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ルール違反は飼い主の義務です?

土日と仕事で今日は久しぶりに丸一日の休日であった。ポカポカ陽気に誘われて、というわけでもないが、午前中は庭の雑草と格闘した。 

 実のところ、あんまり友人たちにも内緒のショ、ほとんどゲリラ的に開20070226_01設したブログであり、更新もかなり場当たり的なもので、定期(日常)的なが読者が、ほとんどいない筈であるのに、モノは書いてみるものだなあ・・・、と思ったのが、自分の友人でも数少ないこのブログの存在を知る一人から、お昼に白岡の「もちもちの木」でラーメンを啜っているときに、突然「たまみやんさんが、そんなにレッズファンとは知りませんでした」とのメールがあり、レッズの開幕戦(3月3日の横浜FC戦)のチケットを2枚タダで譲ってくれるという。 彼の会社の取引先が販売促進かなにかで置いていったというのだが、「巨人戦ならともかく、サッカーはまったく見る気がしない」そうで、遠慮なく頂戴することにした。 

 残念ながら自分も3月3日は仕事が入っていて行けないのだが、レッズ戦なら仕事も家族も犠牲にしてもいい、という熱烈サポーターを何人か知っているので、これをネタに何か奢ってもらおう、と思い、取りあえず、彼の会社のある熊谷まで受け取りに行ったのだが、クルマを走らせている途中で面白いモノを発見した。

20070226_02  別に写真を修正してあるわけではないのだが、「ルール違反は飼い主の義務です。」とハッキリと書かれている。 こう有無を言わさぬ、といった感じで書かれていると、どうしても蓮田市はルール無用のアウトローの世界みたいに思えてくるのだが、多分、何か「フンの後始末」みたいな文字が赤いペイントで書かれていたモノが雨風にさらされて消えてしまったに違いない。こんなのを白昼堂々と公道脇に掲示したままにしている蓮田市役所はトホホのホである! もちろん、時速50キロ近いスピードで走っているクルマの中から発見して、急ブレーキを踏み、バックしてまでして写真を撮った自分はトホホの極致であろうか・・・

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花粉とは 花の糞かと 親父いい

 久しぶりに木枯らしに身をすくめる、いかにも2月らしい肌寒い一日だった。 とはいっても、花粉の量もかなり飛んでいたようで、朝から目は痒いわ、鼻水は出るわ、で鬱陶しいこと限りない。 午前中は会議だったが、マスクをしている人間がかなりいた。 自分も途中で頭がいたくなるほどである。 午後、車を走らせていたら、前方をアベックの乗ったホンダのビート、それもまっ黄色のやつが颯爽と風を切って走っていた。 アベックともども花粉症でないなんて、なんて羨ましいことだろう。 

 花粉症になったのは、結婚して2年目だったから、かれこれ18年になる。 カミサンと付き合っている頃、この時期になると、すこぶる機嫌が悪くなるのが、花粉症のせいだ、と知って、「なんて馬鹿な病気もちなんだ、あんたって人は」と大笑いしてしまった。 そのときに、笑った理由は、実は田淵にあった。  

1984年、西武ライオンズの田淵がシーズン開幕を前に花粉症のために現役続行を断念、引退を表明した。
鼻水や目の痒みが止まらなくなる花粉症なんていう、わけのわからない病気で、あっけなく現役を引退するなんて、オッサン、最後まで笑わせてくれるわ、と極めて冷ややかな目で見ていたのだ。 

その時、僕は「花粉症」という言葉を初めて耳にしたのだと思う。 別に田淵のファンでもなかった僕が、何故、出かけたのか、その理由も忘れてしまったが、彼の引退試合を見に、西武球場まで、バイクで出かけたくらいだから、当時、僕は花粉症の「か」の字も知らなかったことになる。 田淵最後の打席で、僕は何故か、バックスクリーンの横のレフトスタンド中段(確か、あの頃は芝生席だったかな?)から「オッサン、花粉症になんか負けるな~。 ここまでかっ飛ばしてくれ~」と空になった生ビールの紙コップの底を抜いた即席メガホンで叫んだものの、あえなく、レフトフライ。

 試合後、スタンドのファンに最後の挨拶するために、グラウンドを一周してきた田淵は帽子を上げて振りながらも、タオルで目頭を押さえていた。 あの時は純粋にファンとの別れに涙したのだと、思い、思わず、もらい泣きしてしまったものだ。 然しながら、今となっては、「あれは、きっと、花粉症で涙が止まらなかったのに違いない」と思うのだ。 そして、やはり、同じように、同情のもらい泣きするのだろう。 それくらい、この花粉症というやつは・・・・。

 結婚してから、花粉症になった、ということ。 子ども達も皆花粉症であること。 うちのカミサンの作る料理は口に合わない、といって独自の食生活路線を歩んでいる親父が花粉症ではないこと。 こう考えると、やはり食生活、食べ物なのかな? でも、親父と同じ「漬物があれば、あとはなあんにもいらないよ」路線の食生活では、私、多分、生きていけそうもないな。やっぱり。 

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鬼よ 永久に・・・

節分、つまり立春の前日である。
先週辺りから庭の紅梅はかなりほころんでいて、まだ枯れた芝生の間には雑草の緑が点々と目立つようになってきた。旧暦の正月ならば、本当に初春とは、こういう雰囲気なのだろう、と感じる陽気である。
これならば、「鬼は外」で家を追い出された鬼たちも、寒さに震えることもないだろう。むしろ、昨今の家々の中には、鬼以上に怖い存在がいて物騒な事件を巻き起こすので、外に出されたほうが、あるいはホッとするかも知れない。
「たまみやんさん、近くのスーパーで恵方巻を配達してくれるそうなんですけど、注文されますか?」
 朝一番で、職場で部下の女性から訊かれた。
「恵方巻ってのは関西でしょう。うちではそういう風習はありませんから結構ですよ。」
「ああ、きっとたまみやんさんなら、『スーパーとかコンビニの商業戦略に乗って、日本全部が同じもの喰わされるなんて真っ平だ』とかなんとか仰るだろう、って昨日噂してたんですけど、一応お声をおかけいたしました。」だって・・・。
 そうは言っても、うちの近所でも最近は、恵方巻は食べるけれども、豆まきは部屋の中が汚れるからやってません、という家が多いらしい。夜勤の人と交代するときも、
「ウチでも『鬼は外~』ってのは外にまくからいいんですけど、『福は内』のときは掃除が大変なので、そお~っと、隣で女房のもってるザルの中にばら撒くんですよ。どうも雰囲気がありませんね」と言っていた。
 僕が子どもの頃は、畳の上に散らばった豆を、拾い集めては福茶に入れたり、翌日のおやつにしていたから、結構、家の中は綺麗になったもんだったが、最近は掃除機で集めて捨ててしまうので、福の神も家の中に落ち着いていられないだろう。
 
 「鬼(おに)」とは「穏(おん)」が転じたものだと、聞いた事がある。人の目には見えない、隠れた存在。だから、恐ろしい。僕が小さい頃、なにか悪さをしたり、親のいうことをきかないと、親父は決して殴りつけるよなことはしなかった替わりに、夜、家の外に放り出されて鍵を閉められたり、暗い物置に閉じ込められてしまったものだ。ただでさえ田舎の、一番近い隣の家でも50メートル。暗くて静かな世界には、十分に鬼や魑魅魍魎の存在が確かめられるような雰囲気であった。
 いくら科学が発達して、子どもたちが怖がるものが減ったとしても、畏怖する対象となる存在は常にあって欲しいものだ、と思う。そういう意味で「神」と「鬼」は表裏一体かも知れない。鬼も神も、サンタクロースも、子どもたちがいつまでも信じていられるような世の中であって欲しいものだ。
 午後8時に家に帰りついて、玄関を開けると鰯の焦げた匂い。子どもと一緒に豆まきをして、食卓につくと、恵方巻ならぬ、手巻き寿司であった。

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マスコミは 木を見て 森を見ず でいつまでいつづけるのか

柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言が依然として尾を引いている。
ここまで尾を引くと、辞任せざるを得ないだろうが、やはりここでも安倍首相の任命責任が問われることになるだろう。

でも、僕は、これまでの安倍内閣の大臣たちの舌禍事件とは、今回の問題については考えは違う。

この発言の責任をとって大臣は辞める必要はないんじゃないかな? もちろん、柳沢氏が「女性は産む機械」であるという信念をもって発言し、これを肯定しているなら、論外であるけれども。

よく発言内容を聞いてほしいのだが、氏はこの発言の前後に、何回も女性を機械視するのは、例えとしては好ましくない、相応しくない、適当でない、故に申し訳ないけれどもと繰り返し言っている。 他に例えが思い浮かばなかった、というのは氏のボキャブラリーの問題だが、僕には、ともかく、「例えが悪くて申し訳ないけれども」と詫びを入れた上での発言である。

なのに、これを伝えたマスコミはテレビも新聞も週刊誌も、「女性は産む機械」の部分しか取り上げない。もちろん、これはマスコミ各社が、それを真実として伝えているのだが、真実は決して事実ではない、真実がいくつあっても、事実は一つしかない。その事実を受け取る人間の考え方によって真実はいくつにもなる。現に、録音されたデータがあるのだから、それを聞いたり、文章にしたものを知れば、受け手の印象はかなり違うものになるのではないか?

断っておく、僕は、小泉さんが首相を続けていても、安倍さんが首相でも、自民党の内閣である限り、絶対に支持はしない。 だから、舌禍事件の有無を問わず、安倍さんも含めて内閣総辞職をしていただき、自民党は小泉さんの言葉通り一刻も早く「ぶっ壊れてしまえばいい」というのが本音である。 柳沢さん個人の問題をいうなら、そういう発言をする人しか大臣にできなかった安倍さんの責任こそ問われるべきであろう。

以前、僕は大学入学当時は、マスコミ志望だったせいもあり、テレビ局2社(NHKと某身民放)と週刊誌や新書本で有名な大手出版社でアルバイトをしていた。そして、自分の理想と異なり、マスコミの作り出す世界が、現実とかなり乖離したものだという事実に愕然とし、就職活動を行う前には、まったくマスコミ嫌い、というよりマスコミ不信になってしまった。もちろん、マスコミの伝えるものが100%虚構の世界ということではなく、正確には、どんな小さなことでも、100%のものとして作らざるを得ない厳しい社会であること。そして、そうでなければ、そうであることを期待する大衆には受け入れられない社会であることを実感したのであった。これが、あるあるの納豆事件にもつながっている。

今回の柳沢大臣の発言も、問題発言とされる部分の前後を聞いてみると、特に、文章化して読み返してみると、「どこが問題になっているのか」解らなくなる。
マスコミ各社の記者たちが、適切に日本語を理解し、解釈できれば、今回の発言のどこに問題があるのだろうか?

こんな表現をしては、適切ではないかもしれませんが、と前置きをしている以上、その前置きを抜きにして、いきなり本題だけを取りあげて、批判するのは、まさしく、「機械的」で人間的な暖かい血が通っていない証拠ではないだろうか?
もっと冷静になりましょうよ。

女性が産む機械ならば、男は産ませる機械なのだ。

こんなことで、熱くなって国会を盛り上げるなら、少子化対策で、3人以上子供を産んだら税金を半分にしたり、3人以上産んだら、ご褒美として両親の医療費を生涯無料にする、30歳を過ぎても独身の場合は、税金を2倍にする、なんてことを議論した方がいいと思うよ。

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