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こどもの日に思う

日本中が「こどもの日」である。(当たり前であるが・・・)
「国民の祝日に関する法律」第二条の規定によれば「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」
とある。一般的には「こども」ばかりが中心になってしまいがちであるが、「母に感謝する」とあるところがミソである。

つまり「母の日」も5月5日に一緒に済ませてしまおう、ということなのだ。しかし、「母子の日」ではなく、「こどもの日」なのである。「父」はどこへ行ってしまったのか? この法律のどこを読んでも「父に感謝する」旨の表記が見当たらないのはおかしいではないか? 以前、そう考えた。 多分、これは旧民法の時代から男尊女卑、家長たる父を敬い、感謝するのは当然だったから、戦後民主主義、男女同権の時代になって、それを意識させるために付け加えられたのではないか? と思えるのだが、それは商魂逞しいどこぞの業者さんたちが、「こどもの日」と「母の日」が同じ日では儲けが少なくなる、ということで、アメリカでは5月の第二日曜日が「母の日」です、というキャンペーンを張ったとしか思えないのである。

いくつになっても子どもは子どもであるし、親も親である。(これも当たり前の話だ。逆転することはありえない。)この辺が、一般社会と違うところである。 会社では、社長と社員の立場が逆転することはあるし、先生と生徒の立場が逆転することもあるだろう。でも、最近、いろいろな場面で親子関係を見てみると、友達関係のようなシーンを見かけることが多くなった。電車のシートで親子並んで、ニンテンドーDSに興じていたり、携帯メールのやり取りをしていたり、親とこどもの境界がかなりぼやけてきているのではないだろうか? 親がこどもの機嫌を伺っているのか? それともピーターパンシンドロームに入り込んでしまっているのか? 男親の権威というものはいささか地に落ちた感がある。 

と、粋がってみても、自分も親父の目から見れば、なんとも情けない父親として映っているらしい。 親父のいつもの口癖はこうである。
「女が強くなったのではない。男がだらしなくなったのだ。男女同権なのだから、せめて、地に落ちた男の地位を女性並みに復権させてやらなければならない。」

でも、である。 こどもは親の教育したとおりにしか育たない。 親父よ、あなたが眉をしかめる、妻やこどもに甘い父親である私を教育したのはあなた自身である、ということを決して忘れないでほしい。

「年をとり 他のものは忘れても 心に残っているもの それが教育である」
という言葉がある。

親はそのためになにをすればいいのだろうか?

私が子どもたちに常々、口を酸っぱくして言っている言葉がある。

「毎日、飯を食え! 本を読め! そして歩け!」

この3つが身についていれば、概ね、最悪でも想定内(自分並み)の馬鹿で収まる筈だ。

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