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牛丼一筋八十年から30年

 カップラーメンと同じく、時折無性に食べたくなるものが牛丼、それもYOSHINOYAの、いわゆる吉牛(よしぎゅう)と呼ばれるものである。僕にとっては青春の味といってもよい。それが創業111年記念で一杯80円引きで21日まで食べられるというのだ。

 「牛丼一筋80年」というCMソングにのって、あれよあれよという間に全国に店舗を広げて、海外進出までしてしまったのは、僕が大学時代であった。ということは、牛丼一筋でなくなってから30年くらいたったのだろうか。当時の並盛りは300円。喫茶店でコーヒー一杯250円から300円の時代であった。高校時代に郵便局で時給300円でアルバイトしていたから、結構、貧乏学生にとってはそれでも高かったなあ。何しろ、当時の中央大学駿河台校舎の生協食堂ではカレーライスやたぬきうどん、きつねうどん、ラーメンが一杯80円で食べられた。つまり、カレーライス&たぬきうどんでも160円だったから、300円の牛丼は滅多に食べられなかった。それでも当時の吉野家の松田社長が中央大学出身であったせいか、その生協食堂の目と鼻の先に吉野家はあって、たまにパチンコや競馬で儲かった先輩に奢ってもらったりしたものだ。吉牛との出会いはまさしく、僕が新入生のときにサークルの4年生の先輩に連れて行ってもらったこの吉野家だった。20100115

 「たまにはこういうのも美味いだろう!300円で安いしな。同じ300円でもコーヒーじゃ腹は膨れないし」

 三重県伊勢の出身のK先輩は、サングラスの奥の目をきらきらさせて、牛丼をワシワシと口の中にかき込みながら、そうのたまったものだ。

 1978年に大学が多摩に移転すると、生協食堂のカレーライスとたぬきうどんが一気に110円に値上がりした。つまりカレーライスとたぬきうどんを両方食べると220円になってしまった。そして、何故か吉野家も後を追っかけて、大学敷地内のバスターミナルの中に開店したが、こちらの値段は変わらなかった。だが、いかんせん、当時の多摩校舎のまわりは僕の実家よりもド田舎で、地名だけは八王子市東中野と都会風だが、多摩動物公園駅から大学裏門まで長く延びる通学路のまわりは雑木林だし、ところどころに「マムシに注意」の立て看板はあるし、白門(大学正門)を出て当たりを見渡せば、まだ藁葺き屋根の家が見えたし、と本当にここは東京都なのか?といぶかうほど。当然、駿河台時代は大学を一歩出れば、喫茶店や定食屋を選ぶのに苦労しなかったのに、陸の孤島然とした状況の中、必然的にひとたび大学に来れば、一歩校外に足を踏み出せば、いつ食べ物にありつけるかわからない、餓死と隣り合わせの厳しい現実が待っているものだから、必然的に吉牛のお世話になることが多くなった。

 特に、午後9時に所属していた合唱団の練習が終わり、校地の結構端の方にある練習場から15分ほど歩き、バスターミナルにて本数の少なくなったバスを待つ間、どうしてもフラフラと吉野家の中に入ってしまう習慣ができてしまい、おまけに、当時、飲み会のあとは新宿の深夜喫茶やゲームセンター、ビリヤード場などで過ごし、始発電車に乗り込む前に、やはり吉牛である。例え、その飲み会を養老の滝でやったとしても、養老牛丼には目もくれず、吉野家にて締めの牛丼大盛りに生卵に味噌汁で500円という定番メニューであった。ひどい時には一日三食牛丼というときもあった。そのうち朝、起きてみたら角が生えていたり、血液型がY型に変わってしまうのではと心配するほど、食べまくったのである。

 そして、牛丼を食べる度に、K先輩のサングラスを思い出すのだ。10年ほど前にOB会で顔を合わせたきりだ。どこでどうしているのやら・・・相変わらず、牛丼食べてるだろうか。

 「つゆだくなんて邪道だなあ。そんならお茶漬けでも食えばいいのにな」

とでもつぶやきながら・・・・。

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継続は力なり ちから~、ちっから~ CHUO! CHUO!

 やってくれましたね~。控えめに4位ですが、26年連続のシード権確保と82回連続85回目の出場が決まりました。6区の山下が山梨と併走していたときに、道路にはみ出してきた観客をよけようとして転んでしまったときは、どうなるかと思いましたが、最後まで気持ちを切らすことなく走りきったのは凄かったですね。

 中央大学の場合は優勝はもとより、なんといっても連続シード権、連続出場という伝統が否が応にも無言の圧力、プレッシャーなっているので、怪我で途中棄権なんてことになったら・・・いや、良かったです。

 僕の在学中は、かつての栄光はどこへやら、予選会からの出場が多く、まさに伝統校、古豪という呼称にもカビが生えかかっていた時期でしたが、ここ4半世紀にわたり、上位に食い込んでシード権を確保しつつ、戦前から82回も出場し続けるというのは本当に物凄いことなのだと思います。特に今回は以前の藤原や上野のような絶対的なエース級が不在で、1万メートル28分台の選手が一しかいない状況での、まさに総合力で喰いこんだ4位ですから立派だったですね。残念ながら、今年の目標だった出雲、全日本、箱根の三大駅伝ですべて3位以内というチームの目標は不完全燃焼に終わってしまいましたが、このチーム状況ですべて上位ですから本当に来年が楽しみです。

 こうなると、是非100回出場を97回連続出場で、しかも41年連続のシード飾って欲しいと思っていますし、100回連続103回目の出場を44年連続のシードで果たして欲しいと思います。もちろん、それまでに総合優勝も何回かして最多優勝記録も更新して欲しいのですけれどもね。なにかそれを見届けるまでは絶対に生きていたいものですが・・・。 

 さて、明日からお仕事ですので、駅伝がなくても早起きしなくては・・・。

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箱根駅伝と大学ラグビー

 日本テレビが箱根駅伝を中継し始めて20年くらいになるだろうか。おかげで、正月の2日と3日は早起きをするようになりました。今日は特に早起きして大手町での往路スタートを見送り、レースの経過を気にしながら、明治神宮に初詣し、母校の健闘を祈念しました。

 本来ならば優勝をお願いするんでしょうけど、昔から控えめな性格ですし、母校の中央大学自体も地味い~な校風ですから・・・、とりあえず10位以内に入り、26年連続のシード権をとって、82回連続85回目の出場の(母校でしか達成できない筈の)3大記録の更新をお祈りした次第です。

 いつもならテレビで、ビールを飲みながら赤いCの小旗を振り振り応援しているのですが、今日は国立競技場で行われたラグビーの大学選手権準決勝2試合を観戦してきました。大学選手権準決勝を国立で観戦するのも実に久しぶりです。何しろこの前は同志社大学3連覇中で、大八木が5年生で出て、スタンドから野次られてたし(笑・・・)、確か天理大学も真っ白なユニフォームで出ていたような気がします。

 ラグビースクールでの教え子たちが、今、何人か関東大学ラグビーに進んでいて、たまたま東海大学と帝京大学にもいるものですから、応援に行きました。といっても、残念ながら一本目ではないし、スタンドにでもいたらつかまえて、激励してみようと思ったくらいの軽い気持ちです。本当なら母校も大学選手権に出て欲しいところですし、特に今年まではやはりスクール時代の教え子がいたりしましたので残念でしたが、陸上部や野球部と違って、大学指定の強化運動部にはなっていないので、なかなかチームの強化は難しい中、関東大学リーグ戦グループの中で創設以来唯一、二部落ちしていないというこちらもあまり派手さはないが、地味な記録を更新中ですので、本当によく頑張っているなあと思っています。

 決勝戦は、奇しくもというか、東海VS帝京という組み合わせになりましたが、当日は仕事で応援にはいけないので、なんとか一声かけてみたかったのですが、こちらも願いはかないませんでした。いつもなら二人のお父さんはスタンドでお見かけするので挨拶をするのですが、秩父宮や熊谷と違って、国立はちょっと広すぎたかな・・・。

 携帯で駅伝の結果を確認しながらの観戦でしたが、駅伝もラグビーも結果は上々でした。でも、東海と帝京の決勝戦では、観衆の入りが心配です。今からでも国立ではなくて秩父宮に変更した方がいいでのでないでしょうか。でも、あまり国内ではお目にかかれない大型FW同士のぶつかりあいで白熱したゲームになるのではないでしょうか。

 明日は日中、新年会が入っているので、いつもトイレに立つ振りをして、会場のロビーで駅伝中継を見ているのですが、今日の往路4位という結果はいろんな意味で微妙だなあ・・・、まあ、僕一人くらいトイレから戻らなくてもさほど問題ないんだけどね~。東洋がよほどこけない限り優勝は動かないでしょうけど、4位といってもシード権が絶対とは言えませんからね~。と、あくまでも控えめで謙虚な私でした。

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始まっちゃった2010年 元日雑感

 一年の計は元旦にあり!と大晦日の夜になって年越し蕎麦を啜りながら意気込んでみても、相変わらず何の感慨も無く新年を迎えた。フム・・・今年こそは「来年もいい年でありますように」と大晦日の晩に除夜の鐘を叩きながら祈念できる年になりますように・・・
 まあ、「来年も」と「来年こそ」ではエライ違いだが、これも気持ちの持ちよう。いい年であったか悪い年であったかも毎日の心がけ次第ということになるだろう。

 早いものでついこの間、21世紀になったと思ったらもう10年目を迎える。子どもの頃は、21世紀ってとてもバラ色に輝く未来のような気がしていたけれども、現実は科学技術だけは進歩してきたけれども、人間性が欠如し、殺伐とした空気が蔓延したもので、我々が思い描いてきた未来社会とはかなりイメージが違う、いわゆる「三丁目の夕陽」的なほんわりとした温もりが反比例して失われてきているような気がする。

 コンビニエンスストアがこんなにマチの角々にできる前は、夜はとても夜らし不気味に暗くて、子どもたちにとって、おじいちゃん、おばあちゃんの語る魑魅魍魎の話は、とても信憑性をもって迎え入れられた。セブンイレブンが「開いてて良かった!」と僕にとって思えた時代は、学生時代のほんのわずかな期間だけで、そうはいっても深夜のコンビに時々立ち寄ることはあるのだけれども、塾帰りの子どもたちやその迎えの親、それに付随してか幼稚園児みたいな幼児まで深夜の店内をうろついていたり、得体の知れない若者たちが駐車場に車座になってタムロしているのを見ると、こんなんでいいのかな、と思ってしまう。

 一昨年だったか、埼玉県の上田知事が、省エネのためにコンビニの24時間営業を止めてはどうか?との発言があったが、コンビニ側の反対する理由の中に「深夜の一人歩きの女性にとってコンビニの明かりは救い」云々の発言があった。そもそも、深夜に女性が一人歩きする社会になってしまっているのがおかしいと僕は思っているのだがどうだろう。省エネ以前の問題として、一切の深夜営業を止めてみてはどうだろう。

 自分の息子が24時間営業の牛丼屋チェーンでアルバイトしているのを棚に上げて言っては申し訳ないけれども、息子など午後11時で仕事がはねた後に、やはり深夜営業のレンタルビデオの店でDVDを借りて、コンビニで飲料をしこみ、午前1時から友人たちとフットサルの練習に出かけて、帰ってくるのは午前4時過ぎという生活を毎週金曜日の夜というか土曜日の朝に送っている。この時間でないと、フットサルの練習場が確保できないのだという。

 核家族化だけでなく、ただでさえ少なくなった家族の生活する時間帯がバラバラにされては、昔のホームドラマのように家族全員で食卓を囲んで、破顔談笑あるいは卓袱台をひっくり返しての大喧嘩など夢のまた夢。セブンイレブンはやっぱり朝7時から夜11時まででも、当時大学生だった自分にとっては、ものすごく便利だったんだよね。

 元日早々、こんなことをコタツの中で考えていたのでした。夕方になって冷たい赤城降ろしの吹きすさぶ中を、家の前の電線にムクドリが・・・、最近は手を叩いても、大声出しても、いっこうに動かないので、息子がパチンコで、小石を放ったりするとザワザワザワっと羽音を立てていなくなります。

 明日からは箱根駅伝モードに突入するため、今日は早寝します。

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