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仙台の夜は奥が深い 仙台グルメツアーPartⅡ

 松島から仙台に戻る仙石線のボディーには「サイボーグ009」のイラストが・・・、い20071117_04や、車内のそちこちにも石ノ森章太郎のアニメが描かれている。そういえばこの辺は氏のふるさとである。僕が旅行の幹事なら絶対に石巻にある「石ノ森漫画館」を予定地にするのに残念である。こちらも後のお楽しみということで・・・。それにしても、車内には黒いロングブーツをはいた女性が多かったなあ・・。

 さて、今夜のお宿はメトロポリタンホテルである。駅に至極近く、ゴージャスな雰囲気のあるホテルであった。実際、館内及び客室内の設備は申し分なく、酩酊した職場旅団がチェックインを待つ間、ロビーにたむろしている光景は完全に周囲から浮き上がっていた。部屋は20階(建物は21階建て)で窓からの仙台の夜景も素晴らしい。TVも地上波デジタルが見れるシャープの薄型液晶TV。シングルルームなのにベッドもセミダブルでゆったりしている。ユニットバス&トイレには電話もあって、用を足しながら電話もできる。いや、至れり尽くせりである。

 夕食はホテルから徒歩30秒の「ステーキハウス伊勢屋」の伊勢屋コース。3種類の前菜・刺身(マグロとタイ20071117_06 ?)・木の葉カレイの焼もの・牡蠣の味噌鍋・サーロインステーキ(かヒレ)をお好みの焼き加減・ライス・味噌汁・香の物・デザート で1万円。仙台といえば牛タンであるが、ステーキもあなどれない、恐るべき仙台の底力である。メインのステーキにたどり着くまでいろいろ食べたので、どうかとは思ったが、あっという間に150グラムが口の中で蕩けてしまった感じだ。こん な美味い牛肉は食べたことがない、一種のカルチャーショックである。

 宴会の後は自由行動で、ロフトの前の呼び込みのお兄ちゃんにおだてられてカラオケボックスへ行き、ちょっと青春してしまいました。この御仁、2時間後にカラオケボックスを退散した私たちに、また近寄ってきて「いいカラオケが近くにあるんですけど~」と声をかけてきました。まったく~。

20071117_05 ちょっと騒ぎすぎて、ジャズでも聴いて落ち着きたいと思ったので、携帯のネット検索でリラクシンという店を探し出し、歩くこと10分。建物の前でストリートミュージシャンをやっているという男女のいとこ同士2人連れの歌をきいている間に、ライブ演奏の時間が終わってしまったが、午前0時の閉店まで静かに過ごした。

 その後 「じゃあ、ラーメンでも食べて寝ましょうか」ということになって駅周辺を歩き回ること数十分、「仙台人は飲んだ後、ラーメンが食べたくないのか知らん?」と疑いたくなるくらい、「ラーメン屋がない・・・」やっとのことでタン麺にありついたのは1時近かったろうか。

 

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生牡蠣や ああ生牡蠣や 生牡蠣や 仙台グルメツアーPartⅠ

 3年ぶりに職場の旅20071117_00_2行に参加した。というよりも、3月までの職場が月曜休みだけだったので旅行に出かけることができなかっただけだ。とはいえ、最近は職場旅行に出かけるところもめっきり少なくなった。どこの温泉地の旅館も閑古鳥が鳴いているのは団体旅行が少なくなったからである。 で、今回の旅先は杜の都仙台である。ご他聞にもれず、貸切バスで温泉旅館に乗りつけるというようなものではなく、新幹線を使い、仙台駅前のシティホテルのシングルルームに宿泊というものであった。

   大宮駅からやまびこ号で仙台までは約1時間半。駅のコインロッカーに荷物を預け、仙石線に乗り換えて松島海岸駅まで40分、駅の数でいうと15くらいあったろうか?途中、東北楽天イー20071117_01グルスのユニフォーム姿の親子連れが何組も見かけたのはファン感謝祭でもあったのだろう。松島海岸駅に着いたのがちょうどお昼であったので、駅前のカキ専門店「かき松島こうは」本店に入る。カキではかなり有名な店らしいのだが、とにかく小さくて狭い!自分たちの9人グループが8人がけのテーブルに座り、カウンターに5人くらいしか入らない。カキ御 膳(2200円)が来るまでの間、地酒の浦霞をいただきながら約40分は待つ。(なんかドタバタしていて効率的でないなあ・・・)出てきたカキ御膳は殻付カキ2つ(3年物と1年ものが食べ比べられるようになっている)と牡蠣フライ4つに甘辛く煮付けたカキがご飯の上にのり、刻み海苔がかかったカキ丼とオイスタースープであった。本当は、浦霞で生牡蠣だけを「もうイヤ~!」というくらい食べたかったのだが、せっかく予約してくれた幹事さんの顔をたてることにした。

 20071117_02_2 いや、生牡蠣は当然ながら もう絶望的に美味い! 一応牡蠣醤油と黒酢が用意されているけれども、何もつけずに平らげる。カキフライは冷めていたせいかあまり感動はしなかった。カウンターで4人で生牡蠣40個を食べていたグループがいたが、あちらに混ざりたかった。何でも松島には「この店の生牡蠣を食べることだけを目的に来た」のだそうで、食べ終わったらそのまま帰ってしまうんだとか・・・ 食べているうちにも何組のも人が店を覗き込んでは「ただ今、満席なので」と断られていたので、あまり長居もできない。もちろん、我々の目的は観光なので、食後は瑞巌寺を拝観して、五大堂を見て、遊覧船に乗ってお決まりのカモメとの戯れを楽しんで、宴会が予約してある仙台まで18時までに戻らなかければならないので、あまりゆっくりもしていられない。今度絶対ひとりで来て死ぬほど喰ってやる、と将来、私に食い尽くされる運命の牡蠣たちの眠る松島湾に沈む夕陽を見つめながら誓ったのである。

  そういえば、何故店名が「こうは」なのか訊くのを忘れてしまった。

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人形供養

 僕の住んでいる鴻巣市は「ひな人形と花のまち」がキャッチフレーズだが、そう思っているのは実は市民(それも市町村合併前の旧鴻巣市民)だけで、多くの埼玉県民は「免許センターのあるまち」という意識でのみ鴻巣市を認識しているという悲しい結果が先に市で行ったアンケートでわかっているらしい。ひな人形はさいたま市に編入されてしまった岩槻が有名だし、「花のまち」といっても県内では花を売り物にしている市町村は限りなく多いので残念ながら鴻巣市の専売特許というわけにはいかない。

 鴻巣のひな人形の生産は約380年の伝統を誇り、岩槻のそれよりも約100年ほど長く、日光東照宮の造営に携わった京都の人形師 藤原吉國が現在の人形町に住んで人形作りを伝えた、という。江戸時代には越谷、江戸十軒店(日本橋室町)と並び関東三大雛市の一つとして数えられ、明治35年発行の「埼玉県営業便覧」によると越谷6軒、大沢(現在の越谷市)2軒、岩槻3軒に対し鴻巣の人形業者31軒、職人300人という記録がある。鴻巣、岩槻、越谷がすべて現在の元荒川が市域を流れているという共通点が面白い。20071114_03

 岩槻で人形生産が盛んになったのは太平洋戦争の折に、戦時下によるひな人形の生産中止をやむなくされた鴻巣の人形屋が職人たちに暇を出し、春日部の桐箪笥づくりで出た桐のおがくずをもとに人形の頭を生産して鴻巣に供給していた岩槻にその職人たちが移り住み、戦後になって一般消費者向けに産地直売で小売りを始めたからである、という。 広辞苑にも「鴻巣人形」はあるが「岩槻人形」は載っていないのは、その名残か。

 鴻巣の人形は現在でも頭は昔ながら岩槻から仕入れているというし、全国いろいろなところで作られたパーツが鴻巣に集められて、組み立てられて「鴻巣人形」というブランド名で売られていた、ということだろう。

20071114_01  さて、いつものように前置きが長くなった。その「ひな人形のふるさと」鴻巣市で毎年、11月14日に行われているのが「人形感謝祭」とよばれる人形供養の儀式である。家庭で使われなくなった古い人形を持ち寄り、徳川家康ゆかりの勝願寺にある人形塚の前でたくさんの僧侶の読経の中で荼毘にふされるのである。

 折しも、勝願寺では関東三大十夜(ほかに鎌倉の光明寺、八王子の大善20071114_02 寺)に数えられる十夜が行われていて、境内には多くの露店が建ち並んでいる中を色とりどりの衣装をまとった稚児行列が人形塚の前に進み、おごそかに人形供養が行われるのだ。

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