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漆原朝子ヴァイオリンリサイタルを聴いて

 鴻巣市のお隣、北本市文化センターで行われた「身近に良い音楽をきく会発足11周年記念2006ワンダフルコンサート 漆原朝子ヴァイオリンリサイタル」を聴いた。 なぜ、11周年記念なのか?(昨年は10周年だったのかしらん)というのはともかく、北本市を中心に活動しているこの市民団体は、年会費1万円也を納めると、国内の一流アーティストの演奏会を年3回(3,000円の自由席チケット各2枚で合計18,000円分)楽しめるという、かなりお得なサービスを売り物にしている。

 今夜のコンサートは、5月の花房晴美(ピアノ)のレクチャーコンサート、9月の工藤重典フルートリサイタルに続く、今年の最終演奏会であった。このブログでは紹介していなかったが、前の2回とも演奏者がマイクを片手に曲目の解説をしたり、かなりフレンドリーな雰囲気を漂わす内容であった。演奏はもちろん素晴らしかった。

そして今晩のプログラムだが、
①モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.378
②ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」
15分の休憩を挟んで・・・
③フランク/ヴァイオリン・ソナタ イ長調
④サン=サーンス/序奏とロンド・カプリツィオーソ
と、いずれ劣らぬヴァイオリンの名曲のオン・パレードという選曲であった。

会場に入って、一番びっくりしたのは、開園11分前だ、というのにピアノの調律をしていたこと。調律は開演ぎりぎりまで続いていたので、あるいはリハーサルのときに、不具合でもあったのかもしれないが、無事に始まるのか、また、演奏途中でヴァイオリンのように弦が切れたり、ピアノが分解してしまうのか? 果ては、ピアノを叩いた瞬間に、ピアノがステージを突き破って、地球の中心まで達してしまうのでは? 新興宗教小度胸(教・・こどきょう)信者の心配性と誇大妄想癖は留まるところを知らない。

 定刻に無事演奏会は始まった。漆原さんは純白のドレス、伴奏の鷲宮美幸さんは桃色(あえてピンクとはいわない)のドレス、そしてフメクリスト(譜めくり)の女性は上下とも黒といういでたちだった、のが視覚的に妙に印象的であった。

 最初のモーツァルトの34番のソナタには、ビックリした。と、いうか度肝を抜かれた。「あれ、こんな曲だったっけ?」とプログラムを見直したくらいである。音楽そのものではなくて音(響き)が重く暗い、この音楽は、少なくとも自分の頭の中では、もっと明るく(といっても有頂天に底抜けに明るい、ということではない)優雅に響いていたはずなのに、のっけから何か重い十字架を背負いながら、苦痛に満ちた感じでヴァイオリンを弾いているような印象だ。もしかすると、先ほどまでのピアノの調律と関係あるのかしらん?と勘ぐってしまう。第一楽章のアレグロ・モデラートから、文字通りのスピード感は感じられるのに、音符の一音一音が重く陰影をこめて響いている。そして、それは最終楽章アレグロのフィナーレまで、その影の濃淡を変えることはあっても、はっきりと残像を引きずったままだった。だからといって、ピアノと呼吸が合わない、とかいうのではない。僕は、とまどいを覚えながら、胸がドキドキとするのを感じながら、漆原さんのボウイングをずっと凝視し続けた。長調のモーツァルトを、こんな表情をして演奏する光景を見るのは初めてだった。確かに、この曲はモーツァルトが、ザルツブルクの大司教によってウィーンから呼び戻されて、いわば、かなり失意というか挫折感の中で作曲されたものであるから、あるいは、そんな心境を楽譜の中に見出した演奏であったかもしれない。
 多分、モーツァルトを聴きに来る聴衆の大半が望んでいるような演奏ではなかったかも知れないが、かなり自分にとってはショッキングな演奏だった。そう、まるでブラームスの作品のような感じだった。

 半面、2曲目のクロイツェルソナタは、なにかホッとする、座り心地のいい演奏だった。もう少し、音の強弱というか、メリハリのあるほうが僕は好きなのだが、実は、昨晩、寝るのが遅くて、第二楽章の途中でつい、居眠りを・・・。まあ、安心して居眠りができるくらい、いい演奏だった、ということでご勘弁下さい。感想終わり。

 15分間の休憩になって、またしてもピアノの調律が始まった。もしかして、鷲宮さんお抱えの調律師? または内田光子さんみたいに曲の調性に合わせて、調律のし直ししてるのかしらん? なにか気になって、結局、トイレに行くこともせず、そのまま興味津々、調律を見守ってしまったけれども、今回は特別、チューニングハンマーを使わず、音の確認だけだったようだ。

 3曲目は、僕の大好きなフランクのヴァイオリン・ソナタである。(フランク自身が好きなのではなく、曲が好きなのである。フランクソーセージも実は好きではない。)
 フランクは、ドイツ生まれのベルギー人の作曲家で、活躍したのはフランスのパリというかなり複雑な経歴をもっている。 かつては、大学時代に発売されたグリュミオー盤がずっとずっと一番いい、と思っていたのだが、以前、若かりし頃の前橋汀子さんのリサイタルで聴いたフランクでのゾクゾク身震いのするようなポルタメントを経験してから、というもの、最近では女性ヴァイオリニストの演奏だと、ことのほかイイ! 「フランクは女性ヴァイオリニストに限る」ということになってしまった。 この曲だけは男性ヴァイオリニストには弾いて欲しくないなあ、などと勝手に思い込んでいる。 

 奇しくも昨年の同じ北本市文化センターでの、前橋汀子さんのリサイタルでのこれまで以上にネットリと絡みつくようなフランクの演奏との再会で、その思いは強くなった。 恥ずかしながら聴いている46歳の自分に対して「坊や、ちょっと私の音楽の世界に入って来ない?」みたいな感じで、まるでヴァイオリンの弦を弓で擦る度に、目に見えない蜘蛛の糸が四方八方に吐き出されて、聴いている人の魂を手繰り寄せるようなものであった。
 今晩の漆原朝子さんのフランクは、それよりも、ちょっと冷徹、醒めた感じ(そういう意味でフランク?)が色濃く、人を惹きつける芳香を撒き散らしながらも、ある一定の距離のところには結界があって近づけない、しっとりとポルタメントを奏でるたびに「おいで、おいで」をするのに、近づこうとしても、距離は縮まらず、その度に遠ざかって、またそこから、こちらを向いてニッコリと微笑み、手招きをする、みたいな感じである。正当な音楽の聴き方ではないかもしれないが、そこがとてもいい! 本来、この音楽はこういった演奏が作曲家が求めていたものなのではないか?という気さえする。 先ほども述べたように、フランスとベルギーとドイツのごちゃまぜになった人の作品である。 ドイツの骨っぽい構成、造形美の中に、フランスの艶やさ、退廃的・貴族的な香りがたちこめている。 ボディーはベンツ、エンジンはポルシェなんだけど、内装はシトロエンやプジョーみたいなものですかね。
 いやはや、充分に堪能させていただきました。 今、考えると、どうも最初のモーツァルトも、順番は逆になるが、このフランクの影響というか、リハーサルのときの残像~イメージが漆原さんに残っていたのではないか?みたいな勘繰りが出てきてしまった。もちろん、プロとしてそんなことはないだろうが。

 最後のサン=サーンスは、もう、ここまでくれば、といった感じで、どっぷりと演奏に身を委ねる事が出来た。今日のプログラムはすべてが名曲、すなわち有名な曲ばかりなので、逆に失敗するとすぐに目立ってしまうわけであるから、演奏するほうも気が抜けなかったのではないか、と思うが、少し一本調子のような感じで、他の弦の音が聞こえる回数が多かったかな、と感じるが、音楽の流れ自体には影響なく、コンサートの最後を飾る立派な演奏だった、と思う。

 アンコールはエルガーの「愛の挨拶」であった。

 ヴァイオリン・ソナタが並んだプログラムだが、本来はヴァイオリンとピアノのためのソナタである。当然、ピアノの鷲宮美幸さんのピアノは、伴奏ではなくて、ヴァイオリンとのパートナー、コラボレーターとしての役割を充分に果たしていた、と思う。

来年のワンダフル・コンサート2007は
6月28日(木) 小川典子(ピアノ)
9月14日(金) 戸田弥生(ヴァイオリン)
11月6日(火) 天羽明恵(ソプラノ)
いずれも会場は北本市文化センター 開演18:30だそうです。

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