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「20世紀少年」って面白い(?)・・・かな

 朝から雨、それもかなりの量が降った。これが雪だったら、と思うと・・・。

 「20世紀少年<第二章>最後の希望」が本日封切になったので、早速映画館に出かけてみた。昨夜の日本テレビのプレ番組に影響されたわけではないし、実は<第一章>も観ていない。職場の同僚の「あまり大したことないっすよ」の一言で観る気が失せた。結構、好みの共通の人物の言葉であるからだ。なのに、なぜ雨の中、クルマを飛ばして羽生くんだりまで出かけたのかというと単なる好奇心。

 昨年9月、とある土曜日に今回の<第二章>のロケが鴻巣市で行われたのを目撃していたわけで、それがどのようにスクリーンに映し出されるか、気になっていたという次第。そのシーンとは、139分もの物語の一番、最後。唐沢寿明扮するケンヂがギターを背中に50ccの改造原チャリにまたがり、「帰ってきたヨッパライ」を口ずさみながら砂煙を上げて、荒野を疾走する、わずか10秒ばかりのラストシーン。<第二章>唯一の唐沢ケンヂの登場シーンといってもいいだろう。 

 撮影は荒川にかかる糠田橋(ぬかたばし)という鴻巣市とお隣の吉見町を結ぶ橋の、やや南側の河川敷で行われた。30人くらいのスタッフの割には、出演者は結局、唐沢氏ひとりっきりで、午前11時くらいから1時間半くらい行われた。当然、関係者以外は立ち入り禁止状態で大勢の太公望が釣り糸に気をたられながらも、遠巻きに撮影風景を見ていた。

 もっとも、かなりロン毛のカツラに帽子を深々とかぶっているうえ、「映画の撮影なので、近寄らないでください。撮影や大声を出すこともご遠慮下さい」と、交通整理係のスタッフに注意されているので、最初は誰なのかわからなかった人が大半だったが、顔見知りの市の職員がいかにも関係者然としてスタッフと言葉を交わしていたので声をかけてみると、「20世紀少年<第二章>のラストシーンの撮影で、バイクの御仁は唐沢寿明である」とのことが判明したのであった。なんでも唐沢氏をはじめとするスタッフたちの控え室として田間宮生涯学習センターが使われて、かの職員は偶然にもトイレに行く唐沢氏と廊下で擦れ違ったそうだが、思ったよりも小柄でやけに顔が小さい印象であった、とのこと。

 顔が小さいせいなのか、あまりに立ち入り禁止区域が広すぎるせいなのか、実はよく顔が見えないが、唐沢氏がバイクに乗って、かなりゆっくりとしたスピードで走ってくるのを、横からクルマの荷台にカメラをのせて撮影している。同じようなシーンを4回くらい繰り返したろうか。1テイク終わるごとに、原チャリはピットインよろしく、2,3人のスタッフが駆け寄って、なにやらバイクに仕掛けをしている。スピードのわりに、やたら砂埃が巻き上がっていると思ったら、バイクの後輪の両脇のサイドバッグの中に砂とガスを充填しているようだ。なるほど、砂をガスで吹き飛ばしているのだ。映画はフィクションだねえ・・・。

 で、である。実は、「20世紀少年」はどうでもいいのだが、この人工的砂埃が実際のスクリーンではどう映っているのかが気になってしょうがなかったのである。結論から言うと、やはり、スピードから比較すると、かなりオーバーアクション気味に砂煙が上がっているので、思わずひとり苦笑してしまった。あと、カメラを載せたクルマがかなり道路の影響で、上下に揺れていたのだが、やはり映像でも、かなり影響が出ていたようだ。これは想像以上にカメラが上下動しているのがよくわかる。

 「へっ、この観客の中に、この種明かしを知っているのはオイラ一人だろうなあ・・・」(観ていたのだから当たり前の話であるが)

 で、実のところ、あまり映画そのものは印象に残りませんでした。原作を読んでいないし、<第一章>を観ていないせいかもしれないが、回想シーンや<第一章>のシーンと現在進行形のシーンがバタバタと入れ替わり、湯水のように豪華俳優陣を使っている割には、なにか落ち着きがなくて、じっくりと感情移入するようなことができなくて、頭の整理が追いつかないのです。ほとんど喜怒哀楽~感情の高ぶりを感じることなく、観終わってしまった感じです。50歳にして不感症?かな・・・

 エンディングロールの撮影協力の部分に、しっかりと「鴻巣市」の文字を発見しました。でも、かなりチッサアーイ! 動体視力の検査にはいいかもネcatface 

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半世紀も生きてしまった・・・

 布団の中から手を伸ばして、枕元の眼鏡を取ろうとして、手帳の革表紙に触れた途端、そのヒンヤリとした、あまりの冷たさに一気に目が覚めてしまった。世間では3連休だとか、明日、明後日と仕事が入っているので、貴重な一日の始まり。50回目の誕生日の朝である。

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雪の肩すかし

 「関東地方は明日は雪です」

 その言葉を信じた自分が馬鹿だったのか? もちろん、関東地方で雪になったところもあったみたいだけど、ねえ・・・ ここ鴻巣は雨だった。

 せっかく、昨日、帰宅してから9時のニュース、天気予報を見て、今日は「雪」と判断して、ゴソゴソとスタッドレスタイヤに履き替える作業を2時間。

 寝る前に、「さあ、雪よ!どんと来い」と自信満々、休んだはずなのに、朝、気がついたら、雨? もうガッカリだよ~!

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おせちもいいけどイタリアンもね

 年末年始の休暇も最後となって明日からお仕事という今日。例年通り、大宮の氷川神社へ初詣に出かけた。合併して「さいたま市」という芸の無い名前になってしまったが、氷川神社といえば「大宮」である。あらかじめ道路が混む事を予想して、第二産業道路から大宮第二公園へ向かうルートを通ったので、産業道路が上下線渋滞しているにもかかわらず、鴻巣からほぼ50分で到着。そんなに信心深いことはなかった筈、と20090104_01いうよりも無神論者だった高校時代から、ここだけは欠かしていないのでもう35年近く、通っていることになる。もちろん、普段から大宮に出かけると、ほとんどここの駐車場にクルマを置いて、お参りしてから街中をショッピングしてくるので、「今年もよろしくお願いします」の意味も込めての初参りである。

 とにかく、三が日も過ぎたのに、どうしてこんなに人がいるのだろう?というくらい相変わらず、境内は混雑している。結構幅のある参道も人が多くて緩やかな渋滞になるので、本来ならば人が通行してはいけない正中をどうしても踏んづけたりしながら、鳥居の前で一礼していると後ろから押されるし、地元の神社では、まず見られないのだが、お参りする人たちの7割くらいはちゃんと手水所で手を清めたりするので、ここも行列を作ることになる。とにかく、正月の氷川神社は落ち着かないことしきりである。

20090104_04  そして、氷川神社への初詣の帰りには、上尾市のイタリア厨房ベルパェーゼで、食事をするのが、ここ5,6年のコースになっている。毎日、お節だ、雑煮だと正月料理を食べていると、たまらくカレーとかラーメンとかが食べたくなるものだが、七草粥の前に、窯焼きピッツアと茹で上げパスタ、それにとびきり美味しいデザートケーキを食べるのが、氷川神社への初詣のときのお決まりになっている。なぜなら、正月のときは比較的のんびりとできるから、すなわち、ここのお店は、いつ行っても大抵1時間くらいは、待たされるので、後に予定が入っているときなどは、とても行けないし、かなり大き目の駐車場に入ることすらできないくらい、人気があるのだ。ラーメン屋でもあるまいに、開店前から行列ができるイタメシ屋さんというのも珍しいのではないだろうか。

20090104_02  今日は、店に行ったのが午後2時20分で、比較的空いていたようで、10組待ちだったが、3時前にはテーブルに座ることができた。期間限定で今日まで、という「タラバ蟹とズワイ蟹のトマトクリームパスタ(1,580円)」のランチセット(前菜とサラダ、飲み物、デザートのケーキがついて580円)だが、セットメニューにすると400円引きなので、1,760円とお徳になっている。味はもうどのメニューを食べても満足できるし、量もそこそこだし、特筆すべきは、同じ建物の中にある、パティスリー「ベルパェーゼ」のデザートがなかなかお洒落で、かつ美味ともう3拍子も4拍子も揃って満足できる内容なのだ。

20090104_03  鴻巣市内や周辺にも、結構、いいイタメシ屋さんはあるのだが、ここと比較すると、かすんでしまう。なにか料金を払った後に、こんなに美味しい物食べて、こんなに安くていいのかなあ、大満足!と、いつ来ても満足してしまう、といういつも辛口の批評しかしない私にしては、稀有希少なお店です。家から30分という微妙な場所にあって、そこで1時間並んでというのがネックであることは間違いないけれども。この店の近所に住んでいる女性の友人(最初に彼女に教えてもらったんですけどね)がいるのだが、ここに来るたびに、なにかとても羨ましく思ってしまいます。

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危ねえ 危ねえ Σ(゚д゚lll)・・・

 あと1キロ、10区の距離が長かったら、シード落ちしたかも知れない。とりあえず、25年連続のシード権確保(これはこれで立派なこと!)と81年連続84回目の出場を決めてくれた。まずはホットした気分だ。どうも箱根が終わらないと、正月らしいのんびりした気分になれない最近です。

 優勝14回の最多優勝記録は、多分、近年の早稲田のランナーの反則的な充実ぶりを見ると、ここ4,5年で破られるかも知れない(でも、ここ十数年、全国の高校トップランナーを総捕りみたいにかっさらっている割には結果が出てないけど、やっぱり指導者のせいなのか?)が、この三つの記録は、たぶん、僕が生きているうちには破られることはないでしょうから・・・

 東洋大学の総合優勝は、立派だったねえ。どん底から天上に昇った気分だろうなあ。痴漢の被害に遭われた女性にとっては、絶対に喜べないし、許せないことだろうけど、この一件で監督が辞任して、優勝候補が箱根に出られなくなるかどうかの瀬戸際で、チームが結束して練習に励んできた成果。そういう危機意識が、チームを一つにまとめて、良い結果に結びついた例だろう。

 1986年(昭和61年)の中大ラグビー部の危機を思い出す。前年まで、選手の自主性を重視していた桑原寛樹監督(僕の大学時代の恩師でもあります)時代、「春だけ中大」という異名をとり、本番までの練習試合では無類の強さを誇りながら、リーグ戦では結果が残せなかった。田頭監督に替わってから、スパルタ練習の厳しさに耐えかねて、菅平の夏合宿から2年生を中心に大量の脱走者が出て、チームが編成できないピンチに追い込まれたのだが、その時、松本キャプテン(後の東芝府中で活躍)ら4年生が、脱走した下級生を説得し、部に戻したのだが、このときの危機感が、チームの結束力を産み、大東大に次ぐ、2位という結果につながった。交流試合では筑波をPG1本で3-0で下し(これは0対0の引き分け試合を除いて、ラグビー史上最小得点の試合だった筈で、僕は結婚する前のカミさんと秩父宮のバックスタンドで文字通り、手に汗を握り観戦していたものだ。)て、13年ぶりの大学選手権の出場を勝ち取り、選手権でも同志社相手に善戦するなど久しぶりに充実したシーズンとなったことがあった。残念ながら、奇跡はその年だけで、翌年からは下位に沈んでしまったことがあった。今思えば、あれは、選手個々の実力ではなくて、チームとして一つにまとまったかどうか、だったと僕は今でも考えている。 駅伝もある意味、団体競技なのだから、こういった要素が多分にあるのではないだろうか? 

 早稲田は区間賞3つで優勝できなかった、それも残りの7人中6人が区間一桁台という、ほぼ完璧なレース運びで優勝できなかったのは痛かったね。 あれだけのメンバーを揃えながら、駅伝チームとして不完全燃焼しているようで、何年か前にもあったが、指導陣の問題という議論が再燃しかねないのではないか? いい選手だけを集めても、なかなか勝てない、というのは最近の箱根駅伝が証明してくれている。

 実力はあるのに、一つ二つの狂った歯車により、精神的に追い詰められてしまって結果が残せなかったのが、駒沢や東海、順天堂、亜細亜だとしたら、いやあ本当に今年の箱根は、ドラマだったなあ。まあ、それでも、これから4,5年は早稲田を筆頭に、駒沢、東洋が中心となって優勝争いを繰り広げることになるだろう。

 中央は? 別の意味での記録を塗り替えることが目標(*゚ー゚*)? 上野に次ぐ、スーパーエースが出てくる(スカウトする)までの我慢の時代だろうな。かつての阪神ファンのように、首を長くして待ちますよ。100回連続、103回目の出場の頃までには正直やって欲しいけど・・・

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箱根駅伝と鴻巣の微妙に深~いカンケイ

 今年のハコネは、あまり期待していない。優勝争いにからむことはないだろうし、シード権である10位以内を死守できるか?、に注目だからである。そういう意味で予想に反して、というか2区の徳地、3区森の4年生コンビが踏ん張り、4区途中まで3位争いに加わるなど、もうウハウハ気分であったが、徳地以上に期待していた来年のエース候補、梁瀬が途中までの3位争いから、思いもよらぬ区間最下位の急ブレーキ、結局往路11位と、一昨年と同じ位置、昨年の14位よりもいいと言えばいいのだが、一位東洋大との差が6分28秒と、昨年の往路優勝の早稲田との差5分55秒よりも悪い。なんとか、明日挽回して25年連続シードの記録は更新して欲しいものだ。

 それにしても、部員の不祥事で一時は出場が危ぶまれていた東洋大が、超スーパールーキーの柏原のあっぱれタフな走りで、出場67回目にして初めてのタイトルは立派であった。 こういう逸材を、すなわち箱根目的のためにスカウトしたスタッフは見事! 区間賞を3人も出した早稲田、これで何故優勝できないのか不思議なくらいだったが、優勝候補の駒沢が7分55秒差のまさかの15位、駒沢の浮上は99%無理の状況から、層の厚さを考えれば、総合優勝は動かぬところか。復路優勝・駒沢で総合優勝は早稲田、という2年前と同じような優勝3校になるのだろうか? 他の有力校、順天堂、亜細亜、東海が下位に沈むとはねえ・・・。いやあ、晴天に恵まれた筈なのにレース内容は大荒れだった。

 さて、箱根駅伝の誕生秘話みたいなもの、これはもうあちこちで取り上げられているので「秘話」にはなりえないだろうが、箱根駅伝の誕生に、ここ鴻巣がほんの少しではあるが、関係していることは、駅伝ファンの間ではかなり有名なのだが、あまり地元の人間は知らないみたいだ。
 すなわち、1919年(大正8年)の10月のある日、明治大学出身の山口六郎次が、自分の出身校である鴻巣の小学校での運動会の審判として、当時の日本長距離陸上界の第一人者であった金栗四三、沢田英一、野口源三郎の三人を招いた。上野駅から乗り込んだ高崎線の列車の中での会話が、盛り上がり、大きな長距離レースを実施する夢を語り合ったことが、その後、箱根駅伝につながる端緒となった、というもの。

 後の衆議院議員で、自民党の副幹事長、埼玉県体育協会の初代会長を務めた山口(私にとっては息子の山口敏夫元代議士の方が馴染みがあるのだが・・・)の功績を讃えて、箱根には銅像が建っているらしい、東松山の箭弓稲荷神社にも銅像が建っているが、箱根駅伝については記載されていない。

 今から10年以上も前になるが、この話をきいて、この山口の出身校である小学校がどこなのか知りたくて、鴻巣市の教育委員会に訊いてみたのだが、結局判らなかった。ここで疑問なのは、山口六郎次は現在の白岡町の出身であることまでは判っているのだが、なぜ、彼が鴻巣の小学校に在籍し、卒業していたのか、はたまた、彼がその後、東松山に根をおろし、政治家の道を歩み、東松山の名誉市民となったのか、が今ひとつよくわからないのだ。

 ただ、大学対抗駅伝のコース選定にあたり、東京~箱根を主張する早稲田大学の河野一郎と、東京~日光を主張する山口の争い(他に水戸という案もあったそうだが)があったらしいこと。東京・日光間往復駅伝が実現していれば、当然、山口は故郷に錦を飾ることができるわけだし、河野の考えも同様。結局、日光には各大学の選手・役員を受け入れるだけの宿が確保できない、という理由で箱根になったらしいのだが、もし、箱根駅伝ではなく、日光駅伝だったら、今頃、鴻巣市内に中継点でもあったかも知れない。

 今、箱根を走る選手たちの中にも、9月に鴻巣の陸上競技場で行われる記録会「鴻巣ナイター陸上」に参加して、そのときの記録が箱根出場の際の選考基準になったりしている人もいるという。そういう意味で、最初から細々とではあるが、箱根駅伝と鴻巣の微妙な関係はずっと続いていくのかも知れない。

 さあ、明日は、真っ赤な襷を最後までつないで、絶対シード権をとろう!

 

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一年の計は・・・

 一年の計は元旦にあり、の筈が、元旦の時点で目覚めておらず・・・そういう境地にすら至らなかった。初日の出を撮影しようと用意していたカメラも出動するに及ばず・・・

 除夜の鐘を叩いて、地元の神社に初詣に出かけようと思ったが、例年になり程のあまりの行列の長さに、一緒に行った風邪気味の小学5年生の次男坊の「寒いから帰ろう」の一言に、素直に帰って参りました。

 なんやかや自宅でバタバタしているうちに、新聞配達が元日の新聞を運んできた。時刻は午前2時10分、あや、早過ぎないかい?しかたなく、というか新聞に目を通す。新年から朝日新聞から毎日新聞に変わったため、何か微妙に落ち着かない。というよりも、不安と戸惑いが入り交じった複雑な感じ。

 もう昨年の出来事になった、地方自治体による補助金をプールした裏金作り防止のために、地方交付税交付金の検査を強化する方針だとか書いてある。補助金に比べて使途が限られていないので、ということのようだが、元々このお金、本来は地方のための使われるために集められたお金じゃないのかなあ・・・? むしろ、国の進めるている(振りをしている)地方分権に逆行するようなものじゃないかしらん。

 大河ドラマのせいだろうか、やたらと巷に「直江兼続」関連本が溢れているような気がする。柳の下のなんとかではないが、大河ドラマの制作発表が2年前くらいだから、それから、調べ物をしたりして、1,2冊の本を書き上げるのは難しいことではないのだろう。 龍馬や坂の上の雲は、もう間に合わないかも知れないけれどもね・・・

 では、今年の元旦の計は、新大河ドラマの制作発表を待って、本でも執筆するかね。 

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