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人形供養

 僕の住んでいる鴻巣市は「ひな人形と花のまち」がキャッチフレーズだが、そう思っているのは実は市民(それも市町村合併前の旧鴻巣市民)だけで、多くの埼玉県民は「免許センターのあるまち」という意識でのみ鴻巣市を認識しているという悲しい結果が先に市で行ったアンケートでわかっているらしい。ひな人形はさいたま市に編入されてしまった岩槻が有名だし、「花のまち」といっても県内では花を売り物にしている市町村は限りなく多いので残念ながら鴻巣市の専売特許というわけにはいかない。

 鴻巣のひな人形の生産は約380年の伝統を誇り、岩槻のそれよりも約100年ほど長く、日光東照宮の造営に携わった京都の人形師 藤原吉國が現在の人形町に住んで人形作りを伝えた、という。江戸時代には越谷、江戸十軒店(日本橋室町)と並び関東三大雛市の一つとして数えられ、明治35年発行の「埼玉県営業便覧」によると越谷6軒、大沢(現在の越谷市)2軒、岩槻3軒に対し鴻巣の人形業者31軒、職人300人という記録がある。鴻巣、岩槻、越谷がすべて現在の元荒川が市域を流れているという共通点が面白い。20071114_03

 岩槻で人形生産が盛んになったのは太平洋戦争の折に、戦時下によるひな人形の生産中止をやむなくされた鴻巣の人形屋が職人たちに暇を出し、春日部の桐箪笥づくりで出た桐のおがくずをもとに人形の頭を生産して鴻巣に供給していた岩槻にその職人たちが移り住み、戦後になって一般消費者向けに産地直売で小売りを始めたからである、という。 広辞苑にも「鴻巣人形」はあるが「岩槻人形」は載っていないのは、その名残か。

 鴻巣の人形は現在でも頭は昔ながら岩槻から仕入れているというし、全国いろいろなところで作られたパーツが鴻巣に集められて、組み立てられて「鴻巣人形」というブランド名で売られていた、ということだろう。

20071114_01  さて、いつものように前置きが長くなった。その「ひな人形のふるさと」鴻巣市で毎年、11月14日に行われているのが「人形感謝祭」とよばれる人形供養の儀式である。家庭で使われなくなった古い人形を持ち寄り、徳川家康ゆかりの勝願寺にある人形塚の前でたくさんの僧侶の読経の中で荼毘にふされるのである。

 折しも、勝願寺では関東三大十夜(ほかに鎌倉の光明寺、八王子の大善20071114_02 寺)に数えられる十夜が行われていて、境内には多くの露店が建ち並んでいる中を色とりどりの衣装をまとった稚児行列が人形塚の前に進み、おごそかに人形供養が行われるのだ。

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