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モノトーンのピアノコンサート

 北本市文化センターで開かれた小川典子ピアノリサイタルを聴いた。身近に良い音楽をきく会の2007年第1回のコンサートである。
 プログラムは
       ドビュッシー/12の練習曲
            Intermission
       ショパン/3つのマズルカ 作品59-1,2,3
       ベートーヴェン/ピアノソナタ第23番へ短調「熱情」

 仕事の関係で、会場に入ったのが19時をまわっていたので、ドビュッシーは第8曲目くらいからであった。聴衆の入りは300人弱といったところか? いつもより若干少なめであろうか?
僕は小川典子の演奏は初めて(演奏会に限らず、CDやFMでもおそらく…)だろうと思う。恐ろしく指が長いように感じた。まして、練習曲の名の通りかなりのテクニックを要する曲ばかりなので、よほど技術的にも自信がないと、1曲目にもってくることはできないにではないだろうか? 
 本来は練習のために作曲されたものだから、聴衆のことを意識しているものではない。これをどう聴かせるか?がピアニストの腕の見せ所である。はたして、そういう意味では、ピアノを弾いた経験のない聴衆の多くは、奇妙な緊張感をもった退屈さ、を感じたのではないだろうか? これを1曲目にもってきたのはいかがなものか? いくら、テクニックをひけらかされても・・・で、もって感想はなしです。
 生涯58曲ものマズルカを作ったショパンである。ショパンを語るにはマズルカを聴け!とはよく言われたことだが、それくらいショパンにとって、祖国ポーランドの民族色を色濃く残す舞曲イコール故郷の思い出に直結したものなのでしょう。小川典子のショパンはそういったローカル色や民族色とは一線を画した、というか、まるでショパンがポーランド人であるということを意に介さないで、ストレートにピアノに向かった、というような感じで、思いのほかテンポをゆっくりとってはいたものの爽快な演奏でした。
 特に3曲目の嬰ヘ短調は、短調なのに快活さを併せ持つこの曲の特徴を十分に引き出していたように思います。

 ベートーヴェンの「熱情」ソナタは冒頭から和音の響きがよくなかった。明らかにミスタッチである。100メートル競走でスタートでつまづいたような感じで、ドキリとした。それを引き摺ってしまったためかテンポは一本調子であったが、ピアノとフォルテの明確な使い分けがとても印象に残った。その割りにメロディーが左手から右手に移るときに少し断線してしまうような気がした。逆の場合は気にならなかったのだが・・・。この演奏も聴き慣れた高揚感であったり、パッショネートよりも、そういうことに臆することなく怖いものなく若々しく一気呵成にコーダに向かって突き進んでくタイプのものであった。
 まるで陸上競技のハードル競技のトラックのハードルを、何の苦にもせずに、2つ3つ一遍に跨いでいってしまう様な感じである。なんというテクニックと指の長さであろうか?  それ故に、というか、もう少し音楽に陰影と言うか深みが欲しかった。

 アンコールは、リストのラ・カンパネラとドビュッシーの亜麻色の髪の乙女、考えてみると黒いピアノに見事なまでの黒髪、黒いドレス、真っ白な肌、指の色・・・というモノトーンのステージであった。曲目も時代を遡っていくように配置されたり、念入りに計画された都会的な大人の女性のための演奏会であったかもしれない。主催者側から贈られた花束の鮮やかな色が最後に妙に印象に残った。

 それにしても、演奏中にペットボトル飲料を飲んでいる人がいたり、携帯の着ボイスをノーマルモードで平気でならしている人、財布だか携帯ストラップについている鈴が、腕を動かすたびにチャラチャラなっている人がいたり、コンサート会場の客席も随分マナーの悪い御仁が増えてきているような気がします。

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吉本系&宝塚流クラシックコンサート~やっぱり高嶋ちさ子はカッコいい!

 鴻巣市文化センター クレアこうのす で行われた「高嶋ちさ子 ミート・ザ・クラシック」を聴いた。昨年11月18日に行われる予定だったものが、高嶋さんの産休(2月6日に男子を出産)のため、延期になっていたもの。特にステージではその件についてのコメントはなかったが、なかなか楽しいステージだった。なにしろ、しゃべくりが吉本興業みたいなノリで、昔のフォークコンサートみたいな感じである。

 出演:高嶋ちさ子(ヴァイオリン)、古川展生(チェロ)、藤満 健(ピアノ)

 プログラム 第一部
          G線上のアリア(J.S.バッハ)
          愛の挨拶(エルガー)
          アヴェ・マリア(カッチーニ)
          アヴェ・マリア(サン=サーンス)
          ~高嶋ちさ子のヴァイオリン講座~
          パッサカリア(ヘンデル)
          ラプソディー・イン・ブルー(ガーシュイン)

        第二部
          白鳥(サン=サーンス)
          ハンガリー狂詩曲(ボッパー)
          ピアノ協奏曲第21番第二楽章(モーツアルト)
          歌劇「トゥーランドット」より”誰も寝てはならぬ”(プッチーニ)
          ~あなたもチェロが弾けるかも~ 
          ブエノスアイレスの冬(ピアソラ)
          タイスの瞑想曲(マスネ)
          チャールダッシュ(モンティ)

        アンコール
          エズ(高嶋ちさ子)

 ピアニストが当初の安宅 薫から藤満 健に変更になったせいか、プログラムでは第一部の最後がメンデルスゾーンのピアノトリオの第一番になっていたのだが、ヘンデルのパッサカリアとガーシュインに替わっていた。

クラシックの演奏会というと、東京公演と地方公演では、明らかに後者のほうが、「楽しさ」「聴きやすさ」みたいなものを前面に出してくるものが多い。まして、”Meet the Classic”がテーマとなると、いきおい本日のような最初から最後までアンコール曲の定番のオンパレードみたいになるものだ。ただし、これが本日のようにピアノトリオみたいな感じで、ましてピアニストが作曲家ともなると、お馴染みの曲でも、一風変わったアレンジで聴かせてくれるので、これはかなり面白かった。

 「すねお」と改名したいというストラディヴァリウスの名器ルーシーを駆る高嶋の演奏は、相変わらず、かなり早めの小気味よいテンポである。「(鴻巣は)東京から一時間半と近い。でも、インターから遠くて、いったいどこに連れて行かれるか?思った(笑)。 車が混む前に早く切り上げて帰ろう、と思う(爆笑)」と最初からに聴衆を煙に巻き、東京に残してきた愛息に早く会いたいためか、とにかく、どの曲も速かった。最初は、もうちょっと、このフレーズをたっぷりと聴かせてくれ、とやや消化不良気味であったが、まあ、ステージの半分くらいはシャベクリなのだし、結構、高嶋のオシャベリを聞きたい、という期待も半分(以上?)はあるわけなので、あまり気にはならなくなった。

 初めから終わりまで、いっさいのけれん味もなく、颯爽としていて、まるで宝塚の男役のワンマンショーみたいな感じで、カッコよかった。 アンコールもさっと、一曲、オリジナルのエズを弾ききり、舞台の袖に引っ込むと、すぐに客席の照明がついて、なんとも呆気ない終演。 時刻は午後4時ぴったり。 演奏同様、高嶋の性格そのままに最後まで潔く格好いいコンサートだった。 まあ、最近はこういうクラシックの演奏会がブームになっているし、まして、今日の聴衆は、高嶋ちさ子の演奏とおしゃべりを聴きにきた人たち(タカシマニア)ばかりだろうから、かなり満足して帰ったのではないだろうか? これで3,000円は、やはりお値打ちモノですな。

 

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ホールインONE!

 今日、生まれて初めてホールインワンを経験した。
と、言ってもゴルフはゴルフでも、グラウンドゴルフというやつである。なので、今日プレーした70余名の中で14人もホールインワンはいたのだが、ホールインワン賞とやらも頂いてしまった。周りはほとんどシルバー世代であるから、かろうじてまだ40代の自分がプレーすること自体、反則行為。シニアの大会にオープン参加したハニカミ王子みたいなもんだから、いばれるものではない。
 自分は、本来は大会の主催者側で役員だったのだが、昨日の段階で、欠席者がかなり出てしまったため、人数調整のために参戦とあいなった。もちろん、生まれて初めてグラウンドゴルフのクラブを握ったわけである。

 僕は、ゴルフというものは一切、やらない。したことがない、と言えば嘘になる。もう20年も前になるか?親父のお下がりのクラブを貰って、毎週のように練習場に通っていたことがある。営業職ではなかった関係で、接待ゴルフというシチュエーションにはなりにくかったので、ひたすらボールを叩いて、遠くに飛ばす、ということに熱中していた日々だった。たまに、自分の思い描いていたとおりに、ボールが飛んでいくことがあり、あれは、あれで、すごく気持ちのいいものであった。まさにストレスの発散であった。

 そんな光景を、ある知り合いに見つかって、「メンバーが足りないんだけど、今度の土曜日、一緒に回らないか?」と声をかけられたのだった。もちろん、コースに出るのは初めてなのだ、と断っての参加だったのだが、その日、理想と現実のギャップの、あまりの大きさに愕然とし、おまけに一緒にプレーした御仁に、言いようのない罵詈雑言を浴びせられ、その人が車中では、おとなしげで優しくて面倒見のいいオジサンだとばかり思っていただけに、コース上でのその性格の豹変振りに、慌てふためき、余計に自分を見失ってしまったのかも知れない。とにかく、キャデイーさんに慰められ、励まされながらも、ようやくハーフを終わって、自分で悪いなりにも、と予想していたスコアのゆうに三倍を超えるスコアを叩いてしまっていた。

 茫然自失である。
「初めてのときはこんなもんだよ。練習場とは大分違うだろう?」と、件の御仁は、クラブを手離すと、打って変わって、車の中での人格に戻ったと見えて、優しい声をかけてきた。 ほてった顔を洗い、ビールを飲みながら、カレーライスに生卵を落として食べているうちに、むくむくと自分の中にある考えが湧き上がってきたのであった。

「ゴルフって、僕には向いていません。これで、帰ります。」

 と、そのまま、一人で帰ってきてしまったのである。もちろん、残された他のメンバーはカンカンに怒ったわけである。「お前みたいな奴はゴルフをやる資格はない!」と・・・。

「ああ、こんなに、周囲に気を使って、苦しんでやるくらいなら、もう二度とクラブは握るまい。」

 僕は自宅に帰りつくなり、弟にクラブセットばかりか、シューズも、ウエアもすべて譲ってしまった。お下がりのクラブ以外は、すべてその日のためにゴルフ5で買い求めたものであった。

 もちろん、結婚して、子どもができて、一緒にパターゴルフを楽しんだことはあったし、職場の旅行で、時間つぶしにパターゴルフをしたこともある。 でも、そういうときでも、結構、真面目な顔して、他人のプレーにプレッシャーを与えるべく、あれこれやかましい人が必ずといっていいほどいるのには正直びっくりものである。

 今日も、今日とて、僕に言わせれば、スポーツというより、レクリエーション。 年寄りばかりのグラウンドゴルフなのに、周りがガヤガヤうるさい、とか文句言う割には他人のプレーには、いちいちイチャモンをつけたり、平気でスコアをごまかしているご老人が結構、見受けられた。やはり、ゴルフはゴルフ、まして単純なスポーツだけに、勝ち負けがからむと、エキサイトするのだろうか? もちろん、エキサイトによる気分の高揚がストレスの発散になるし、勝利したときの爽快感がなければ、スポーツというものは成り立たないのかもしれないが。

 とりあえず、初めてのグラウンドゴルフでも、わずか一日でクラブをおく決意をした、あの時のような複雑な思いが胸をよぎったものの、ホールインワンの爽快感が、今は勝っているみたいである。

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六月の子守唄

 6月である。かのバラクーダの「日本全国酒飲み音頭」で、「6月は田植えで酒が飲めるぞ」と唄われた6月である。 田植え中に酒を飲むような不謹慎な人間はいないだろうが、最近は、稲刈り中のコンバインの機上で、缶ビールを飲んでいるツワモノをよく見かける(これが、結構美味そうなんだよね~)から、乗用田植機が主流の昨今、あるいは田圃のほうでは、すでにトレンドになっているのかも知れない。

  星がひとつ空から落ちてきた
  六月の子守唄をうたう母のもとへ・・・
 

 今日、FMで久しぶりにウィッシュの「六月の子守唄」を聴いた。 6月の声をきくと、耳にするようになる、いわば季節モノソングの一つであろう。 以前のように6月1日の朝、衣替えで、駅通りや電車の中の光景が白一色に一変する、なんてことがなくなってしまったので、こんな歌を聴いて、季節の移り変わりを意識せざるを得ないのだろうか。

 この歌は僕が高校2年の時に友人と昼休みに教室でギターでハモっていた記憶があるが、ウィッシュ自体が1973年にデビューして、翌年には解散してしまったのでデビュー曲の「ご案内」とこの歌くらいしか印象に残っていない。 いや、印象に残っているのは、デビュー曲となった「ご案内」の出だしが

 今日 お葬式をします
 どうぞ 涙は流さないで・・・

で始まり、いきなりドキリとした、ということもあったが、後日談で、当初、この詩に吉田拓郎が「曲をつけたい」というのを断って、作詞者であった伊豆丸礼子が曲をつけて、妹の幸子との姉妹デュオ「ウィッシュ」のデビュー曲となった、という逸話をきいて、並の新人さんではないな~、と驚いたことだ。 なんといっても、大御所たくろうからのプロポーズを断ったのだから、よほど自分の作品に自信をもっていたのか? 吉田拓郎作曲の「ご案内」を聴いてみたい気持ちもあるが、多分、ウィッシュのデビュー曲にはならなかったのではないか? 絶対に雰囲気わないだろうな~。

 で、この「六月の子守唄」のほうは、確か伊豆丸姉妹の作品ではなく、オリジナルは「みにくいあひるの子」というグループのものであった、と記憶している。 オリジナルについての印象がほとんどないので、出来は後発のウィッシュ盤の方がよかったのだと思うが、グループ名がビリーバンバンの曲と同じ名前だったので、かろうじて記憶に残っている、という感じで、詳しいコメントができないが、「六月の子守唄」という隠れた名曲を世に送り出したグループとして、後世に名を残したわけでである。

 アリスの「今はもう誰も」のオリジナルも、京都のアマチュアグループ「ウッディ・ウー」で、イケメンボーカルだった佐竹俊郎氏の作詞・作曲であったのと同じだが、このオリジナルのほうはフォークギターとベースだけのシンプルな伴奏で、素朴でいい味を出している、と思う、というよりも、どちらかといえば、ウッディ・ウーの「今はもう誰も」のほうが、僕は断然好きだ。

 で、本論に話を戻すと、

 高校時代に、メロディーとハーモニーの美しさ故に愛唱曲としていた「六月の子守唄」、暫くは自分にとって忘れられた存在になっていたのだが、結婚して、子どもが生まれて、という段になって、9月生まれの長男が、8ヶ月くらいだった頃(なにせ6月ですから)、添い寝をしながら、子守唄を歌っていたのだ。 当時の保育園の方針が、子守唄替わりに市販のCDやカセットを流してはダメ! 絶対にお父さん、お母さんが自らの声で歌ったり、お話をしてあげてください、というものだったので、お父さんとしては頑張っちゃってたわけである。(一節太郎の浪曲子守唄みたいなもんだね・・)

 梅雨の中休みで、結構星が綺麗な夜。 なかなか寝付いてくれない長男坊に、レパートリーに詰まり、次は何歌うかな~?と思案していた脳裏に、突如として浮かんできたのが「六月の子守唄」だった。

  星がひとつ空から落ちてきた
  六月の子守唄うたう 母のもとへ

  さわるとすぐにこわれそう
  ガラスのようなおまえだから
  風がわるさせぬように
  悪魔がさらっていかぬよう

  そしておまえが目をさましたならば
  一番はじめに私が見えるよう


 時々、歌詞に詰まりながらも、歌い終えて、あらためて、しみじみ歌詞の意味を考えながら思ったものだ。

 高校時代の自分には「六月の子守唄」が全く歌えていなかった、ということを。
(そりゃそうだよね。 子どもを産んだ経験ないもん。)

 それからというもの、歌詞中の「母」を「父」に読み替えて(笑)、我が家に「六月の子守唄親父バージョン」が響くようになりました。 

 あるとき、うちの細君が「何? その歌、変な歌、子どもに聴かせないでよ~」
 「じゃあ、あんたが歌ってあげなよ」
 「そんな歌、知らないもん」
 「えっ!ウィッシュの『六月の子守唄』知らないの?」
 「全然!」
 「何だよ、同い年で、とても同じ時代を生きてきたとは思えねえな~」
 「いつ頃の歌よ?」
 「高校1年か、2年のとき流行ってたろ? コッキーポップ聴いてなかった?」
 「あたしゃ、その頃は、ビートルズのコピーバンドの追っかけやってたから、フォークなんて聴かなかったもん」

 ああ、そういう奴だよ、おまえさんは・・・ ワタシが悪うござんした・・・

  母はこうしていつまでもいつまでも
  おまえのそばにいてあげるから

  大きくおなり優しくおなり
  母はこうしていつまでも
  おまえのそばにいてあげよう
  私の愛を忘れずに

  星がひとつ空から落ちてきた
  六月の子守唄をうたう母のもとへ 


(詩は あだちあかね さんです)

 でも、こうして歌詞を文字にしてみると、「母」を「父」に替えると、確かにオカシイかも知れない。



     

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