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中津川ではやらないの? タクローさん

 31年前、自分は何をし、何を考えていたのだろうか? 
1975年、高校2年生。 ニキビ面の男だらけの汗と体臭でムンムンの教室の後ろには、数本のギターが立てかけられて、黙って一緒に授業を受けていた。 休み時間になると、教室のあちこちで即席の「かぐや姫」や「風」(確か、当時、かぐや姫はもう解散していたような気がする)「NSP」のミニコンサートが始まったものだ。 僕も一人のときは拓郎になったり、隣のクラスのSと二人ならサイモン&ガーファンクルやオフコース、KやNと三人揃えば一緒に元気よくアリスなどをハモっていたものだ。

「『つまごい』って何処よ? 遠いの? かけがわ? 桶川なら毎日通過してるけど・・ ヤマハリゾート? それって合歓(ねむ)の里じゃないの?」

 自分の中では、73年ライブを境に拓郎ブームは下火になりつつあった。(僕にとっての吉田拓郎はあくまでもエレックレコード時代からCBSソニー(オデッセイ)時代のアコースティックギターの吉田拓郎である。)かぐや姫も伊勢正三の作品には心魅かれていたものの、自分のレパートリーには成り切れていなかったせいか、拓郎&かぐや姫のジョイントコンサートがある、ときいても、まったく「我関せず」だった気がする。 今、自分のLPやCDのライブラリでも、かぐや姫のものは一枚もないし、拓郎のものもエレック時代の「青春の詩」「人間なんて」「オンステージともだち」あとCBSソニー移籍後の初期のものしかない。

 これが、「つま恋」ではなくて「中津川」で、そして今、小室等氏は及川恒平と四角桂子と3人で「まるで六文銭のように」というグループ(以前は「3文銭」って言ってなかったっけか?)を作って活動しているらしいので、六文銭とのジョイントならば、何をおいても駆けつけたであろう。 僕にとって、拓郎伝説は、つま恋ではなく、中津川フォークジャンボリーでの六文銭との「人間なんて」 から始まったのだから。 もっとも、別れた元妻とのジョイントはいくらなんでもできないか~。 でもABBAだって復活コンサートしたのだから、一度くらいはねえ。

 でも、今回気になるところは、「人間なんて」をやったかもあるのだけれども、僕にとっての名曲「兄ちゃんが赤くなった」や「マークⅡ」「イメージの詩」「今日までそして明日から」を歌ったのかどうか?である。 かなり個人的には、「いつからなのか」とか「恋のうた」、「準ちゃん」が好きなのだが、これは多分、ないだろうな~。

 それにしても、あのNHKがハイビジョンとはいえ、生放送したらしい。 75年当時では絶対考えられなかったよなあ。(社会現象としてニュース的な価値は認めたかもしれないけれども、音楽番組としては取り上げなかったろうな。) あの紅白歌合戦出場を「持ち時間を30分くれれば出てやる」と言って辞退した御仁だものな・・・。

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母校 ベスト8を逃す!

 秋分の日、秋の彼岸である。
 日本の祝日のほとんどが皇室ゆかりの日が当てられているのに、春分の日と秋分の日だけは、「彼岸」という仏教ゆかりの日である。 もともと、仏教自体が用明天皇の皇子であった聖徳太子が普及に一役をかったこと、それ以降、明治天皇の父親の孝明天皇より前の天皇の葬儀は仏教式で執り行われていたことを見ても、皇室と仏教との関係の深さはかなりのものであると思う。(確か、大喪の礼というのも昭和天皇のときで3回目だったと、当時、報道されていた。)

 本来ならば、ゆっくりと休んで、と言いたいところだったが、午前中に一つ会議があって、久しぶりにネクタイを締めて出かけた。会議終了後、高校ラグビーの全国大会県予選の行われている熊谷工業高校グラウンドへ出かけた。 今日はベスト8をかけた4回戦。 母校の応援と兼ねてラグビースクール時代の3人の教え子たちの激励の意味もあった。
 母校大宮はシードの川越との「県下有数の進学校同士の対戦(私の隣で観戦していた人の弁)」。 これに勝てば、中間テスト期間による中断をはさんで、11月の準々決勝で優勝候補筆頭の深谷との対戦に名乗りを上げられる。
 これまで2回戦(82対0)、3回戦(23対0)と完封勝利を挙げてきたとはいえ、フォワードの出来(というより体格)が気になる母校。 決して部員数が多くない、というよりも参加47チームの中でも少ないほうのチームだけに、贅沢はいえない。 人材の供給源であった大宮市内の中学のラグビー部が次々と廃部になり、2,3年前まではチームを組むことさえままならなかったのだから・・・。
 風上に立った前半に得点を挙げられずに、逆に今大会初めての失点を許し0対12で前半を終了。 フォワードは特にスクラムに関しては2,3回戦とほぼ同じ出来だったから、体格差(なにせ、フォワードという体型の奴がいない)を考えれば結構頑張っていたと思うが、密集戦、自ら持ち込んだ時にラックへの集散が遅くて、川越の素早い仕掛けに対応できなかった。 2回戦では、ハーフタイムの横瀬監督の指示がきいたのか、しっかりと立て直してまるで別人のようなチームになったが、今日は後半開始後、バックスがしっかりと球をつないで左隅に飛び込んで7対12とワントライ差まで詰めて、逆転の期待が高まったが、逆に直ぐにワントライを返されて、その後は焦りからか、つまらない反則を重ねて後退、結局7対31で敗れた。 チーム力としてはスコアほどの差は感じられなかったのだが、マイボールのラインアウトでノットストレートを繰り返し、風を計算できなかったのか、最後まで軌道修正できなかったのが痛かったかな・・・。 

 今年、久しぶりに高校ラグビーを生で何試合も見たのだが、強いチームは、立ってプレーする意思統一がしっかりできているし、一昔前のように、やたらと(不用意な)キックを多用しない。 タックルもしっかり低く決まっている。(大学生のチームになるとタックルが総じて高くなる。)

 まあ、来年期待かな・・・。 3年生諸君、お疲れ様。 次は大学受験にトライ! 川越には大学受験で借りを返そうぜ!

 1、2年生諸君は、来期に向けてさらなる飛躍を! 体のデッカイ新入生を確保しよう! おっと、その前に15人揃わなければラグビーはできないぞ! 

  

 

 

 

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弟はツライよ

 秋篠宮家に新宮さまがご誕生だとか・・・。まあ、皇室典範の改正騒動があって、ご懐妊があり、生まれてくるのは100%男の子、という実しやかな噂が流れていた訳で、これが世も世なら、権謀術数うずまく平成版壬申の乱に発展しそうな感じであるが、、それほど天皇の位というものにかつてほどの魅力は弟君は感じていないのではないだろうか。 皇太子と違って帝王学というものも与えられていない感じだし・・・。

 私が社会人になったばかりの頃、学習院時代の礼宮(あやのみや)が、鴻巣市のお隣にある騎西町の釜屋(清酒力士は美味い酒のCMでおなじみです)の息子が同級生で、御忍びで泊まりに来ていた、とか、一緒に鴻巣市のクマイ書店(現在はない)でマンガ本を立ち読みしていた、とかいう噂が流れたものだ。(真偽のほどは確かめようもないが) まあ、それくらい弟君は気楽に、くだけた皇族だった、ということなのだろう。

 でも、である。もしかすると、、秋篠宮家に出向している宮内庁の職員は、やはり東宮御所にいる職員とでは、歴然とした何かがあって、今回のご出産で、溜飲を下げた、なんて輩もいるのではないだろうか。 将来に渡ってクーデター騒ぎが起こって、南北朝の再来か、なんて穿った見方も、それくらい、兄弟といっても、皇太子と秋篠宮では現実に格差があるのは周知の事実だろう。 紀宮様など女である、というそれだけで、まったく蚊帳の外にされてしまっているものな~。 まあ、女性を土俵に上げないのに、男なら外国人でもOKよ、という国技がまかりとおっている国だものしかたないか。

 私は、なぜか向こう三軒両隣、女の姉弟ばかりの家ばかりという特殊な環境の中で育った長男なので、結構辛い目にあってきましたね~。 「お兄ちゃんでしょ、我慢しなさい」「男の子でしょ、我慢しなさい」が常でしたからね。 でも、皇室はちょと事情が違うようですね。 「弟なんだから我慢しなさい」「女の子なんだがら我慢しなさい」というのが常識のようですね。もっとも皇室典範なんてものは、本人たちが決めたものではない、というのが今回の悲劇(生まれたばかりで悲劇というのもなんなんですが)の始まりのような気がします。 皇室典範改正の先送りが決定的でしょうが、後になればなるだけ、問題は大きくなってしまうような気がしますね。

 個人的には、新宮のご誕生より、吉野家の牛丼復活の知らせに胸を躍らせてしまう47歳のオジサンの他愛もない戯れ言なのでした。 

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夏の家族旅行2006 Part3

 二日目の宿は、日本海から遠く離れて、福島県境に近い、キリン山温泉のDscf0062絵かきの宿福泉」である。実は、4年前のゴールデンウィークにたまたま、「SL磐越西線の旅」という日帰りツアーに家族で参加したときに、SLの停車した津川駅の「狐の嫁入り伝説のまち津川」というキャッチフレーズに魅かれて、インターネットでいろいろと調べているうちに「行ってみたいまち」になっていた所であった。そのときも「狐の嫁入り伝説」らしく雨が降って いたのだが、今回もやはり雨だった。

Img_3467  この宿は、じゃらんの「口(くち)コミランキング」の温泉部門で全国2位の宿である。
外観は、秩父あたりの民宿そのもので、「どこが全国2位の宿じゃ~!」という雰囲気である。実際、何も予備知識を与えていなかった家族は駐車場から宿に入り、部屋に案内されるまで「え~? ガッカリ~」みたいな溜息の連続であった。
 ところが、である。外観とはうって変わり、リニューアルされた部屋に入り、窓の外の景 色を見やるや否や、「お、お~!」なのである。ここは「絵かきの宿」である。絵心のない自分がいうのも何だが、まさに水墨画の情景がそこに広がっている。気の利いたことに部屋にはスケッチブックと色鉛筆が用意されているのだが、残念ながら、描かれていたのは、幼児のいたずら描きばかりであった。

 阿賀野川の雄大な流れ、対岸の山には雲がかかり、川面をゆっくりと音もImg_3471なく霞が流れている。夜になると、対岸がライトアップされるのだが、その光景を貸切露天風呂から眺めて楽しもう、という魂胆だったのだが、残念ながら、予約したのが遅かったために、夜間の予約はできず、朝7時からの貸切ということであった。しかし、一般の露天風呂からの眺めも、感動ものであった。昨年、愛知万博に行った際に宿泊した犬山温泉の「八勝閣 みづのを」も眺めは今回とひけをとらなかった(何しろ宿の窓から鵜飼の光景がみれるのだった。)が、温泉も特筆すべきものがなく、いかんせん食事が…。

 Img_3486_1 しかし、今回の福泉さんは、食事も素晴らしかった。特に溶岩焼きした和牛の柔らかさとデザートの自家製プリンのデカさに感激である。帰りの駐車場までの宿の人の嬉しい心配りも含めて、派手さや奇をてらったモノはないものの「う~ん、さすがに口コミランキング第二位」だなあ、と思った。これで、昨日の宿よりもひとり3千円も安いのだ。

 我が家の細君は、あまり、というか、頑なまでに、どんなにいい温泉だろうが、いい眺めだろうが山の宿より、海鮮料理の海辺の宿命なのだが、今回だけは、満足だったようだ。
 正直、あまり他人には教えたくない隠れ家的な宿である。
(続く)

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夏の家族旅行2006 Part2

 旅の2日目の朝は、潮騒の音でお目覚め、とはいかなかった。
 海は近いのに、波がほとんど立たないのだからしょうがない。
 次男坊はまだ海に入りたがっていたのだが、二泊目の宿は、もう福島県境に近い山の中ということもあって、早めに移動することにした。
  とはいっても、もう一つ「上越に来たら、是非!」と直江津高校出身の先輩が言っていたのが、上越市立水族博物館である。
 実は、我が家族は、全員が水族館大好き人間である。だから、旅先ではほとんど必ずといっていいほど水族館に立ち寄ることが多い。
 おたる水族館、のとじま水族館、アクアマリンふくしま、八景島シーパラダイス、寺泊水族博物館、魚津水族館、鳥羽水族館、宮島水族館、マリンワールド海の中道、三津シーパラダイスなど、別に水族館のある場所を狙って旅行しているわけではないのだが、近くにあれば二重丸でチェックして、必ず出かけることにしているのだ。
 上越水族博物館まで宿から8キロである。15分ほどで到着した。着いてみれば何のことはない。水族博物館は直江津高校のお隣にあった。
 Img_0355
 次男坊が一番喜んだのが、ピラルクという世界最大の淡水魚だった。「大きいネエ~」と感心することしきりで、家に帰ったあとも「ピラルク、ピラルク」と思い出したようにつぶやいている。ブラジルではそのウロコ(実物が展示してあったが、かなり固い)一枚を靴べら代わりにするとか。
Img_0360 オオダコが水槽のガラスにへばりついている吸盤の大きさにも度肝を抜かれたが、女性ダイバーによる餌付けショーでは、水中のダイバーとお話ができたりするのだが、残念ながら、餌を貰おうと擦り寄って来る魚の群れに肝心のダイバーの姿がまるで見えない。
 イルカのショーでは、イルカの訓練の方法などが具体的に解説されて、結構面白かった。(なんといってもイルカ役に扮したアシスタントの女の子が可愛かったぞ!)Img_0373
 上越市立ってことは、ここで働いている人たちは公務員ってことなのかしらん…
 私としては、2億年前から生きているというカブトガニ、クリオネの立ち泳ぎ姿にも感動したのだが、いつもながら、ミズクラゲの水槽の前で飽きもせずに暫し立ち尽くしたものでした。
 「う~ん、クラゲになってフワフワしてみたい!」(40代後半男性の同化願望)

Img_0337  昼食は、柏崎の「地魚処鮨健」に行った。ここも以前、職場の旅行で来たときに、先輩に教えてもらった穴場的なお鮨屋さんである。
 小上がりにテーブルが3つにカウンター席が6席ほどの小さい店なので、昼時だったこともあり、行列ができていた。鮨屋のくせに焼き鳥屋さんのように、入り口の脇で、サザエのつぼ焼きを一個500円で売っているので、子どもたちはそれを食べながら待つこと40分。
 店の名のとおり、近海で採れた地魚だけが握られた地魚寿司は、一見すると9カンの握りが全部同じネタに見えてしまう。
 初めに一通り、順番に何と言う魚なのか解説をしてくれるのだが、最後のほうになると、あらかた忘れてしまうので、次回にはビデオに撮っておこうと思う。
 味は、どれも白身の淡白なものだが、いずれも滋味深いもの、これに大きな汁椀の番屋汁(通常800円)がついて1,800円であるから、かなりのお値打ちものだと思う。Dsc01198_1
 この他に、普通の鮨屋さんでは絶対にお目にかかれない珍味のネタばかりを集めたでたらめ寿司は2,300円。こちらも最初にネタの説明があるのだが、やはり一度では覚えられない。
 かつ、お店の壁に貼ってある看板に書いてある50種類の魚偏のついた、どれも魚を表す漢字を一つ残らず読むことができると、当日のお勘定がすべてタダになる、という嬉しいサービスがあるのだが、家族4人(といっても一人は小学3年生だが)が頭をひねっても半分も読めない。
 長男がケータイで撮影してきたので、次回はタダで美味しい寿司を食べようと思う。

 食後に、鮨健から車で一分と言う近さの「空想ひみつ基地 こどもの時代館」(こImg_0378こは以前は石黒敬七のコレクションを集めた「とんちん館」ではなかったろうか。)ですっかり童心にかえり、鉄人28号や宇宙怪獣ブースカのフィギアを見て「おお、お父さん、これ昔持ってたんだよ~」と感涙にむせび、子ども達の冷笑を買い、ウルトラQのDVDを2本見ては、「やっぱり石坂浩二のナレーションはええなあ」と一人うなづいて、細君に愛想をつかされたのでした。
 ひとつ残念だったのが、柏崎トルコ村が閉鎖されていたこと。 やはり職場の旅行のときに訪ねたのだが、道路の渋滞によりバスの到着が遅れ、お目当てのベリーダンスは見損なうわ、シシカバブは売り切れているわ、で、今回はそのリベンジを、と意気込んでいたのだが、やっぱり、当時も思ったのだが、何故、柏崎にトルコ村なのか?という疑問はついに解き明かされることはなかったのだった。
 ちょっと、乱暴かもしれないけれども、跡地に「柏崎北朝鮮村」なんてのはどうでしょうかねえ、将軍様。

 (続く)

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夏の家族旅行2006 Part1

 ちょうど一週間前になるが、8月27日から29日まで、かなり遅めの夏休みをとった。
「今年は海で泳ぎたい」
 という次男坊のリクエストだったのだが、なにしろ、この次男坊が土曜日はサッカー、日曜日はラグビー、月曜日はスイミングを習っている関係(長男も同じ環境ではあったが)で、これらの夏合宿が8月中旬まで集中していて、結局、我が家では、例年、この時期になってしまうのだ。
 前日に大学のサークルの合宿で、高知の山奥から帰ってきたばかりの長男も、「俺も海で泳ぎてえ~」ということで、家族4人で新潟県の上越市に出かけた。Img_0315

 午前8時に家を出て、ガソリンを満タンにし、東松山インターから関越道にのり、藤岡のジャンクションから上信越道に入ると、雨が降ってきた。富岡あたりで、かなり激しい雨になり、妙義山も全然見えない。我が家の夏の旅行は、決まって雨にたたられるのが常なのだ。 
 思えば、1歳を迎えようとする長男を連れて、初めて出かけた那須への旅行を皮切りに、伊豆への海水浴は台風の真っ只中へ、能登半島・金沢、北海道では札幌から富良野までどしゃぶり、2度行った九州でも阿蘇山で大雨洪水注意報、博多ではシーホークホテルの26階の部屋から台風の暴風雨にけむる福岡の町を眺めていたし、沖縄でも、台風の接近で、まったく海に入れず、昨年の愛知万博でも、傘を手放せなかった。
 誰が雨男なのか、雨女なのかわからないが、こんな我が家であるから、天気予報がどうであれ、雨にたたられるのは想定内のことだった。
 軽井沢付近では、車外の気温が18度。 急ぐ旅でもないので、軽井沢か菅平あたりで午前中、遊んでいこうと思っていたのだが、あきらめて、直接目的地に向かうことにした。

  妙高高原までは雨が降ったり、やんだりだったが、昼前に上越市内に入ると、気温29度、快晴だった。 予定が狂ってしまったついでに、上杉謙信の居城であった春日山城址を訪ねることにした。小学5年生のときのNHKの大河ドラマ「天と地と」を見て以来、兼信ファンになってしまった私にとって、ここは聖地である。(あの時の兼信役は、まだ浅丘ルリ子と結婚する前の石坂浩二だった。)実は、数年前の職場の親睦旅行で、立ち寄る予定で楽しみにしていたのだが、上司や同僚たちの「え、城の跡なんか見てもしょうかねえだろう」という意見に押し切られて、パスされてしまったという苦い経験がある。
Img_0318 まあ、実のところ、天守閣があったりするわけではないので、確かに「ここにお城があった」とはにわかには信じがたい雰囲気ではあったが、「赤いろうそくと人魚」の小川未明の父上が、奔走して建立したらしい春日山神社にお参りして、今回の旅の無事を祈りました。上杉謙信の銅像はさすがにカッコよかったですね。

 午後の時間がそっくり空いてしまったので、いっちょ海でも入ってみるか、と海岸線に出て、昼食をとりながら、今夜泊まる予定のホテルに電話してみると、ホテルの前の海水浴場もまだ海の家が営業している、というので、宿に直行して早めにチェックインして、海に入ることにした。
 宿は鵜の浜温泉のグランドホテルみかく、鵜の浜海水浴場まで徒歩3分とのことだったが、着替えて、駐車場を出ると、すぐに海が見えて、あっという間に浜辺についてしまった。(途中、一箇所信号待ちをしたのだが、帰りに時間を計ってみると、1分40秒でホテルについた。)Img_0324
 新潟の海らしく、波は静かで水は冷たかったが、粒のやや大きめの砂浜は夏の名残の日差しを受けて、かなり高温になっていたものの、風もあり、ビーチパラソルは必要なかった。他に30組ほどの海水浴客がいたろうか。 思い思いに昼下がりの海を楽しんでいた。
 水際から10メートルほどで急に深くなり、足がつかなくなったので、かなり子どもを遊ばせるのに神経を使ったものの、結構のんびりと過ごすことができた。驚いたことに、水中にきらきら光る小さな魚影が見えるが、10メートルほど離れた場所で、釣竿をたれていたお父さんが、かなりの量のキスのような魚を釣り上げて歓声を上げていた。
Img_0330 3年前に行った佐渡島の二ツ亀海水浴場では泳いでいる直下に一潜りすると、サザエやアワビがゴロゴロころがっていたのにはビックリしたのだが、なんとなく、自然が豊かな感じでよかったなあ。

 宿はグランドホテルとは名ばかり(20年ほど前だったらどうかしらないけど)の感じで、いかにも海水浴場の近くの宿、みたいな雰囲気だったが、さすがImg_0331に温泉はよかったですね。(施設ではなくて、泉質そのものがよかった) 食事も、まあ海の近くだからこれくらいは期待しているよね、という程度の内容でしたが、お造りの載った氷の皿がよかったですねえ。 私的には、地酒の三本セットが、なによりでした。 おかげで、良い気持ちになってしまって、予約していた貸切露天風呂に私だけ入りそびれてしまいましたが・・・
(続く)

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宝くじの日

 今日は宝くじの日である。 実は何を隠そう、私は宝くじフリークである。
 私は競輪、競馬、競艇、パチンコ、マージャン、ゴルフなど、俗に人並みの男なら一つや二つは手を染めていそうなものを一切趣味としていない。関心が無い訳ではない、一通り、入り口から入って体験してはみたものの、二度目はあっても三度目は無い。どれも結局は長続きしなかったのである。(競輪・競馬・競艇の場合、一度でも当たって入れば、もしかしたらのめりこんでいたかもしれない。)
 それでもパチンコは今でもときどき、電車の待ち時間などを利用して入ってみたりもするが、フィーバーの途中で、「あっ、電車に乗り遅れちゃうから」といって、隣の人に気前よく台を譲ってしまうことがままあったりする。 私にパチンコを教えてくれた先輩などは、「お前のほうが絶対、才能がある」と言ってくれたりもしたのだが、とにかく騒々しいのとタバコの煙が煩わしくて、かの地にどっぷりと浸る気分にさせてくれない。
 マージャンも大学時代に覚えては見たものの、やはり、タバコの煙がダメで、雀荘ではなく、もっぱら、ホームマージャンである。健全なものだ。(しかし、今では並べ方くらいはかろうじて覚えているが、あがり方を忘れてしまっている)

 ゴルフは20代の前半に、かなり真剣に取り組んだことがあって、ゴルフ教室に通い、勢いマイクラブを買って、毎週のように仕事帰りに練習場に通ったのだが、初めてコースに出たその日、ハーフラウンドを終わる頃には、「これは自分には向いていないぞ」と自覚し、風呂に入って、飯を食べたら、「お先に」と、さっさと一人で帰ってしまい、一緒に回った仲間たちから、非難轟々であった。家に帰ると、すぐにクラブからシューズからゴルフ用品はすべて弟にくれてしまった。でも、テレビのゴルフ中継を見るのは相変わらず、好きなのだ。(変なの・・・) もしかしたら、一緒に回った連中が、もう少し思いやりと友愛に溢れている面子だったら、少しは救われたのだが、なぜ、マージャンやゴルフになると、人格が豹変してしまう人がいるのだろう? 酒を飲んでいれば、「酒の席ですから」で済ますこともできるのに・・・。

 で、今日は宝くじの日である。 ギャンブルにはまったく縁のなさそうな、そんな私だが、宝くじだけは毎週のように買い求めて、わが国の地方自治の振興の一翼を担っている。
 じゃあ、それなりに「儲かってまっか?」と言われると、「全然あきまへんな~」である。 せめて「ぼちぼちでんな~」と位言ってみたいものである。
 これまでの最高当選金額はナンバーズ4の7万円程度である。一万円以上の当選回数は結構あるのだが、もう一超え!がなかなか出ない。 一度、年末ジャンボの2等賞が当たったかに思えて、思わず、ガッツポーズをしながら家中を駆け回ったこともあったが、組違いであった。(それでも組違いだから、と気を取り直してみたものの、組違いは一等賞だけにある、というのを知ってかなり憤然としたものだ)

 「一億円当たったらこんなことしよう、あんなことしよう」と夢見ているだけ。そろそろ、夢を実現してみたいものである。 愛車も来年には10年目に突入してしまうし、結婚の前年に新築した家も20年。いろいろな所がガタが来ているのでリフォームもしてみたい。(もちろん、一億当たれば、新築ですな)
 高速道路の渋滞のときに誰もが「先頭の奴は何をやってるんだ?」だと思うように、宝くじ売り場の上にデカデカと張り出される「この売り場から一等○億円が出ました」という看板を見上げるたびに「いったい、いつになったら俺に番が回ってくるのかなあ」とため息をつきつつ、今度の月曜日も宝くじ売り場に並ぶ私がいるのである。 そうして、「どうぞ、当たりますように」という売り場のオバサンのお愛想笑顔に励まされ(どこかの宝くじ売り場に安めぐみタイプの美人が座っていないだろうか? そうなれば、「めぞん一刻」の響子さんの「浪人さん、頑張ってください」を聞かないと勉強に身が入らない五代君のように、当たり・外れは度外視して、毎日のように通ってしまうかもしれないが・・・)、夢と期待に胸を弾ませながら、私の一週間が始まるのである。

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男の陣痛

 9月の声を聞いた途端、秋の気配である。
 「衣替え」のせいだろうか? スーツ姿の人がやたらと目についた。 これはこれで季節の移り変わりを嫌が応にも感じさせる立派な季語であろう。

 今日は長男の19回目の誕生日。 19年前、前日の夜に破水していたので、9月1日に生まれることは間違いない、という状況になっていた。
「小澤征爾と同じ誕生日かア~。将来は指揮者にでもしようかな」
 病院がキリスト教系だったせいなのか(?)男女を事前に教えてくれなかったので、8月31日の深夜から1日の夜明けまで一睡もせずに生まれ来るこどもの名前を考えていたモノだ。(しかし、なぜか思い浮かぶのは女の子の名前ばっかりだったなあ。) 

 9時30分過ぎに「今、陣痛が始まりました。」と病院から電話が入り、細君の母親(自分の母親は二年前に他界していた)を連れて病院に行ったのが11時。 すでに分娩室に移動した後であった。 これから何時間、分娩室の前の廊下を行ったり来たりするのかいな?とソファに腰を下ろした、と同時にドアが開いて、
「おめでとうございます。男の赤ちゃんです。」
 看護婦さんが頼りない泣き声を上げている真っ赤かの物体を私の腕に手渡したのであった。
 まさかそんなに早く?人違いでは?と辺りを見渡してみても他にそれらしい人はいない。恐る恐るモゾモゾとうごめく我が子を抱いて立ちすくんでいると、「ホラ、パパに元気な産声を聞かせてあげなさい」と担当の女医さんがこどもの足の裏をつねった途端、テレビドラマの出産シーンでお馴染みの泣き声が。
 恐ろしいほどのスピード出産であった。(弟の長女が生まれたときは、逆に難産で、産室に入ってから9時間もかかったため、義妹の顔がゲッソリとやつれていたのに比して、細君の場合、普段と変わらなかった。) 
 しかし、みんなそうだというのだが、生まれたばかりのこどもの顔というのは、本当に猿そのもの。「ああ、やっぱり人間の祖先は猿なのだ。」と実感した。
 その顔を見た途端に、徹夜で考えた名前はすべて振り出しに戻ってしまった。
その後、一週間、日に日に変化する我が子の顔を見ながら、名前の候補を書いた手帳のページは一枚、また一枚と増えていき、結局、最初のページにあったものに落ち着いたのだ。
 私の周囲には、近所の神社で決めてもらった、という名前の人が結構いるのだが、あの一週間こそ、我が子のことを真剣に考える事始めであり、遅まきながらの産みの苦しみ、まさに男の陣痛であった。

 長男がまだ歩き出す前だったと思うが、当時ベストセラーになった三浦清宏の「長男の出家」をベッドで読んでいた。脇には件の長男がスヤスヤと寝入っている。
「もし、この子が坊さんになるために家を出ると言い出したらどうしようか?」
結構真面目に悩んだことがある。

 息子の小学校の卒業式の夜。
「おい、お前は自分の名前、気に入っているか?」かねてから気になっていたので、思い切って尋ねてみたことがある。
「お父さんが、何日も寝ないで考えてくれた名前だから大切にしなさい、ってお母さんが言ってたから、ちょっと読みにくい名前で、皆に説明が大変だけど、結構好きだよ。 ありがとう」
というのを聞いて、かなりホットしたものだ。

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