思い返しても、一体全体、何をどう喋ってたのか、全然覚えていない。 おかげで聞き上手にも徹することができなかった。  

 で、家に帰り着いて、今日は大宮薪能のチケットも買えなかったし(はなから発売日を一日間違えてメモしていたんだけど・・・)、楽しみにしていたクライアントとの会食も個人的には結構後味の悪いものとなってしまった。 先様には「今年は後厄で、ついこの間、厄除けをしまして、今日はフグ(福)をいただいて、すっかり厄払いができました」と言って、一応喜んでいただいたのだが、自分的には、かなり落ち込んでしまっていたりするわけです。 この咽喉の辛い状態も例年ならば5月の連休明けまでの我慢、我慢。 当分、陳麻家のむせ返るような坦々麺も食べられませぬ。 いっそ、激辛の灼熱陳麻飯と坦々麺を咽喉に大量に流し込んで、エヘン虫どもをカプサイシン中毒にして一網打尽にしてしまおうか? あ、そう入力しただけで、ゴホン、ゴホン!でございます。

ハア~、脱力・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

息子の入学式

 今日は息子の入学式。 息子と二人きりで電車に乗るなんて、もしかしたら初めての経験じゃなかったろうか? 東京は予報どおり雨。 車窓から見る桜は盛を過ぎてチラホラと散りだしていて、もう若葉の緑がそちこちに顔を出し始めていた。 わずか50キロほどの距離なのに、自分の家の周囲の桜は昨日の暖かさでようやく満開のときを迎えたばかりというのに。 

 春雨は いたくな降りそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも
                                      (詠み人知らず)

 さて、入学式の会場は、新高輪プリンスホテルの飛天の間。 そう、あの横綱やら芸能人が結婚披露宴をやるところだ。 大学の入学式というと日本武道館(特にマンモス大学の場合)というイメージがあるのだが、どうやら國學院にも全新入生(と保護者)を迎え入れるだけの施設がないらしい。 まあ、自分の頃には子どもの大学の入学式に親が来るなんてことは考えられなかったので、自分としても行くつもりはなかったのだが、今は極当然にそれが行われているらしい。 大学当局によれば、ほぼ新入生の7割の保護者が入学式に来ている、というのだから驚いたものだ。 僕は息子の晴れ姿、というよりも、一度、新高輪プリンスホテルの飛天の間とやらに入ってみたい、という私的好奇心がムラムラと湧き出して、新年度早々だが、休暇を頂戴した次第。

 新高輪プリンスホテルまでJR品川駅からの道筋に雨の中、道案内の職員の方が立っており、「ご入学おめでとうございま~す」と叫んでいた。 入り口から飛天の間までスーツについた雨粒を振り払いながら進んでいくと、室内楽の生演奏や國學院の誇る歴史的な蔵書資料を展示するコーナーなどがあった。 受付も何もなく、そのまま飛天の間に入り、指示されるまま席に着いた。 なんのチェックもなかったので、もしかしたら、全然関係ない人も会場の中にいたりして・・・。 かなり早めに着いたため、父母席の前から3列目。 息子は前から5列目だった。 「飛天の間」も天井にはデカいイシャンデリアが輝いているもののこう椅子がズラリと並べられているだけでは、どこぞの体育館と一緒である。感想はこれだけ(笑)。  

 新入生諸君の身だしなみが、揃いも揃って、というか、99%がダーク系のスーツ姿。 髪を染めている学生も何人かはいたが、髪型もキチンとしていて、まるで就職活動の出陣式みたいな雰囲気だったのが印象的だ。 まあ、今日びの若者といっても、ほとんどの人間が父兄同伴ともなれば、それ位の常識はわきまえている、ということなのだろうか。カジュアルな、というか原宿から抜け出てきたようなファッションの者も2,3名いたが、完全に浮いている。 自分の入学式のときは一応、紺のブレザーを着ていったが、スーツ姿はまれで、大半は普段着と言うかジーンズ姿、なによりも髪型は男子学生のほとんどが長かったり、すなわち、皆が皆、フォークシンガーみたいな出で立ちであったのとはだったのとはエライ違いだ。  

 式の開始までの時間、ステージ横ではブラスバンド部や混声合唱団の演奏があった。 恥ずかしながら、このとき初めて國學院の校歌を耳にした。 詩がとてもいい、曲も雅楽風のメロディーで個性的だ。 そう、つまり「君が代」みたいになんとなく中途半端で、「えっ? このまま終わっちゃっていいの?」みたいな、西洋音楽ばかりやってきた人間には、とても不思議な雰囲気の歌。 一度で覚えてしまい、式の最後の校歌斉唱のときには、結構でかい声で歌えてしまったので、お隣に座ったお母さんから、「OBの方ですか? 親子で同じ大学なんて羨ましいですね」なんて声をかけられてしまった。 なのに、家に帰った現時点では、ほとんど覚えていない。アレ?面目ない! 
 そういえば、自分も母校の入学式では3年間(学部毎だったので都合15回になるが・・・)、こうやってステージに立って、新入生を前に校歌を歌ったっけ。 そして、式終了後に新人勧誘のチラシをもってそそくさと新人狩りの鬼と化したなあ。 

 何の紹介もなく、司会者の開式の辞に続いて「国歌斉唱」。 さすが國學院である。某都立高校みたいに「俺は絶対、歌わないぞ~」みたいに騒ぐ者はなく、かなりの人間が声に出して「君が代」を歌っている。 まるで、大相撲の千秋楽のようだ。 僕は花粉症のマスクをしていたので、例によってクチパクで過ごした。というよりも、どうも、この君が代というやつ、僕の声のキーとはいつも相性が悪く、必ず、途中でひっくり返る。 ひっくり返らないように最初から一オクターブ下げて歌おうとすると、声が出ない。(当たり前のことだが・・・。) 今は「君が代」が国歌として法律で定められているのだが、法律の別記第二にある譜面では単純に下のレから上のレの一オクターブ内に収まっているのだから、本来ならば歌えない筈はないのだが、僕も昔から高校の先生たちに「日の丸と君が代は云々・・・」というのを叩き込まれてきたせいか、わだかまりというか余計な力が入ってしまうのかもしれない。ちなみに僕は絶対音感を持ち合わせてはいないので、今日の君が代が、この別記第二で定められたとおりの調性だったかどうか確かめるべくもない。 成人の男声と女声で同じメロディーを歌う音楽というのは本当は作るのが難しいものだ。

 入学式の学長あいさつの冒頭から 「子どもの大学の入学式に親が付き添うなんて私たちの頃には考えられなかった」と言う話をされていた。  昨年は参列した保護者がロビーからあふれ出してしまったため、 やむなく午前と午後の二部制にした旨のコメントがあった。 

 若木育成会という父母会の会長さんの祝辞で、「國學院の学生は、よく言えば真面目、悪く言うと地味なのだが、社会ではこういう人間は好感を持って迎えられます」みたいなことを言っていた。確かに渋谷という町にありながら、幹線(表通り)に面している訳でもなく、お隣の青山学院のような派手さがなく、ひっそりと大学やってます、みたいな印象は自分の学生時代からあった。 だからという訳ではないけれども、当時、テレビでやすし・きよしの司会で「ライバルなんとか(正確に番組名を覚えていない)」という番組があって、東大VS京大、早大VS慶応みたいにライバルと目されている大学の学生をスタジオに招いてゲームみたいなことをさせて勝ち負けを決める、みたいな内容だったと思うのだが、その番組で、我が母校、中央大学のライバル(?)として登場したのが國學院だったのを、鮮明に覚えている、というよりも「え? なんで?」というビックリのほうが大きかったの印象に残っている。(まあ、後で高校の先輩で國學院に行った人に聞いてみるとそれはお互い様だったみたいですけど。) でも、今日の「真面目で地味」という話を聞いてみて、あらてめて「ああ、そういうことでライバルだったのか~」みたいに一人で合点して、ほぼ四半世紀ぶりの疑問が解決してしまった次第である。 

 式後の記念講演は文学部の松尾葦江教授の「ほんものに逢う」というものだったが、学長の告辞が、あまりまとまりにかけていて、何を言いたいのか、よく判らなかったのに比して、 なかなか面白かった。 冒頭から、「本当はこの大学には来たくなかった学生(いわゆる不本意入学者)も多い、と思いますが」で始まった。 こうして最初に会場をドキリとさせ惹きつける話の進め方、講演の最後を「たまプラーザ(1,2年生の教養課程のキャンパスらしい)で待っています」と結んだあたりは本当に見事。 こういう人の講義は面白いだろうなあ。 自分の大学時代の恩師を引き合いにして、さまざまな角度から、わたしたちが普段、常識と思っていることは実はそうではない、自ら検証して、責任と自信をもって人に話せる学生になって卒業しなさい、みたいなことを仰っていた。 

 その後、学生証を受け取る、たったそれだけのために雨の中を渋谷キャンパスに移動する。 「なんで式の会場で渡せないのかねえ。」といぶかっていたら、なるほどそういうことか。 借り物のホテルの敷地内では不可能な、各サークルによる新勧攻撃が、地味な筈のキャンパス内でかなりド派手に繰り広げられていたのでした。 学生証の交付自体にはものの5分もかからないのに、大学職員が指示する学外への退出するルートの左右に手に手にチラシをもった各サークルの学生諸君が待ち受けている。 まるで、両手に箸をもって流しそうめんを待ち受けているみたいだった。 こうなるといかに学生たちと目を合わせずにここを走り抜けるかなのだが、ルート自体が一人しか通ることが不可能なくらいのスペースなので、数珠繋ぎになって中々前に進めない。 そのうちに、手の中、カバンの中、はてはスーツのポケットへと次々にチラシが差し込まれる始末。 「なんで、父兄までこんな所を通すのよ!」と職員に食ってかかっている元気な母親もいた。 いたく同感したが、まあ、女子大生の熱い視線を一身に浴びる(もちろん、視線の先は息子なのだが)経験もなかなか、近年得がたいものだった。 年甲斐もなく、恥ずかしかったなあ。

 「國學院ってラグビー部があったような気がするんだけど」
 「なんだ、お前やる気あるのか? 確かリーグ戦の2部か3部にいたと思うけどね」

 一緒にラグビースクールでラグビーに親しんだ二人の友人が、中大や東海大学のラグビー部に入っていた。 でも、ラグビー部のなかった高校時代、サッカーのかたわら、週に一度、スクールの手伝いをしていたとはいえ、3年間のブランクを抱えてやれるほど大学ラグビーは、たとえ三部といっても甘くない。 息子もそれは感じているうえでの発言だ。

 大学でのサークル活動について、父親としての忠告は以下のとおり。

 1.必ず何らかのサークル活動を一つ以上行うこと。
 2.大学公認(大学の名前を冠することを大学が正式に認め、部長に正規の教職員がついている)サークルであること。
 3.自分の専攻とは違った活動内容であること。(専門バカにはなるな。ただし、大学院を目指すのであればそれも可)
 4.構成メンバーの学部・出身地などがバラエティに富んでいること。(可能であれば)
 5.必ず4年間続けること。

 息子は、それを聞いて。「ふう~」とため息をついてものだった。 さて、彼がどんなサークルに入ってくれるか、大いに楽しみなところである。

 帰りの電車の中で、もらったばかりの大学の資料に嬉々として目を通している息子をみて、つくづく羨ましい、と思った。 自分のときはどうっだったろう。入学当初は、第3希望の学校だったせいもあり、前述の不本意入学とまではいわないが、合格当初の喜びはつかの間。 入学式の頃には、一浪してもう一度、第一志望にアタック、というように迷いが生じていたのも事実。  大学の中庭でボンヤリとしていたところを、高校の先輩だったMさんに声をかけてサークルに誘ってもらわなかったら5月病になっていただろう。

 息子がほぼ一年をかけて志望を絞り込んだ大学。 他の大学には目をくれず、ということもなかったが、5回もチャレンジして学生証を手に入れた大学。 彼の頭の中には大学の教授陣の顔と名前がいつでも思い出せるらしい。 だから彼は今日一日、とても生き生きと輝いていたのだ。 目標を達成した誇りと自信に満ち溢れていたのだ。 

 こんな風に眩しく息子が見えたことがあったろうか? こんな風に息子を見て、嬉しくなったことは久しぶりだった。 そう、5年生の秋、初めてラグビーの公式試合で、父親が練習試合も含めて一度も経験したことのなかったトライを決めたとき以来ではなかったか。

 本当に羨ましい。 自分にもなにかチャレンジする気持ちが沸々と沸いてきたりしたのだ。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

卯月 つめたい風

4月だというのに今日も風が強かった。 家の前に自分のうちのものではないものの、桜並木があって、この時期はいつもひもねす借景で花見を楽しんでいる。 まだ、五分から七分咲きといったところなので、こんなに強い風でも散っている形跡はない。

 早世した天野滋が率いていたNSP(デビューした頃はニュー・サディスティック・ピンクだった)の名曲に「弥生つめたい風」というのがあった。

  桜ふぶき舞い落ちる 古い並木のすみっこで
  待っている君のこと 知っていたけど
  帰る時は口づけ そっとしてねといった君を
  おかしいよと おかしいよと 笑った僕でした
  弥生の空 風が強くても
  桜の花 風に散らないで

 岩手県からやってきた三人組、とりわけ天野滋の作る詩は純情で、田舎っぽくて本当に共感できて泣けたものです。ただ、この曲は1曲の中で季節が弥生から卯月、そして皐月へと3ヶ月も経過するのに、桜の花が咲き続けているのは何でなの?という疑問がギター片手に歌いながら常に沸いていましたけど。

  卯月の空 風が強くても
  桜の花 風に散らないで

 と祈りたくなるような強い風に、花見という気分にもなれず本当に久しぶりに一日家におりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の家族旅行(3)  鯛を釣り上げて うに清で食らう

 春の家族旅行最終日は、予定しているものは2つのみ。

 下の息子の夢だった「海で鯛を釣りたい」をかなえるために網代にある海の釣堀に出かけた。網代には2つの業者が海の釣堀を経営しているが、お隣さん同志で、どちらも湾の中に複数の生簀をうかべている。 4年程前に、やはり伊東温泉に宿泊し、海釣り船にのって釣ったときは、狙ったアジが一匹もかからず、鯖ばかりクーラーボックスに詰めて来たものだった。 なにより外海が荒れていて、かなり気持ち悪くなってしまい、最後のほうは釣りどころの騒ぎではなかった。

 漁協の前で、料金(一人1時間釣り放題5000円。兄弟二人で10000円だった。)を払い、竿と餌を借りて、餌のつけ方とリールの操作法などの手ほどきを受けさせて、いざ渡し船に乗り込む。 これで時間までに何匹釣ってもいいんだとか。 

 「昨日は入れ食い状態だったんだけど、今日は水温が低いから、底のほうに潜ってしまっているから難しいかもしれない。時間気にせず、釣れるまで頑張っていいですから」とあらかじめ言われたのだが、餌ばかりとられて、なかなか釣り上げることはできない。

P20060327_01  兄のほうが餌(アミ)を釣り針につけているうちに「気持ち悪い~」と言い出した。途端にその餌に鯛が食いついた。ちょっと小振りだが鯛は鯛。 兄貴はそこでギブアップ。 弟のほうはというと、待てど暮らせど、餌の食い逃げばかり。しまいには癇癪を起こして、竿を振り回す始末。 隣の生簀で釣っていた家族連れが次々とアジを釣り上げ、クーラーボックP20060327_02スの中がアジで一杯になっていくのに、制限時間はあと5分。 生簀を変えてみると、すぐに食いついてきた。どうやら、釣っていた生簀のせいらしい。 悪戦苦闘の末、同じように鯛を釣 り上げて、大満足だった。 それにしても10000円で小振りの鯛が2匹か・・・。ま、いいか。

 もうひとつの目的地である、うに清は真鶴にある。 あらかじめ予約を入れておいたので、すぐに座ることができたが、一時間待ちはざらなんだとか。 4人だったが、量を考えて、6種類ある磯料理のうち下から3番目の松(5200円)を3人前注文。 伊勢海老、石鯛、あわび、さざえ、うに、アジのたたきにエボダイの塩焼き、サザエのつぼ焼き、焼き海老、伊勢海老の味噌汁にご飯。 噂どおりの味とボリュームに、子ども達は「美味い、美P20060327_03 味い」を連発。 前日の箱根の仇を真鶴で果たして、みんな満足したようだった。 伊豆から帰ると当分、魚は食べたくなくなるものだけれど(無性にカレーとか食べたくなりますよね~)、明日は今日釣り上げた鯛をさばいて刺身にして食べなければならないなあ。

 とにかく、箱根神社の大吉のおみくじ以降は満足することばかりで、いい旅行になりました。めでたし。めでたし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の家族旅行(2) 憧れの客室露天風呂に入る

P20060326_06   伊東温泉 大和館は今回初めて利用したが、とてもいい宿だった。
チェックアウトのあと、車の中で、全員が「また来年も来たいね」という評価を与えた宿は初めてだった。それも、同じ部屋がいい、という。 これで、すっかり親父の株が上がった。

 楽天トラベルの宿泊プランは一日一室限定の「カップルにも大人気!露天付客室に泊まる」という、なにやら意味ありげなものだった。宿は伊東温泉を流れる松川沿いにあり、新館の福寿荘と旧舘の末広荘の間を通る修善寺街道の下を地下通路で結ばれている。別に離れの宝寿庵がある。今回宿泊したのは末広荘の「芙蓉」という部屋で、12畳と6畳の和室に、内湯として檜風呂(こちらは大人一人分くらいの広さ)とやはり檜でできた露天風呂(大人3人くらい入れる)が川に面した廊下にあり24時間かけ流しであった。
 シチュエーションとしては実は自宅とまったく同じように桜並木が川の対岸にあり、見事なロケーション。川のせせらぎと露天風呂にそそぐかけ流しの温泉の音が部屋の中に響いており、室内から出たくない気分だった。P20060326_05
 建物はかなり古びており、お世辞にもゴージャスといえる雰囲気はなかったが、隅々まで掃除も行き届いており清潔感が溢れていた。何よりも嬉しかったのは、廊下が畳敷きであったため、スリッパではなく素足でどこへでも行けたことだった。大浴場も4箇所あり、どれも個性的だったし、なにか風呂には随分入ったような感じだ。

 料理のほうと言えば、部屋食ではなく、いわゆる御食事処というところでいただくのだが、かつては大広間として使われていたような場所を、いくつにも仕切ってあり、個室として部屋ごとに割り当ててあった。炭火焼を使った和風懐石料理がメインであり、伊豆といえば新鮮な海の幸のオンパレードみたいになりがちなところだが、結構美味しく楽しめた。なによりも懐石だけに、客室担当者が料理を運んでくるたびに、料理の説明を丁寧にしてくれるし、コタツのように足をゆったりとおろして食事ができるのでとてもラクチンでした。細君や子どもたちには、最後のデザートがバイキングになっていて、好きなだけ自分で持ってきて食べられるのがよかったようだ。
 また、朝食も干物をアジかエボダイからチョイスして、目の前で焼くことができたり、とかなり細かい配慮が感じられた。ご飯も伊豆の宿にしてはかなりいい米を使っていたような気がする。

 一番感じたのは従業員のキビキビしたあいさつが本当に気持ちよかったこと。比較的若い人が多かったが、本当に従業員の教育が行き届いているな、と感じた。

P20060326_04  部屋付の露天風呂がある、というのがこんなにも気分がいいものとは思わなかった。
なにしろ、障子をあければ目の前が露天風呂である。自分の家よりも断然アクセスがいい(笑)。とてもいい大浴場や露天風呂があっても、行き着くまでにエレベーターに乗ったり、階段を下りたり上ったり、迷子になったりしない。せっかく温まって出ても、部屋に着く頃にはすっかり冷え切ってしまう、なんてこともよくことだ。そして、この宿は敷地内にある4箇所の源泉をブレンドしていて、温泉の口の隣にお湯と水の蛇口もあって、自分の好みの湯加減に調節できる仕組みになっている。これぞ、客室露天風呂だけができる芸当というべきだろう。

 錦鯉の泳ぐ川のせせらぎの向こう、正面にほぼ満開の桜、右には和風庭園の椿を見ながらの檜露天風呂独り占め。頭にタオルをのせて、冷酒をちびりだぜ。 桃源郷だ。 なんて贅沢なのだ。「命の洗濯」という言葉がある。まさに実感。身も心もすっかりリフレッシュ。ああ、一日で帰るのはなんとも惜しい。ここにずっと住んでいたい。帰りたくないよ~。そうか、だからこの宿はチェックアウトが12時なんだ。

 これで、ひとり一泊二食で22,000円だった。我が家の家族旅行としてはかなり高いほう。でも、満足度は120%。大和館さんの回し者ではないけれども、これってかなりお得じゃないかね。家族全員が大満足のお宿でございました。(続く)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の家族旅行(1) 箱根のジンクス

 年度末はいつものことで、残業続きであまり家族の顔を見ることなく過ごす日が続いてしまい、その罪滅ぼしの意味と息子の合格祝い・細君の誕生日のお祝いも兼ねて3月26、27日と箱根・伊豆へと一泊旅行に行って来た。そう、あと3月31日限りで使用できなくなってしまうハイカ(残数2000円)を使い切ってしまう、というとても重要な使命もあったし・・・。

 息子の合格がもっと早く決まっていれば、下の息子の方にせがまれていた「スキーに行こう」と話し合っていたのだが、僕の場合、以前記したように3月にスキーに行くとロクなことがない(笑)ので、今回は勘弁してもらった。家族旅行の行き先は直前まで決まらない(決められない)のが我が家の常なのだが、今回は2月にスポーツクラブの懇親旅行で寄った「うに清」の話をしたときに「今度は是非、連れて行って!」とせがまれたのでなんなく伊豆方面に決定した次第。 宿は例によって楽天トラベルで直前に予約した伊東温泉の大和館。日頃の家族サービスの欠如を反省し、大奮発してナ、ナント「露天風呂付の客室に泊まる」という、まさに親父の面目躍如のプランであった。P20060326_01

 初日は箱根で遊ぶ。雨が降りそうなくらいの曇り空だったのに富士山が結構はっきりと見えて驚いた。  桃源台からロープーウエイに乗り込み、駐車場に入ろうとする車の長蛇の列を下に見て、2月にグルナイのロケと遭遇した大涌谷に降り立ったところ冷たい強風に見舞われた。春休み中ということで、やはり家族連れが多い。一つ食べれば7年寿命が延びるという黒玉子。2P20060326_02_1月に家に持ち帰ったところ、翌日には黒さが抜けていた。これは、やはりモウモウと吹き上がるこの地にて食するのが正解かもしれない。2月と今回と計4個食べたので28年は長生きできるのか。まあ、あんまり長生きするのもいいのか悪いのかわからないけれども・・・。

それにしても、下りのロープウエイの両脇に、よく見ると茶色にタワワに膨らんだ雄しべをたたえた杉林が連なっていた。まだまだ花粉のシーズンは終わらないみたいだ。

桃源台に戻ると丁度ランチタイムである。実は昔から箱根というと、食べるものではあまり、いい思い出がない。「おいおいここはエベレストかよ」というくらいに高くて不味い食べ物ばかり食べさせられている記憶ばかりだ。まあ、味はともかく、「この味で、この量でこの値段?」という店ばかり選んで入ってしまっているのかもしれないが、今回もジンクスは生きていた。本当は蕎麦を食べたかったのだが、あとの家族は前日の昼食が蕎麦だったから、ということで「パスタが食べたい」という子どものリクエストもあり、あるイタリア料理店に入ったのだが、メニューが少ない。(なんとビザはあるもののパスタの類がまったくない。)値段が高い。量が少ない。と3拍子揃っている。ただし、今回はかろうじて味はなかなかのものだったので4拍子揃うことはなかったのがせめてもの救いだ。今度からは箱根ではファミレス(あれば、の話だが・・・)かコンビニに頼るしかないな。まさに観光地だから入るお客さんがいるみたいな感じで、後味の悪さは、僕が思うに筑波山周辺の食堂やレストランと双璧である。それくらいの覚悟で今回も行ったのだが、依然としてトラウマを払拭できない。箱根に宿を取る勇気が出てこないのも、その延長。こうなると相性なのだろう。

 その後、箱根神社にお参り。願い事はもちろん、旅の安全と、来年の箱根駅伝での母P20060326_03 校の優勝。おみくじは大吉。なんと息子がひいたおみくじも大吉。(もしかしたら大吉しかないのかいな。そうだったら、これはこれで立派な観光客サービス。また来よう!という気になるもんね。)

 復元中の箱根関所を見学後、最後に昨年、箱根駅伝往路ゴール・復路スタート地点の隣に完成した箱根駅伝ミュージアム(入館料500円)を見た。博物館というほど展示品数もスペースも大きいとは言えないだろうが、もちろん日本に、いや世界にひとつという貴重なものが展示されているのは間違いない。僕のような駅伝フリークのみならず駅伝出場校のOBたちにとっては、建物の外にたなびく母校の幟旗につられて入ってしまうんだろうなあ、そういう意味ではかなり強烈に存在感を示しているの確かだろう。売店では各大学のオリジナルグッズが売っているが、息子の進学する國學院大學のグッズもあった。うかつにも出場しているのすら知らなかったが、もしかしたら、来年の正月は息子と駅伝を観戦しながら舌戦を繰り広げているかもしれない。
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »