« 頑張れよ~ ツダぁ~! | トップページ | 疲れた・・・ »

「やらせ」だって立派な日本の文化じゃないですか

教育の再生を謳った安倍内閣の発足早々に、「教育」に関する問題で国会が空転するとは誰が予想したろうかいな。 まあ、必修科目の未履修問題は、実は僕が高校時代(すなわり30年も前から)、都内のほとんどの私立(進学)高校では当たり前の話であったから、何を今更、という気がしないでもない。 「ええ、いいなあ! おまえんとこ!? やっぱ、私立はあ・・・」みたいな話はざらにあった気がするのだけれど・・・。 僕が今回の事件で驚いているのは、公立高校でもそういうことがあったこと、なのだ。 だって公立高校の先生は卑しくも、「公務員」でしょうに・・・。だから、そういう人たちが、平然と公文書偽造を組織ぐるみでやっていたことが「オイオイ・・・勘弁してよ」なのである。 なあんの処分もされずに「生徒たちには責任はありません」と言うのなら、自分たちの責任は認めるのかと思えば、「大学受験については、生徒たちの不利益にならないように、切に希望します」みたいなことを言って、校長が自殺すればいいのか? それで、ことが済むにしても、教育指導要領に基づいた授業をしてきた善意の高校生諸君が不利益になることは黙認するのが「教育再生」を旗印に掲げる今の政府なら、安部政権には即刻退陣してもらいたいものですねえ。 

 タウンミーティングでの「やらせ」についても、行政が主催するイベントでは、「当たり前でしょ」みたいな気がして止むを得ないのだが、いまだにそれを問題にするのはいかがなものか? 僕も何回か、県庁や市役所に勤めている友人から、「悪いけど、出席者が足りなくてさ~、出てもらって何か質問してくれねえかなあ・・・」みたいに頼まれたことがあった。(謝礼はなかったけどね。) 
 特に、マスコミ業界なら、日常茶飯事、至極当然のような気がするのだけれど・・・。 大学時代に2年半ほど、「女婿自信」でおなじみの某出版社を皮切りに2つのテレビ局などでアルバイトをしていた経験から、特に日本包装協会と二本テレビはひどかったネエ。マスコミ就職志望だった僕は、本当にガッカリした・・・勤務中に自己嫌悪の塊になってしまった。 現在のマスコミ嫌いの僕はそのときにつくられたようなものだ。

 でも、47歳となった今では、「ああ、社会というものはそういうものなのだ、なにもマスコミだけがああいう世界ではないだ」という、諦念にも似たものがある。 ただ、その創り出す偶像というか虚構の世界のもたらす影響の大きさが、他とは比べ物にならないだけなのだ。 もし自分の息子がマスコミを就職希望としても、目くじら立てて反対することもないだろう。 受けて側である国民が、テレビや出版物で伝えられる報道は、映画と同じなのだ、第三者を喜ばしたり、悲しませたり、怒らせたりするように意図的に創られたものなのだ、ということを理解していればいいのだ。

 「やらせ」というのは、日本の文化というか社会生活をを考える上で結構重要なものなんじゃないのかな。決して「恥」だけが日本特有の文化を代表するキーワードではない。 「やらせ」こそ日本では「オトナ」の世界を生き抜いていくための技術であり、日本を代表する文化である。 残念なことに、「恥ずかしい」という概念が日本人から無くなってきているのに、「やらせ」は戦後の三無主義・六無主義にどっぷりつかった大衆の「煽り」とか「扇動」のためにその分、はびこって来ているのではないだろうか? 

 

|

« 頑張れよ~ ツダぁ~! | トップページ | 疲れた・・・ »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/132155/12735389

この記事へのトラックバック一覧です: 「やらせ」だって立派な日本の文化じゃないですか:

« 頑張れよ~ ツダぁ~! | トップページ | 疲れた・・・ »